七話 | ナノ


Episode.7 
「さようなら、世界」








その日、白と蒼に覆われた美しき街は、大量のヒトの血に赤く染め上げられた。














ザク、と、木でできたしなやかな長弓を盛り上がった地面に突き立てる。
蒼き竜、レイは、いまだ半竜化の解けぬ獰猛だが美しい瞳で、かつてその弓の持ち主だった少女の墓を見つめた。



あの時―――レイは、ピーズフルートの長たるロインの施した封印を解き、竜人の力を解放した。

黒衣のものたちは大量に、それこそ五十に到達するほどいたが、装備そのものは大したものではなかった。
竜の力を封印されていることも、流出した情報のうちに入っていたのだろう。


レイはそのすべてを、殺した。
憎しみを、悲しみを、そして狂気を秘めて。



その後町中を回ってみたが、住人たちはいなかった。―――いや、いない、というのは適切な表現ではないかもしれない。
いることはいたのだ。されど、その口が言葉をつむぐことはなかっただけで。

よく知る顔が床、壁、地面、あるいは縁者の頬に押し付けて息の根を止めている光景を、レイは見て、そのすべての身体を海に流した。
ピーズフルートに古くから伝わる、鎮魂の儀式だった。





そうして今レイは、己の一番の友であり家族である少女の形見を、グリューネのよく見える丘に突き立てたのだった。

その人ならざる瞳は遠く、太陽の昇る水平線を見つめている。
葬送をしているうちに日は変わり、嵐はとうに過ぎ、夕闇が白く、青く染められていく。

涙はもう一滴も出なかった。

雨がすべてを、流しきってしまったのだ。



「……私がもう少し、はやく着いていたなら……」



色を失った唇から漏れた言葉は、吹き付ける風に流されて消えてゆく。

何度それを思ったことだろう。口にしたことだろう。

いくら後悔しようと時は戻ることはないのだと、知っているはずなのだけれど。


そう思わずにはいられなかった。そうすることしか、できなかった。





遠くの海で、長い首が海面から顔をだし、こちらを伺っているのが見えた。

そっと、瞳を合わせる。

同じようにこちらを見ているはずの赤い瞳の色が見えない。
海色の鱗が朝日にキラリと反射し、また海中へと戻っていった。
ああ、今私はひとりぼっちなのだと実感する。




このまま自分はここで生き続けるのだろう。
例え食事をしなくとも、睡眠をとらなくとも、竜の力を宿した身体は簡単に朽ち果てることはない。
終末を待つ時間のなんと孤独なことか。

淡く、レイの手首に嵌められたバングルの蒼い石が、淡く光を帯びた。
同じ光が握り締められた手のひらに宿って、形を成していく。
それは、蒼く反射する白い刀身を持つ片手剣。彼女の相棒。



ひたり、と。
その切っ先を、首に当てる。


きっと自分は海に入っても死ねないだろうから、せめて自らの手で命を終わらせよう。
みんなと同じ場所には逝けないだろうけれど、きっと罪は償える。
地獄の、業火のなかで。


世界を駆けた竜の伝説が今、ここで、終わる。




















「さようなら、世界」
























カキィイイン!!



金属同士のぶつかり合う激しい音が響き、レイの手にしていた剣が遠くへと弾かれた。
その切っ先は首を落とすことなく、表面の薄い皮だけを傷つけて飛んでいく。
離れた場所でそれは、雨の引き乾いた地面へと、むなしい音を立てて落下した。



「死ンで罪償おうってか、あ゛ぁ?」



驚いて呆然としているレイの耳へ、聞きなれない、少し高めの少年の声が入り込んできた。
弾かれたように顔をそちらへ向ける。



風に揺れる漆黒の髪、鋭く光る金の双眸。
背はレイより少し低いが、しなかやな筋肉のついた腕には、その身の丈以上の大きさもあろう二刃の大鎌を手にしていた。
レイの剣を弾き飛ばしたのはそれだろう。

少年の纏う変わったデザインの服が黒を基調としたものであったため、レイは先ほどの敵の残党と判断、もう片方に握られていた剣を構えた。
そこへ、少しあわてたような少女の声が届く。


「っあ、ち、違うの!わたしたちに攻撃する意思はないわ、お願いだから剣をおろして!」

ちらりと、アイスブルーの瞳が声のする方向を見やる。
そこにいたのは、黒髪の少年とよく似た、けれどどこか正反対な印象の少女だった。


短く切られた髪は真っ白で、同じ金色の瞳もどこか頼りなげで気弱そうだ。
細い身体に白を基調にしたワンピースと纏っており、手には十字架をモチーフにしたのだろう、華奢で背の高いロッドを持っている。

攻撃性のない武器、加えてその怯えたようにも見える姿から彼女に攻撃意思がないことは確信し、一旦は警戒を解いたものの。
それと反対に敵対心の感じられる少年のほうは油断ならないと判断し、構えを解きつつ片手の剣はすぐに振るえるよう持ったままにした。


