十三話 | ナノ


Episode.13 
やっと返事を返すと、ゼノもまた、歩き出した。



翌朝、よく晴れた日。
ギルとミューは宿のロビーで窓から差し込む朝日を受けながら、
一方はイライラと、一方はそわそわと何かを待っていた。

「ったく、遅ェなあいつら……まだ寝てんのか?」
ソファにふんぞり返って腕を組んだギルが、眉間にしわを寄せガタガタと貧乏ゆすりをしながら落ち着かなげに口を開く。ついでに舌打ちまで聞こえてきた。
ミューは苛立ちを全面に押し出す弟の不満げな横顔をソファのそばに立って見下ろしながら、いつもどおりの困った顔で返答する。
「昨日は移動してすぐだったし、いろいろあったみたいだし……ぐっすり眠ってるんじゃないかな?」


昨夜ギルが様子を見にゼノを寝かせた部屋に向かうと、中からはゼノらしき男のすすり泣く声が聞こえてきた。
本来二人部屋はふたつ用意されており女性陣と男性陣でわかれて宿泊する予定だったのだが、一見飄々とした彼が泣くことを許された空間に、今入っていくべきではない気がしたのだ。
今までずっと何かをこらえてきたのであろう彼の心を解いたのは、ほかでもない、あの少女なのだから。

結局もうひとつの部屋にギルとミューで泊まることになり、なかなか出てこない二人を待って今に至るのである。



しかし、いつまでも待っているわけにはいかない。

昨日の騒動の渦中にいたゼノは、できることなら今すぐにでも街を出て行かなければならないのだ。
人のうわさとは恐るべき早さであらゆる場所をめぐっていく。

それに、彼には話さなければならないことがある。


結果二人はレイとゼノを起こしに、ロビーからその部屋へと向かった。


金色でルームナンバーが書かれた木の扉を軽くノックすると、中から短く返事が聞こえた。レイだ。
しかし、基本的に元気の有り余った感がある彼女の声にしてはそれは小さい。

きっとゼノはまだ寝ているのだろう。ベッドの上で昏々と眠る美男と、それをかたわらで見ている少女の姿を想像して、ギルとミューはそっと扉を開いた。




「「………………ん?」」




予想は外れた。いや、大部分はあたっているかもしれない。
少なくともゼノが眠っていることと、レイがそれを見ているという状態は当たっている。



しかし、その構図が若干、否、かなりおかしい。



こちらに背を向けてベッドに腰掛けるレイの太ももに、ゼノの頭が乗っていた。

男の寝顔はまるで子供のようにあどけなく安心しきっているのが目に見えてわかる。

レイの腹部のほうに顔を向けて眠るゼノを、レイがやさしい笑みで見つめながら、そっと撫でるように髪をすいていた。





………なんだこれ。
性格の正反対な姉弟が同時にまったく同じことを考えたのは、わりと偶然ではないだろう。

きっと誰だってそう思うからだ。




声をかけようかかけまいか。
異様な空気に急にそわそわし出したギルとミューが視線をあらぬ方向へ漂わせながら迷っていると、
こちらが入ってきたことに気づいたレイが扉のほうを向き、満面の笑みで「おはよう」と言った。
途端、なんだか気が抜けてしまった。

―――そうだった。彼女はこういうひとだ。誰にだって母親のような慈愛をもって接している。
そこにそれ以外の感情はないし、それで普通だと思っているのが、このレイなのだ。

問い詰める意味もない。
しかしびっくりしたのはびっくりしたのだ。ミューはともかく、ギルとしては発散したいところだ。
散々待たされたこともある。
そして結果としてギルが選んだ次のアクションは―――




「レイから離れろこの色魔ァァァァアアアアッ!!!!!」

「いったぁぁぁぁあああああッ!!!??」



幸せそうな顔でぐーすか眠る男に盛大な蹴りをくらわすことだった。




「……っう、ううぅう……何なんだよ朝から……」

レイの膝枕&ベッドの安眠コンビから突き落とされたゼノは、さすがの人気役者の運動神経でなんとか受身を取ると、数回転がったあと床に両腕両膝を付いた状態で停止した。
ギルの右足がクリーンヒットした腹部をさすりながらよろよろと立ち上がる。
何事か、と寝起きにはっきりしない目をこすりつつ顔を上げると、寝乱れた紫の髪の間、深い青が近寄ってくるのが見えた。

