Episode.9 港町へと 眠っていた記憶が目覚めていく感覚に吐き気を覚えた。 「すっごぉーいっ!!」 少年めいた少女のアルトの声が、朝方の人々の喧騒を切り裂くように響いた。 「おっ…おいレイ、静かにしろ!恥ずかしいだろうが!」 「だってだってギル、ほら見て、すごいぞ!あんなでっかい灯台はじめて見た!」 「あったりめーだろ、ここは天下の港、レイトブルク港だぞ!つーかお前それ言ったの何回目だ!?」 「んーっとね、十回目!」 「答えてんじゃねーーッ!!」 「……二人とも、すごい恥ずかしいよ……」 はしゃぐレイ、怒鳴るギルの間に挟まれて、ミューが身体を縮こませながら俯いた。 一行はピーズフルートから海を渡り、夜をひとつ越えて、ようやく港に着いたばかりだった。 島とその周囲の海から出たことがないというレイは、初めて見るものばかりの光景にきゃいきゃいと幼い子供のように跳び回っている。 手綱を離せばどこかへ行ってしまいそうだ。 レイたちの住む世界「ヴェルニカ」のなかの大部分を占める地上を指し示す「ユニフェロン」には、いくつかの国がある。その中でも豊かな自然と高い文明が共存しているのが、「ロックウォート王国」だ。 そしてその王国の玄関口となるのが、今レイたちのいる「レイトブルク」という港町である。 ギルとミューは昔なじみだという漁師の男性から船を貸してもらい、ピーズフルートまで渡ったのだという。 「……どうやら今日は、帝国との取引の日らしいな」 レイの横で、ギルが小さく呟いた。 二人が少年のほうを向く。 「取引?なんでそんなことわかるんだ?」 「当たり前だろ。ほら、あそこのデケェ船見てみろよ。帝国の国章がついてる」 ギルの指先が、レイたち三人の船が泊まった場所より奥に泊まっている巨大な艦船を示した。 レイはその先を辿り、開いた口がふさがらなくなった。 レイトブルクの数ある乗船所のうちもっとも大きな箇所をたった一艘で占めるその船は、遠目に見れば鉄の塊かと思うような無骨な姿をしていた。 船首の長い鋭利なフォルムは漆黒にコーティングされ、その中腹ほどに金の紋章が刻み込まれているのが見える。 その紋章は翼に噛み付く狼の姿を象ったものであり、初めて見る獰猛なそれに、レイは思わず眉をしかめた。 「そっか、だから朝から人が多いんだね。……また戦争、なんてことにならなければいいけど……」 「どうだかな。もしまたヒト同士でドンパチ始めようってんなら、それこそホントの馬鹿だぜ。世界全体がワケのわかんねぇ災害で溢れてるってのに」 「ちょっとギル、聞こえちゃうよっ」 ギルとミューが徐々に港から遠ざかろうとしているのにも気付かず、レイは尚も、帝国の船を見つめ続けていた。 胸中をぼんやりと渦巻く、既視感。 眠っていた記憶が目覚めていく感覚に吐き気を覚えた。 ふらり、と傾く体を、どこからか伸びてきた腕が支える。 「………ッ、ギル?」 「さっさと行くぞ、バカ。早いとこ宿見つけて、今日のうちは休んでおかねぇと」 レイより身長は低いが、それでも女性のレイを受け止めるだけの力はある。 見上げた瞳に映る少年の言葉に緩慢な動作で頷くと、ぐっと下肢に力をこめて立ち上がった。 それを確認した手が引っ込み、黒髪がひるがえり歩き出す。 進行方向でミューが心配そうな顔で待っているのが見えて、レイは無理やり笑顔を作り出すと、軽やかに彼のあとを追った。 その光景を、ふたつの影が路地から見つめていた。 「―――まだ三人、か。全員そろうのは当分先かな…」 壁によりかかっていた影が呟いた。言葉は少々面倒そうだが、口元は笑みのかたちに歪んでいる。 その対面、積み上げられた箱の上に器用にあぐらをかいていたもうひとつの小柄な影が、その声の主を鋭い視線で射抜く。 「ぶつくさ抜かすな。