三話 | ナノ


Episode.3 
それが、この島の"掟"なのだから。




ようやく辿りついたそこは、島のほぼ中央部の小高い丘に位置する大きな建物――ここピーズフルートにある、唯一の病院だった。

そこにいるたったひとりの医師・ライデンの妻はマーサの叔母であり、そのためか出入りは常に自由だった。
しかし今日に限って病院は休診日であり、マーサは建物の裏側に回った。


「おじさんっ、おばさん!女の子が…ッ!!」


バン、と勢いよく裏口を蹴破って、見知らぬ少女をおぶったマーサは病院の裏側に併設された叔父母の住居スペースへ駆け込んだ。


「っ、何?どうしたのマーサおっきい声出して―――ッ、」

突然の来訪者に驚いたのか、奥から先ほどまで料理をしていたのだろう、エプロンをかけた赤毛の女性が出てきた。


リアラ・オルトレイン。
腰まで波打つ緋色の髪に褐色の肌、大きくぱっちりとした桜色の瞳、やわらかなラインを描く女性らしい肢体の持ち主だ。とがった耳は感情にあわせてよく動く。
マーサの叔母であり、マーズの妹である。都会から派遣されてきた医者のライデンと恋に落ち結婚、彼のサポートとして日々人々を助ける優秀な看護士だ。



リアラはマーサの背負う少女を見るなりその場に立ち止まって絶句した。
部屋の角から顔を出すだけの状態でも、彼女の背で浅い呼吸を繰り返す存在の異質さはわかる。
マーサは知らないが、その頭部の証は―――紛れもなく、かつて滅びたはずの最強の種族のものだったのだから。

「海岸に倒れてたの。背中から血がいっぱい出てて、身体だってすっかり冷えてる。たぶん大量出血だわ。あたし人工呼吸なんてわかんないからどうしようもなくて…でもまだ息してるのよ、だからお願い、助けてあげてよ、ねぇリアラおばさんっ!」

姪の悲鳴にも近い声をきいて、はっとしたように目を見開く。

今目の前にいる存在は世界にとって異質だ。既に滅びたものなのだから。
かろうじてそれが生き残っていたのだと仮定するとして、どちらにしろ彼女をこの島に入れるわけにはいかない。
薄情だ。それは承知している。


しかし仕方ないのだ。
それが、この島の"掟"なのだから。


「なんだい、どうしたんだいマーサもリアラも。…おいで、私が診よう」

リアラが半ば泣きそうな顔をしているマーサとその背の少女相手に動けずにいると、その背後から長身の美丈夫が顔を出した。
眼鏡越しの瞳はすっと異質の存在へと向けられ、落ち着いた声がリアラの脳に響く。

ライデン・オルトレイン。
強い癖のついた短めの金髪、涼しげな目元は鋭く切れて、瞳は眩いほどの空の色だ。肌は透けるように白く、すらりとした長身痩躯にはシンプルなシャツと少しくたびれた白衣を纏っている。
彼はピーズフルートの出身だが、帝国で医学を学んだ優秀な医者だ。幼い頃からリアラとは面識があり、医者としてここに帰ってきたときに恋に堕ち、結婚して今に至る。物腰が柔らかく穏やかな性格ではあるが、少し変わり者だった。

「でもあなた、」
「いいんだよ。きっと大丈夫、彼女は大丈夫さ」

困惑した表情で話しかける妻の言葉を遮って、ライデンは首を小さく横に振った。
どこから出てくる自信なのか、また何に対してなのか、ひたすら「大丈夫」と繰り返す。

「マーサ、彼女を診察台へ。リアラは用具の準備を、急いで」

それまで二人のことをぼーっと見つめていたマーサは己の名を呼ばれてはっと我に帰り、「はい!」と勢よく返事をして少女を診察台へと連れて行った。
リアラは以前納得のいかなそうな表情ではあるものの、小さく頷くと包帯やガーゼ、機材を出しに奥へと引っ込む。
ライデンはそのふたりの背を見送ってから、小さくつぶやいた。


「命は助かる、大丈夫。――けれどきっと、この島は――」

用意のできた二人の己を呼ぶ声に言葉はかき消され、ライデンは顔を上げて、ゆっくりと歩き出した。







「――大丈夫、一命は取り留めたよ」


背中の傷に障らないようにと横向きに寝かせられた少女を見下ろして、手術を終えたライデンはそう言った。


「背中の傷は…何か、鉤爪を持った魔物の一種にやられたものだろうね。それ以外は海を漂っている間に岩か何かに擦れたんだろう。わりと深いが内臓を傷つけてはいないし、菌も入っていないから、心配はいらない。ただマーサの見立て通り出血が激しいね。あいにく彼女にわけてあげられるような血はここにはないから…点滴を打とう。栄養を与えて、彼女自身の治癒能力でどうにかしてもらうしかない。ひどく消耗しているから、目を覚ますのは何ヶ月も先になりそうだ……」