そして差し出される、白いバングルがはまった手。


「大丈夫かゼノ?」

「!」


耳に届いた声にはっと顔をあげると、そこには本当に心配そうな目をしてこちらを覗き込むレイがいた。
水色の瞳に写り込んだ自分の情けない顔をいつか一度見たような気がして、靄のかかった記憶を探る。


―――そうだ。

自分は昨日、この九つも下の少女の腕の中で泣きながら眠ったのだ。
今まで誰にも言うことのなかった過去や本音、すべてぶちまけて。
彼女はそれを全部受け止めて、そして包んでくれた。

やさしい眼差しと声がフラッシュバックする。



「…あ、………レ、レイちゃん、………」

みるみるうちにゼノの白い頬が赤く染まっていく。
なんとか言葉を吐き出そうとするのだがうまくいかず、乾いたのどは挨拶も紡ぎ出せない。
なんて情けない。自分がもっとも得意な女の子の相手なのに。

「うん。おはよう、ゼノ。いい朝だな」

「!!……お、おはよう……」


昨日はあまり真正面から見ることのなかったレイの笑顔を向けられて、
心と脳のどこかで、何かが崩れ落ちた気がした。






一方、ことの成り行きを見守っていた姉弟。

二人はいったい何が起こっているのやらさっぱりわからず、キラキラ笑顔のレイとそれを見つめて赤面するゼノをなぜか意味もなくベッドの陰にしゃがんで隠れながら見つめていた。

無理もない。二人にはゼノの過去の話は聞かされていないし、ましてや彼の心境などわかるはずもないのだ。


先ほどイライラをとび蹴りで発散させたはずのギルはまたもやイライラを募らせつつ、
未だ視線は二人に固定させたまま傍らの姉へこそこそと問いかけた。

「(昨日の夜あいつらに何が起きたんだよ!何だよ、何で頬赤らめてぽーっとしてんだあのヤロー!)」

しかし、そう問われてもミューが知るはずもない。知識状況はギルとまったく一緒なのだ。
温厚な彼女にしては珍しい若干投げやりな回答が、二人を凍りつかせた。


「(わっ、私だって知らないよ!でもレイはなんともなさそうだし、なんか慰めてもらって惚れちゃったとか、そういう……)」



「「………ん?」」



姉弟は同時にフリーズした。
ギルはともかく、ミューは自分がいったことにびっくりして目を見開いている。


待て。待て待て待て。とりあえず整理しよう。
レイがなんともなさそうなのは確実だろう。いつものように天然なんだかバカなんだかよくわからない、なんにも気にしていない顔でニコニコしている。若干失礼な気もするがそれが事実だ。
そしてゼノがレイに慰められたというのも、また確実だ。昨日この部屋から聞こえた泣き声はまさしくゼノのものだったわけだし(だいたいこの部屋にゼノ以外の男はいなかった)、あのような状況下にあった彼をレイが慰めようとするのは彼女の性格からして当然の行動だろう。
そしてその慰めがゼノになんらかの影響をもたらしたのも、懐疑的な姉弟の心をあっという間に開いたレイを思えば、また不思議なことではない――――




「………うそ、だろ?」

「まさか………」




やっぱりゼノは、レイに。





「「えええええええぇぇぇええぇぇえええ!!?」」


「二人ともうるさいぞ!朝なんだから静かにしろ!」



二人の叫びを向けられたはずの男は相変わらず赤い顔でレイを見つめており、
姉弟は唯一何も気付いていなさそうなレイから、非常に常識的なお叱りを受けたのだった。










しばらくして。

すっかり髪も服装も、ついでにいうと顔も整えたゼノは、宿の食堂の一角で頬杖をついていた。
机を挟んだ向かいには、レイ、ギル、ミューが並んで座っている。


朝の騒動のあと、ようやく落ち着いた四人は食堂に移動し、朝食をとりながらことの経緯を話すことにした。
ゼノが昨夜レイに話したという過去の話から始まり、ギルとミューが旅をしていた理由、途中でレイに会ったこと、レイ自身の話、島であったこと、神器のこと、今の旅の目的。
ゼノは自分のことをしっかり話してくれたし、三人の話も静かに聞いてくれたが、唯一三人の種族のことに関しては少し難しい顔をした。

ハーフエルフの姉弟と竜人の少女なぞ、普通に聞いてすぐ受け入れられる話ではなかった。けれど彼自身も種族に関することで苦しんでいたひとりだ。
これで、四人はほとんどすべての情報を共有したことになるのだった。


