Episode.8 船出 髪と同じ瑠璃色の宝玉が、まるでレイの視線に応えるように、日を映して煌いた。 ざざ、ざ、ざざざ、ざざ、ざ。 何度も寄せては返す波が船を揺らす。 甲板で水平線に沈みゆく夕日を眺めているレイの髪は、潮風に靡いてキラキラと煌いた。 白の少女と黒の少年の旅へ同行することを決めたその日、出発するには早いほうがいいと、嵐の去ったあとの穏やかな海へ、二人が借りてきていた船に乗り島を出たのだった。 ミューは「無理をさせてごめんね」、とすまなそうに謝ったが、多くのヒトの血に塗れ、死のにおいの充満したピーズフルートにいつまでも留まることは、今のレイにとってはただの苦痛に過ぎなかった。 今この海には、多くの魂が漂っていることだろう。 そしてそうしたのは、紛れもない、レイ自身だった。 「―――……ッ、」 ぐしゃり、と。 前髪を強く掴むようにかき上げ、きつく眉根を寄せる。 「みんなッ……みんな、私のせいで、死んだ……っ!!」 搾り出すような言葉と共に、罪の重さに耐え切れなくなったように、ずるずるとその場にしゃがみこんで腰を下ろす。 涙がぽたぽたと落ち、茶色のブーツを少しずつ、濡らしていった。 島の人々だけではない。 怒りに任せ、襲ってきた賊たち全員を殺した。 未だにレイの手のひらには、肉を引き裂く剣の感触が残っている。 思い出せば思い出すほどカタカタと震え始めるてのひらを見つめ、ぎゅっと握り締めると、自身を抱き締めるように膝を抱えて顔を埋めた。 「……レイ、今、いいかな?」 しばらくの間そうしていると、背後から声がかかった。 鈴を転がすような、澄んだ高い声。 顔を上げて緩慢な動作で振り向くと、そこにいたのは、両手にカップを持ったミューだった。 レイの無言を肯定ととったのか、ミューはレイに近づくと、少し距離を開けて隣に座った。 「……どうしたの?」 「あ、…えっと、もしよければ、なんだけど。風冷たいから、少しでも身体休めたほうがいいと思って……」 そういってミューが差し出したのは、大きめのマグカップによそわれた温かなスープだった。 「あったまるしよく眠れるよ。…く、口に合わないかもしれないけど…」 ふわり、と、花がほころぶように微笑む。 しかしすぐに笑みはひっこみ不安そうに眉を下げる忙しい表情を見て、レイは思わずクスリと笑った。 「ふふ、…ありがとう。もらうよ」 「え、…あ、ううん、どういたしまして」 ミューからカップを受け取って、スプーンで軽くかき回してみる。 琥珀色の液体の中にはとろとろに煮えた野菜がたくさん入っており、野菜の種類が豊富ではない島での魚主体のスープとは少し違って、レイにとっては新鮮だった。 今のレイにしてみれば、肉が入っていないのはありがたい。…あの光景を、思い出すからだ。 一口含んでみて、レイは思わず声をあげた。 「うっめぇ!!」 傍らで同じようにスープを口にしようとしていたミューの肩がびくりと跳ねて、驚いたようにレイのほうを向く。 レイはぱぁあ、と、先ほどまでの落ち込んだ様子がうそのように満面の笑みを浮かべた。 「これものすっごいうまいぞ、ミュー!天才だな!」 「え、やっ、そそそそんなことないよ!」 「謙遜するなって、こんなうまいスープ初めて食べた!なぁ、なぁ、この野菜なに?本土に生えてるのか?」 「え?あ、それはキャベツだけど…」 「すげーっ!」 ミューは思わず、目の前でスープを覗き込み小さな子供のようにはしゃぐ少女を見つめ、金の瞳を困惑げに瞬かせた。 初めに出会ったときのレイは何もかもに絶望したかのような暗い瞳をしていて、正直にいってしまえば、すぐにでも逃げ出してしまいたいほどに恐ろしかった。しかし同時にその目は救いを求めているように見えて、どうしても動くことができなかったのだ。 先ほど背後から眺めていた様子では怯むことこそなくなりはしたものの、それでもどこか違う世界で生きている存在のような錯覚を覚えて、一瞬だけ浮かべた笑みはひどく大人びて見えた。 