そもそも、この二人が只者であるとは思えない。
半竜化の状態であるレイに気配を悟られないまま、これほどまでに接近してきたのだから。
侮れないな、と、普段の温厚さの磨り減ったレイは思った。


どこか不機嫌そうに眉間に皺寄せた少年が、大鎌の柄を肩に持たれかけさせながら口を開いた。

「俺はギル、そっちはミューで俺の姉だ。俺たちはあんたに用があってここまで来た」
「……用?」

ギル、と名乗った少年を鋭く見下ろしながら、その口から紡がれた言葉を怪訝そうに復唱する。
その側で、少年の姉だという少女―――ミューが、小さく頷いた。


「えっと、まず勘違いしないでほしいのは、わたしたちは少なくとも敵ではないということ。それから、あなたに有益な情報を持っているということ」
「…私が何か、知ってるのか」
「ああ。よーく知ってる。少なくとも、ちょっと変わったトカゲの半獣とかではないってことと…」

ニヤリ、と。
ギルの口角が、不敵に吊りあがる。





「俺たちは―――あんたが生まれた理由も、その存在の意味も。そのどちらともを共有してるんだよ」






レイの両手が、跳ねる。
剣すらかなぐり捨てて、その手はギルの胸倉を掴み上げた。
急な事態にも少年は怖気づくことなく、むしろ愉快そうにレイを見上げている。


「―――本当?私の欠けた記憶のことを、知ってるのか?私が、何者か……ッ」
「知ってるわけじゃないが、少なくとも目指すものは同じだ。きっと俺たちは同じ存在だからな」
「教えてッ、今すぐに!私は何者なんだ!?」
「まあ待てよ、話を聞けって。だから知ってるわけじゃないっていってんだろ、この馬鹿力!!」

レイの瞳が吊りあがる。天を突くように伸びた角が、わずかに光を帯び始めた。
それを見たミューが慌てたように手を伸ばして、ギルの口をふさぐ。


「むぐっ」
「もうっ、なんですぐ相手を挑発するようなこというの!違うの、わたしたちはあなたに協力してほしいだけよ…!」
「…協力する…?いったい何に?」

先ほどからひたすらこちらとの衝突を恐れるようなミューの態度に動かされて、レイは少年を掴み上げる手を緩めた。
ギルは口に当てられたミューの手を振り払うようにどけて、不満そうな顔でしぶしぶ一歩下がる。
代わりに前へ出たミューが、少し涙ぐんだ瞳でレイを見上げた。



「わたしたちの旅の目的―――世界の真相を知ること。そこにはあなたの、そしてわたしたちのルーツが隠されているの。わたしたちとあなたは、同じ存在だから」


鈴のように澄んだ高い声が、凛と、力強く言葉を紡ぐ。

ミューは、胸に下げられていた白い十字に片翼のペンダントをレイの目の前まで上げてみせた。
その中心に埋め込まれていた金の宝玉が、淡く光を帯びる。
そして彼女の手に握られていたロッドまでもがほのかに輝き、その輪郭を光に隠して―――
宝玉の光が収まるのと、ロッドが光の粒子となって消え去るのは、ほぼ同時だった。


「―――……ッ!」


その力は、つい先ほどレイが使用した妙な能力と同じだった。
己のアクセサリーの宝玉に呼応して、武器を召還したり収納することができる。
先ほどまではこれも半竜化の効果と思い込んでいたが、よくよく考えてみれば自分はそうなる前に一度使用したような気がする。

そのミューの肩越しに、黒い逆十字に片翼のペンダントを掲げたギルの大鎌の輪郭が淡く光って、同じように金の宝玉へ消えていくのが見えた。



レイの唇が、小さく震えながら問う。


「この力は、いったい何なんだ?君たちは、私はいったい―――……」
「それを知るために、あんたの協力が必要なんだ」


ギルの表情はもう、挑発するような笑みではない。
金の瞳は極真剣で、その傍らのミューも、同じ目をしていた。





「わたしたちのルーツを知るために、そして、世界を知るために」

「俺たちは旅をして、そして、同じ存在であるあんたのことを突き止めた」

「あなたが島の仇を討ちたいというのなら、犯人探しに協力したっていい。だからどうか、」


「「お願い」」


「           来てくれないかな?
  どうか、一緒に
            来てくれないか?  」



レイはそっと、瞳を閉じる。


幸せだった日々。偽りの記憶を塗り重ねた、愛すべき地。

自分が何か知りたいという欲求を押さえ込んで、存在価値を作り出すために、ただひたすらに人助けをした。

それがいつか壊れゆくものだと知っていながら。



そして今、己の存在理由も知らないまま、命を絶とうとしている。


天国の家族たちが見たら、なんていうだろうか。











「――――……行くよ」


長い沈黙のあと、竜が口を開いた。
その姿はいつのまにか、人を模したそれへと戻っている。
狂気の失せた静かな、穏やかな水面の瞳が、己と同じだという二人へと向けられた。







「君たちに着いて行く。自分を知るために、世界を知るために―――このピーズフルートの、仇を討つために」










そうして、価値を求める者たちの物語が今、はじまる。








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