瞳を閉じて何事か考えていたゼノが瞼を開ける。

「……なるほど。そーゆーことねぇ」

頬杖をついていた左腕を下ろすと、その中指にはまる紫の指輪を見つめる。
彼らが「神器」と呼んだもの。自分と彼らをつなぎ合わせたもの。
あのとき、弟に指摘されて始めて意識した生まれたときから所有しているそれは、そう考えるととても不思議なものに思えた。


「お前はどうする?」
指輪を見つめたまま黙ってしまったゼノをまっすぐに見て、ギルが口を開いた。

もう少しだけ滞在するつもりだったが、昨日あんなことがあっては長くいるべきではないだろう。
しかしこの神器というものの繋がりだけが頼りのこの旅。はっきり言ってしまえばなんのあてもないのだ。
とにかく、なるべく早く先のことを決定しなければならなかった。

「俺たちの行く先はまだ決まってねぇけど、とにかく今日中にこの町を出るつもりだ。旅の目的を考えるなら、お前にもなるべくなら着いてきてほしいけど…強制はしねぇ」

ギルの台詞にゼノが顔を上げる。
否定を表してゆっくりと首を振ると、三人に向けてふっと微笑んだ。
昨日のように、無理して出したものではない。けれどそこに宿るのはやはり、諦めと、寂しさだった。

「いや。あんな騒動起こした後だし、もう戻れねーでしょーよ。戻るつもりもねーしさ」

ゼノのいうとおりである。

そもそも騒ぎの渦中にいたのはこの男だ。自分たちは戦いを止めるために乱入しただけにすぎない。
それもこの有名人となれば、長居すればどんな目に遭うかは考えるだけ無駄だろう。

意味のないことをいったな、と心中で後悔するギルのとなりで、ミューがゼノに問いかけた。

「じゃあ、私たちに着いてくる…そういうことでいいんだね?」

問い、というよりは確認だ。
それにゼノはしっかりと、強くうなずいた。

「おう。今までもずっと旅して過ごしてきたし、足手まといにはならねーと思うぜ」

にかっと明るく笑う。

その笑顔に、三人はひそかにほっとした。
違う意味ではじめてみる笑顔だったからだ。

役者としての自分に飲み込まれたような妖艶な笑みでも、悲しくすべてを諦めた笑みでもない。
はじめて彼自身の前向きな笑顔を見たような気がするのだ。
このずっと年上の新しい仲間との距離が少し近付いたように思えた。


こうして話がまとまると、めずらしくあまり口を出さなかったレイがようやく言葉を発した。
彼女は決して口がうまいわけではない。ほとんど感情のまま話しているから、会話が少しでも小難しい方向にいくとまったく喋れなくなってしまうのだ。
しかしようやく話し合いがいい方向に終わったことはわかったのか、三人に向けてにこっと笑いかけると、ひとつ提案を出してきた。

「なあ、一回座長さんに挨拶しにいったほうがいいんじゃないか?一緒に行くなら荷物も必要だし、昨日、報告もせずに宿まで引っ張ってきちゃったから…」

そう声に出しながらゼノのほうを向く。
ギルもミューもなるほどと頷くと、ゼノのほうを見た。同意を求めているのだ。


「………あ、あぁ…そうだな」


三人の視線を受けて、ゼノは歯切れ悪く賛成した。











ファンタジアのキャンプ地は昨日とまったく同じ位置にあった。

結局あのあと客は戻ってこなかったのだろうか。巨大な天幕はすっかり片付けられ、広間はがらんとしていた。
スタッフたちはゼノの姿を見るや否やすっと頭を下げて挨拶をした。その後ろに続くレイたちにも、軽い会釈を寄越してきた。
これが人気役者の影響なのかと、知らない世界の片鱗を見た気がした。


ゼノに連れられて馬車の中に入ると、内装は思ったより質素なものだった。しかし中は外見からは想像もつかないほど広く、何人ものスタッフや演者がせわしなく出発の準備を進めていた。
ゼノに尋ねると、ファンタジアには専門の魔術師が何人か所属していて、移動中姿が見えなかったり空間がゆがんでいたりするのはその魔法によるものだという。
俺たちは幻想の住人じゃなきゃいけないんだよ、と、ゼノはまた悲しく笑った。


ゼノとゼナが寝泊りしていたという部屋は、ほかの部屋に比べても幾らか小さかった。
あれほどの人気をとっていたのにも関わらず、部屋は団長に拾われてから一切変わっていないのだという。

それは少なくとも二人の種族のことが関係しているのだろう。
誰も言わなかったが、四人がみな同じことを考えていた。



ゼノが昨日から着っぱなしだった舞台衣装から私服に着替え、まとめた荷物をもって馬車を降りようとすると。
「―――…ぁ」
不意にゼノが立ち止まり、どこかを見て呆然と声を漏らした。