しかし今、彼女は顔を、声を、雰囲気そのものを明るくして、身体全体で感情を表現している。 もう一度思うが、やはり子供だ。 生き残った伝説の竜だとは、今の彼女を一目見ただけではわかるまい。 その矛盾に溢れたこの少女を、竜を。 もっと知りたいと、そう思った。 それこそが彼女の魅力なのだ、と。 「…なぁ、ミュー」 いつの間にやらはしゃぐことは止めたのか、食べるのに集中しはじめたのか、レイは口をもごもごさせていたと思えばそれを飲み込んで声を発した。 ミューはそちらに視線をやり、小さく首を傾げて応える。 「ミューとギルは、旅をしてたんだよな?」 「うん、そうだよ。自分たちのルーツと、世界を知る旅」 「私もそこに加わって、記憶を探すんだよな?」 「…うん、そうだよ。あなたはわたしたちと同じ。同じ道を辿れば、きっと見つかるはずだよ」 ミューがそう答えた途端、レイは手に持っていたスプーンをピッ、とミューのほうへ突き付けるように向けた。 思わず身体が引き、金の瞳が銀色の曲線へ移動する。 「そう、それなんだ」 ミューを指したスプーンが何度か揺れた。 スプーンをマグカップに戻し、ぐい、と一気に煽る。猟師生活に慣れた大食漢にとって、一杯のスープはすぐになくなってしまう。 カラン、と音を立てたカップをまだ残る僅かな温もりを求めるようにてのひらで包むと、そっと膝の上においた。 アイスブルーの双眸は地平線に沈む夕日へ向けられている。 蒼、紫、赤、金。さまざまに煌くその瞳を、ミューはただ、美しいと思った。 「それって…なに?」 ミューが問う。 「私と同じ、って、いっただろ?」 「…うん」 「それって、どうやってわかったんだ?あんな辺鄙なところにいたのに…」 「ああ、そういうこと?」 ミューは合点がいったようにうなずいた。 一方、レイは皆目見当がつかないようで、眉根にぎゅっと皺を寄せながらひたすら悩んでいる。 無理もない。彼女はミューたちと違って、知識も記憶もないのだ。 改めて、ずっとこの地で過ごしてきたのだと、ミューは思った。 しゃらん、と音が鳴って、金属質なそれにレイはミューのほうへと視線を向ける。 その手には白い十字に金の宝玉と白の片翼が飾られた、華奢なペンダントが握られていた。 「それ、さっきの…」 「うん。見たでしょ?わたしたちとレイの共通点」 この白髪の少女は、先ほどレイの目の前でこのペンダントを使って力を披露してみせたのだ。 武器を自在に召還し、操る力。 どの種族にも特定の能力はあるものだが、この力は種を別とする互いの間に共通しているものだ。 そのような能力が異端であることは、島での生活の記憶しか持たないレイからしてみてもわかることだった。 「わたしたちは、これを『神器』って呼んでる」 「ジンギ?」 「そう。不思議な力の源。…レイのバングルも、きっとそうだよ」 指差された自分の手首を、アイスブルーが見下ろす。 髪と同じ瑠璃色の宝玉が、まるでレイの視線に応えるように、日を映して煌いた。 「神器と神器は、互いに近付くと共鳴し合う」 ふと背後から、少年の、しかしミューとよく似た響きの声が聞こえてきて、レイとミューは同時に振り返った。 そこに立っていたのは、癖の強い黒髪を潮風に遊ばせたギルだ。 カツ、カツとブーツの硬質的な音を鳴らしながら、レイたちのもとへ近寄っていく。 「はじめは俺らに仲間がいるなんて、思いもしなかったんだ。ただ当てもない、"自分たちのルーツを探る"なんて、馬鹿げた理由の旅を続けていた」 「あの島を目指していたのも、本当はただの偶然なの。ピーズフルートが『狭間の島』って呼ばれてるのは知ってたから、わたしたちのことも、なにか分かるんじゃないか…って。そうしたらわたしたちのものではない神器に共鳴反応がでて、あなたがいるってわかった」 ミューがギルの言葉を引き継ぐ。 そこでレイはわずかな疑問を抱いて首を傾げ、思い切って問いかけた。 「たしかにあそこは狭間の種族が集まる場所だけど…なんでミューとギルがここを目指すんだ?もとは植民地だった場所だし、そんなに歴史もないのに」 「…!