そこまで矢継ぎ早に言って、彼はマーサを見た。
マーサはライデンの話をしっかり聞いていたのかも少し危ういような様子で、ただ心配そうに少女をじっと見つめている。
ライデンはふっと苦笑し姪の頭をそっとなでてやると、待合室のほうにいる妻のもとへと向かった。



「リアラ」
「……あなた」

真っ白なソファに沈み込むようにして座り込んでいる妻を見つけ、ライデンは声をかける。
リアラは夫の姿を目にすると、組んでいた足をそっと解いた。


「…なぜ、あの子を助けたの?」

リアラは己の隣に腰掛けたライデンに視線をやることもせず、ただじっと前を見つめて、そう深刻そうな表情で問いかけた。
ライデンは憮然とした態度で答える。

「命を助けることに、理由が必要かい」
「あなたは長いこと外部にいたからそういえるのよ。そんなのピーズフルートでは通用しないわ。知っているでしょう?この島の掟を」
ぱっ、と勢いよくこちらを向いて、まるで噛み付くように言い放つリアラにライデンはそっと目を伏せて苦笑いを浮かべた。

「…知っているよ」

くっと背を曲げて前かがみになると、両肘はそれを支えるように互いの膝に突く。
細く白い指先を、顔の前でそっと絡めた。
何もない虚空を見つめる。




「『狭間とされぬもの、この地に入れるべからず』――だったかな、たしか」




「そうよ。わかっているじゃないの」

眉間に皺を刻み、美しい瞳をきっと吊り上げてリアラがいう。


「この島――ピーズフルートに暮らしてる種族は、人族にも、エルフにもなりきれない"狭間"よ。人族とエルフを親に持つハーフエルフ、人族の血をひくエルフであるエルハイド、エルフの血をひく人族であるヒューマノイド…みんな、世界に迫害される種族よ」

そう語るリアラ。
褐色の肌を持つエルハイドの女性は、強い瞳にうっすらと涙を浮かべていた。

「あなたはヒューマノイドだけれど、幼い頃に出て行って、そして大人になってからこの島に帰ってきた。それでもここのみんなはあなたの存在を認めたがらなかったのよ、外部に染まってるから、っていって。しかも今回はもっとひどいわ。どちらの血もひかない種族――しかも竜人だなんて、」

信じられない、というふうに、リアラはそっと額に手を当てた。

彼女もライデンのいうように、命を助けることに理由など必要ないとは思っている。
だからこそ、この男のそばで看護師として働いているのだ。


けれど、今回ばかりはそうはいかない。


彼がいったように、この島において異種を受け入れることは禁忌とされている。
それは世界に拒絶された"狭間"の種族ゆえの防衛本能だ。
もともとは帝国の植民地であったこの島は、帝国において邪魔な存在である狭間を閉じ込めておく――いわば牢獄であった。
ピーズフルートとは古い言葉で「異質の檻」を意味するのである。

ときが経ち、帝国の支配が徐々に薄れてきた頃。
リウィッツ家を中心に独立へと向けて活動を開始していた島の人々が一致団結して開放を訴え、勢力の大きくなりすぎたピーズフルートを無視するわけにいかなくなった帝国側は、自国の傘下にて特別軍の扱いとすることを条件に国としての名を与えたのだ。
そうして勝ち取った自由だった。


しかし、それに狭間でない者が加わればどうなるだろう。
穏やかで透明な水面に一滴の黒い絵の具を垂らせば、波紋が広がり、水は黒ずみ濁っていく。
互いの絆で成り立ってきたこの島において、異種は災厄そのものなのだ。
だからこそ、リアラはかの少女を島へ踏み入れさせたのを恐れている。


「大丈夫だよ、リアラ」


妻の細い肩をそっと抱き寄せ、ライデンがやさしくささやいた。
リアラの目蓋が持ち上げられ、薄くおびえを含む桜色の双眸が彼の鮮やかな青を見上げる。

「義姉さんと話をしてみよう。それと、おばば様とも。傷が癒えるまででもこの島においてもらえれば、あとは本土のほうに引き渡して、親族を探してもらえればいい。いなければ誰か里親がみつかるだろう」
「そう簡単にいくかしら?相手はあの竜人よ。起きたときにパニックにでもなって、襲われたら」
「どうしてそうも恐れるんだい?まだ子供、しかも女の子だよ。それに目覚めるのはもっと先のことだ。国一帯が帝国の遊撃軍として成り立っている僕らが、そうそう負けるはずはないだろう?」
「でも、」

リアラがなおも言い募ろうとしたとき、奥でガタン、と、椅子が倒れたような大きな音が響いた。
驚く二人の視界に、診察室から飛び出してきたのだろう、赤い髪の少女が写る。

マーサは大きな瞳をキラキラと輝かせて、声高らかに言った。




「女の子が、…女の子が、目を覚ましたの!!」







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