何事か、と長身のゼノの体をよけて外を見ると、視線の先には先ほどはいなかったはずの小柄な老紳士がいた。
赤いジャケットに白い服、黒いシルクハットとステッキ。真っ白な立派なひげを蓄えている。
老紳士はこちらの視線に気付いて振り向くと、ゼノの姿を見て笑顔で駆け寄って来た。

途端、ゼノの体が強張ったのがわかった。



「おお、ゼノ!戻ってきてくれたんだな!大丈夫か?怪我はないか?」
「あぁ、はい…平気です」

老紳士がにこりと笑いかけて声をかけると、ゼノは引きつった笑みで返し弱々しく返事をした。
おかしい。確実にゼノは、彼を恐れている。いや、嫌っているのか―――

老紳士はゼノの返事に「そうかそうか」と頷いていたが、ふとその背後の三人に気付くと、表情をすっと対お客用のものに変えた。

「おや、そちらはゼノのファンの方でいらっしゃるのかな?私はファンタジアの座長、Mr.タイムと申します」

Mr.タイムと名乗った老紳士はハットを取ると胸に当て、丁寧にお辞儀をした。
ギルとミューもつられて会釈をする。レイだけが、ゼノと同じような顔で老紳士をじっと見つめていた。


「(なんだ、やけに穏やかだぞ…?失態を犯したのはゼノじゃないにしても、座長として、ここは普通怒るところなんじゃないか?)」
「(それに、どうしてゼナのことは気にしないのかな…?まだ戻ってきてないはずなのに)」

訝しげな姉弟がこそこそと話し合っていると、不意に座長がゼノの腕を引き、馬車から降ろさせた。三人もあわててあとに続く。
座長はゼノを振り返り灰色の瞳を見上げると、非常に上機嫌な様子で話し始めた。

「さあゼノ、昼の前にここを発つぞ。昨日あんなことになったからもうここにはおれまい。次はどこがいいだろうか、なぁ、どこの飯が食いたい?」

「……あ、あの!」


老紳士の声を遮るように発せられたゼノの声は、心の奥からやっと絞り出したかのような、しかし決意のこもったものだった。


「私は、貴方にお詫びを申し上げに来たのです」

「なんだ、昨日のことか?あれは仕方あるまい、気にしとらんよ」

「そうではありません。私がお詫びしたいのは、―――この劇団を抜けることです」


今までずっと続いて来た座長の笑顔が、ふと、消える。


「あんなことがあった以上劇団にはいられないし、私には別の目的ができました。次の街へは彼女たちと行きます。ここへは貴方への挨拶と、荷物を取りに戻っただけです」

「――――そんなことが、許されるとでも思っているのか……?」


先ほどとは打って変わった地に響くような低い声で、座長が口を開いた。
表情の消えた皺だらけの顔にシルクハットが濃く影を落とし、闇の中で青い小さな瞳がゼノを睨み上げる。

座長は拳に力を込めて俯き立ち竦むゼノにつかつかと歩み寄ると、その年齢からは思いもよらない力でゼノの胸倉を掴んだ。


「お前たちを助けてやったのは誰だ?この私だろう!?お前たちのようなクズ、メシが食えているだけでもマシだと思え!おまけにお前は親殺しだぞ?それをわざわざ知らぬフリして置いてやっているというのに、大恩人のもとから去るというのか貴様は!」

ゼノは何も言わない。言い返せないのだろう。握った拳と肩が震えている。こんなにひどい言葉が飛び出してくるのに。
まだあたりにいるはずのスタッフは何も言わない。見ようともしない。
これが、日常なのかもしれない。

「その恩に報いるためにお前たちは金ずる共を集めねばならんのだ!ゼナがいないのならば尚更、お前にはまだまだ働いてもらわねば困るのだよ!この出来損ないめがッ!!」




尚も言い募ろうとした座長の腕を、誰か別の腕が掴んだ。


「いい加減にしろこのジジイ!!」


ゼノが目を見開く。

レイだった。


レイは驚いている老人の腕をゼノの胸倉から剥がすと、ぐいと肩を押しやった。
老人は押されるがままにふらふらと数歩後退する。

そのままゼノを守るかのように、彼の前に腕を広げて立ちはだかった。


眉がきつく寄せられている。
間違いなく、彼女は座長に対して怒っていた。


「さっきから聞いてればなんなんだ、人をモノみたいに扱いやがって!ゼノもゼナも生きてるんだぞ!お前は恩だかなんだか言ってるけど、結局人気集めをこいつらに任せっきりにして、いざいなくなったときに儲けられなくなるのが惜しいだけじゃないか!自分じゃなんにもできないくせに、えらそうにするなんて大人のくせに卑怯だ!」