それに、竜への襲撃が一昨日だと考えればむしろ早いほうだ」 「そりゃそうだけどさぁ、ずーっと見てるだけじゃつまんないよ。だから監視役って損なんだよねぇ」 長身の影は不満そうに唇を尖らせ文句を言った。 対する小柄な影は相手の態度に呆れたようにため息を吐くと、箱の上に立ち上がる。 「命令だ。我らに逆らう術などあるまい」 「……ま、ごもっともだね。もっと下のほうは退屈しなくても命の保障はないし、まだマシってとこかな」 ふ、と不平を引っ込めて、再び口角を笑みに吊り上げる。 小柄な影は箱から軽やかに飛び降りると、相手を見上げ口を開いた。 「何、うぬが兄殿をうまく誘導すれば事足りる。退屈が嫌ならば己の仕事を迅速かつ確実にこなすことだ」 そう言い残すと、小柄な影はそれ以上音もなく、まるで闇に溶けていくかのようにして、一瞬にして姿を消した。 長身の影はその相手がいたはずの空間を空ろに見つめながら、笑みを深くしてゆく。 「言われなくてもわかってるよ。ねぇ、兄さん――――?」 人々の喧騒の裏、不穏な空気が渦巻いていた。 「はぁ?部屋が余ってないぃい!?」 小さく質素だが綺麗に掃除された宿屋、その受付で黒髪の少年があげた大声に、後ろのレイとミューは思わず耳を塞いだ。 同じくその大声を真正面から受けた受付の中年女性も、耳を塞ぐまではしないが顔をしかめている。 「しっ…仕方ないんだよ、今日は。あんたらも見ただろう?」 女性はカウンターに両手をついて身を乗り出しながら睨み付けるギルをなだめるように、両手を顔の前でひらひらと揺らした。 「帝国がおっきな船でやって来ててねぇ、そのおかげでうちの部屋は全部兵士や医務員、商人やら見物客やらでいっぱいなのさ。ここらの宿屋はどこも似たような状況だろうが、試しに他をあたってみたらどうだい?ひとつくらい空いてるかもしれないよ」 「さっきのとこでも同じことを聞いた。ここが最後だ」 「あら、そうかい…」 レイたちは今夜泊まる場所を求め、もうすでにこの周辺の宿屋をすべて回っていた。今回の宿屋は最後の頼みだったのだが、それも打ち砕けてしまったようである。 先ほどまでの剣幕はどこへやら、すっかり肩を落としてしまったギルとその背後で困ったように俯くミュー、いまいち状況の読み込めていないレイを目にし、女性もつられて残念そうに眉を下げる。 「泊めてあげたいのはやまやまなんだけどねぇ、こっちも商売なんだよ。悪いねぇ」 「あ…いえ、大丈夫ですおばさん。すみません大声出しちゃって…」 「いやいや構わないよ、……ああそうだ、」 ミューが相手をしていると、何か思い出したらしい、女性は身をかがめてカウンターの下の棚を探り始めた。 何事か、とギル、その肩からレイとミューが顔を出すようにして、三人が見つめる。 「…ああ、あったあった。これだよこれ」 ようやく何か見つけたらしい、女性はそう声を上げ、何かを掴んで立ち上がった。 その手が持っているのは生成り色の大きなバスケットで、蓋にかわいらしい刺繍の入ったナプキンがかけられている。 「昨日旅のお客さんを泊めたんだけどね、旅業なんてもん儲かんないから一文無しだったのさ。昨日は混んでなかったし特に汚く使ってるわけでもないから別に構わない、っていったんだけど、でもお礼がしたいってんでパンを焼いてくれたのよぉ」 そういって女性がバスケットの蓋を開けると、ふわりと小麦と果物のいい香りが漂ってきた。 中には丸いものから細長いもの、黒いものや白いものにドライフルーツの入ったものなど、非常に美味しそうなパン類が詰め込まれていた。 後ろではレイが早速目を輝かせている。 「ついでにジャムまでつけてくれちゃって、朝にでもどうぞっていうんだけどあたしゃ小麦がダメでねぇ。どうせだからお客の子供にでもやろうか、なんて思ってたんだけど……こりゃ丁度いい、持っておいき」 「っ、えぇ!?」 「いいのかおばちゃん!?」 