……そうか、レイはまだ『マナ』が読めないんだね」 レイの問いにミューが驚いたような顔をして、ギルのほうは意外、といわんばかりに片眉を跳ね上げた。 ミューの呟いた『マナ』という単語もわからないレイのほうはなんだか馬鹿にされたように感じて、思わずむすっと唇を尖らせる。 その表情に気づいたギルはミューと素早く視線を合わせ、次いでレイの瞳を見た。 アイスブルーと黄金がかち合う。 「『マナ』ってのは、すべての世界を構成する力の源のことだよ」 ギルがそっと口を開く。 「そのマナはどんな場所でも、当然ヒトや植物の体内にも存在していて、個々を構成している。魔科学や術に使われるのもこのマナだ。俺らはマナが読めるんで、同じような存在のあんたもできると思ってた」 少年の軽く握ったこぶしがトン、と自身の胸を叩き、次いでレイのほうを指差した。 視線は水平線からわずかに覗く夕日に向けられ、打ち寄せる波が足元から砂を奪っていく。 「まだ覚醒していない、ってことかな……。神器が反応したのも、今日が初めてなわけでしょう?」 「うん、それはそうだけど…結局二人がここを目指してた理由はなんなんだよ?」 マナの意味はわかったが、肝心な問いの答えが聞けていない。 話を逸らそうとしていたのだろう、二人の顔が少し困ったようになって、再び同じ金の瞳が合わせられた。 決心したように頷きあうと、ミューが立ち上がり、ギルが隣に並ぶ。 ふたりに同時に見下ろされるかたちになったレイは、少し驚きながらも二人の似た顔を見上げた。 「わたしたちがここを目指していたのは―――……」 薄く開いた桜色の唇から、淡い言葉が零れ落ちた。 ミューの手が大きなリボンのついたカチューシャに、ギルの手が耳当てに伸びる。 それが同時にはずされて、露になった耳のかたちに、レイは思わず目を見張り立ち上がった。 「……―――狭間だから、だよ」 ギルの言葉が静かに響く。 先ほどまで巧みに隠されていた二人の耳は、人族ともエルフともつかない、ほんのわずかに尖った歪なかたちをしていた。 その先には髪色と同じ、ミューは白の、ギルは黒のラインが二本入っている。 その特徴的な耳は、レイのたったひとりの姉妹――――ハーフエルフの、マーサと同じものだった。 「……そっか。だから、狭間の島を…」 「そう。…本土では、ハーフエルフはすごく珍しいの。人族とエルフの個人的な交流は禁止されているから」 「そんな場所で俺らのルーツを探れっつったって無理な話だろ?俺らの力や神器は"禁忌の子"だからだと思ってたから、同じ種族を探し出せば何かわかるはずだと思ってた」 「……でも、来てみたら」 そこまで言って、ミューは口をつむぐ。 俯いて視線を足元に落とすミューの頭をそっとなでると、ギルはレイを向き直った。 「でも、あんたがいた。ハーフエルフじゃなかったが、それでも同じ力を持つあんたが。俺らと同じ力を持つ存在はきっとほかの種族にもいるんだ」 「だから、そのヒトたちを探すんだな」 レイの言葉に、ギルが力強く頷く。 徐々に暗くなっていく空の下、少年のまっすぐな金の瞳は、それでもキラキラと煌いていた。 レイはそっと、まぶたを落とした。 聞き慣れた心地いい波音が、耳元を掠めて去っていく。 不思議な力。どんな種族にもない、けれど種を超えて共有することのできる、力。それを持つ仲間。 記憶を一から構築した、この地から出るということ。 不安は多い。 けれど、外に出て己を知り、世界を知って。 ――――そして、この島を襲った犯人を見つけることができるならば―――― すっと開かれた視界には、真剣な表情のギルと、心配そうに見上げるミューの顔があった。 その金に移る己の顔はきっと、ひどいことになっているのだろう。 取り繕うようににっと笑うと、くるりと二人に背を向けた。 「中に入ろう。なんだか寒くなってきた。せっかくミューがスープ持ってきてくれたのに、無駄になっちゃうからな」 そうしてレイとギル、ミューは、マナが動かす少人数用の船の中、小さな部屋で一晩を明かした。 |