それは至極当然のこと。

しかし、今までゼノにはこういってくれる相手などいなかった。
みんながみんな、この男が怖かったのだ。いつか捨てられるのではないかと。
そしてゼノもそうだった。自分がいなくなったらこの劇団はやっていけないと知っていながら、また追い出されることがこわくて。何より大事な弟を苦しめたくなくて。
そうしてされるがままになって、今まで生きてきたのに。


彼女は今、自分のために怒って、自分を守ろうとしてくれている。




―――ああ。やはり、彼女は。




老人の額に青筋が浮かんだ。
無理もない。いきなり出てきた子供に卑怯呼ばわりされれば誰だって腹が立つ。

「なんだとこのガキ…!この私にそのような口をきくとは、いい度胸だ!こらしめてやる!」

傲慢な老人はステッキを振りかぶると、その先をレイの頭目掛けて勢いよく振り下ろした。

レイが避ければゼノにあたる。
ことを見守っていたミューも、ギルも、誰もが当たると思った。



しかし。
それはレイの頭を打つことなく、淡く紫色に光る何かに阻まれてとまっていた。


「!……ゼノ…!?」

「もうやめてくれ、座長!」


驚いたレイが見上げた、そこには。


右手でレイを抱き寄せたゼノが、利き腕である左手に持った紫電を纏った銀の槍で、老人のステッキを止めている姿だった。


見れば彼の灰色の瞳は淡く紫を帯びて光り、左手の指輪の宝玉も同じ光を放っている。
―――紛れもない、神器の覚醒だった。



「ゼノ、貴様主人にはむかうのか!」
何が起きたかよくわかっていない座長はばっとステッキを自分の体の脇に引き寄せると、皺だらけの顔をぐしゃぐしゃに歪めてゼノへ向けて吼えた。
その瞳には僅かなおびえが伺える。

一方ゼノは、先ほどまでの気弱な態度はどこへやら、その瞳は自信に満ちていた。


「…確かにあんたは俺とゼナにとっては命の恩人さ。だけど、あんたのもとにいて「救われてよかった」と思えたことは一度もないんだよ。―――俺のことは俺が決めるよ。ゼナが自分で、自分の思うことをやったようにね」

はっきりとした声。今まで座長が、役者以外のゼノからは聞いたこともないような力強い声だ。
レイはなんだか嬉しくなって、自分を抱き寄せるゼノの腕に手を添えると、頼もしい彼を見上げてにっこりと笑いかけた。
気付いたゼノは一瞬恥ずかしそうにはにかむも、同じように笑い返した。


老人はすっかり力が抜けてしまったようで、呆然とした表情でへなへなと崩れ落ちた。
同時にゼノの槍が淡く光り、紫の粒子となって指輪へと吸い込まれていく。

その様子を不思議そうに見ていたゼノに、レイは彼の腕から抜け出しながらそれが「覚醒」であることを教えてやった。


ゼノとレイが、ミューとギルを見る。
ふたりは同時に微笑むと、ミューはレイのもとへ駆け寄っていった。

ギルは未だへたり込んでいる老人へ近付き、丸まった背中を見下ろして言う。

「……そういうことだ、爺さん。俺たちはもう行くけど、あんたらもメンデルを出るなら早くしたほうがいいぜ。―――余計な噂流されたくないなら、さ」

その様子を、ゼノがじっと見ていた。

未だに信じられないのかもしれない。
長年支配を受けてきた人物のもとから、自分の手で開放されたなど。
きっとそれまでにも、いろんな手助けがあったのだろうけれど。

ギルが反応のない老人のもとから離れ、町の中心へ向かって歩き始めた。
ミューも体をそちらを向け、顔だけでゼノを振り返る。

「ゼノ。……行きましょう」

そうしてギルのあとをついて歩いていった。
レイが笑い、ゼノの手を引く。



「………ああ」



やっと返事を返すと、ゼノもまた、歩き出した。
ファンタジアへ背を向けて。




背後から、彼の旅立ちを祝うスタッフの歓声と、拍手が聞こえる。

ゼノは勝ったのだ、理不尽な支配に。








大事なものの別れと引き換えに手に入れた自由な空のもと、ゼノはようやく、ひとりの男としての人生を歩み始めたのだった。





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