「そうじゃねぇだろ!」 いったい何を言い出すのやら、と聞いていれば、せっかく貰ったパンを持っていけという。 ミューはまさかの発言に驚いて声を上げ、レイはきらきらした顔で女性へ詰め寄り、ギルはそんなレイにつっこみを入れた。 絶妙すぎるコンビネーションに、女性がクスリと笑う。 「で、でも頂けないです、こんなに美味しそうなものをこんなにいっぱい…」 「いいんだよ。どうせ誰かにあげるつもりだったんだ、それが旅の子供たちになっただけさ」 女性はにっと口角を吊り上げ、人懐っこい笑みを浮かべてみせた。働く大人の大きな手で、きょとんとしていたギルの肩をばんばんと叩く。 一瞬痛みに眉根を寄せたギルも、その笑顔につられるように、ふっと笑った。 「…どうも。恩に着るよ」 「ありがとうおばちゃん!やったなミュー、これでもう歩いてる途中にお腹鳴んないぞ!」 「やっ…ちょっとやめてよレイ、言わないで!……ありがとう御座います…!」 レイがにっこりと明るく笑い、ミューの頭をぐりぐりと撫でた。 思わぬタイミングで恥ずかしいことを暴露されてしまったミューは白い頬をカッと赤くし、撫でる手を避けようと身を引きながら女性へ礼をいう。 ギルが籠を受け取ると同時に、宿屋の奥のほうから兵士と思しき男が顔を出し、女性を呼んでいるのが見えた。何か頼もうとしているらしい。 女性はそれに気付くと「はーい、今伺いまーす」とよく通る大きな声で返事をし、再びレイたちのほうを向く。 明るかった表情がふと曇って、心配そうに眉尻を下げていた。 「……本当に、すまないねぇ。大きな声じゃいえないけど、なんだったら帝国のやつら追い出してでも泊めてあげたいくらいなんだけどねぇ。他国相手に喧嘩売っちゃ、女王様にご迷惑がかかるし…」 「いいんですよ、わたしたちは。野宿だって慣れてますし…」 「そうはいったって、あんたらまだ15、6だろう?子供じゃどんなに旅慣れしてても危ないし心配だよ。最近は妙な事件も災害も多いし、魔物だって増えてるっていうじゃないか」 そういって女性はふと思案顔になると、今度はエプロンのポケットから、一枚の小さなカードを取り出した。 ギルの手をとり、そっと握らせる。 ギルが手を開き、後ろからレイとミューが覗き込むと、そのカードは真っ白な地に金で模様が入り、青いインクで「宿屋ミルト港 フラウ・ミルト」と書いてあった。 「おばちゃん、これは?」 「このあたしの名刺さね。あたしの友達が個人的に馬車を持ってるんだけどね、今日の昼前に荷物乗せて隣のメルデンまで行くんだよ。向こうはここより大きな町だし、旅の準備も揃うだろう。友達の名はルッキーノ。赤毛の人懐こそうな大男だよ。この名刺を見せな、きっと乗せていってくれる」 再び兵士の声が届いた。 女性はまた大きな声で返事をすると、三人の子供たちの無事を祈るように、レイたち全員の肩を叩いた。 「無事でいっておいで。あんたらの目的は知らないが、死んじまったらもともこもないんだからね」 そう言い残してにっこりと笑うと、女性は踵を返し、呼ばれたほうへと駆けていってしまった。 取り残されたレイが、うれしそうに微笑みながら口を開く。 「いい人だったな。パンくれたし、馬車も紹介してくれたし」 「…うん…」 対するミューは肯定を返しながらも、あまりそれらしい感情は篭っていない。それどころか少し悲しそうですらある。 ギルに至っては肯定も否定も、返事すらしなかった。 「…行こうぜ。メルデンだ。あそこは王国のさまざまな場所に通じてるから、移動もしやすくなるはずさ。なんなら早いほうがいいだろ」 不思議そうにしていたレイを振り返り、二人に向かってギルが呼びかけた。 そのまま返事も待たず、さっさと歩き始めてしまう。 慌てたように追いかけるレイのうしろ、 ミューは未だ、旅を続けるうえで触れる人の優しさを、信じられずにいた。 |