わいわいとする試合場から離れ、俺は人気のない井戸で顔を洗っていた。
目が見えなくとも一応井戸まで行けるようになっているのはやはり忍者としての生活をここで五年間してきたからであろう。なんなくたどり着けた。自分も大人になったなあと思ったが瞬時自分の精神年齢を思い出しぞっとした俺はざぶざぶと顔に水を叩きつける。いやいやいやおっさんじゃないですよ俺は。ぴちぴちの14歳だからね俺は。
何かを振り出すような勢いで顔を洗い、洗ってから自分が手拭いを持っていなかったことに気づいた俺が頭巾を使おうと首元に手をあてた時であった。
「お疲れ様でした。」
「え?」
聞こえてきたのは少年の声。現在二人しかいないであろうこの井戸端でもう一人から話しかけられたということは消去法で話しかけられたのは俺ということになる。俺に話しかけたその人物は何かを手渡した。布地の感触、多分丁度今俺が求めていた手拭いだと思う。
まだ目が痛くて瞼が開かないことがもどかしく思いながらも俺は必死に頭を回転させた。
お疲れ様でしたと言われ更に手拭いを受け取ってしまったものの、実のところ人数の多すぎる組のために出てくる委員会無所属の人物の一人である俺にはしっかりとした「後輩」というものを持ち合わせていない。ならば一体誰なのか。訊きたいが相手は只々無言のままであった。
どなたですか?とも誰?言い辛い空気の漂う俺と相手はしばらくの無言を過ごす。
じっと切り詰めた空気の中、そろそろ相手も気まずいのではと思い俺は口を開いた。
「あ、えっと、」
「手拭い、使わないんですか?」
見事に被った。
そうですよね、お言葉に甘えて…と俺は顔を拭く。正直恥ずかしくてもう一回顔に水を叩きつけたい。
急いでごしごしと顔を擦って俺はもう一度口を開いた。
「ええと、」
「大丈夫です。それ、竹谷先輩のなんで。」
被った。
「あの、」
「それ、先日僕が試合終わった時に竹谷先輩が貸してくださったものなんです。返そうと思って持ってきたんですけど、たまたま先輩が目に入りましたので。」
「えっと、じゃあこれ…」
「先輩の方から洗って返しておいてください。竹谷先輩のことですから、返すのは今日じゃなくても困らないでしょうし。」
しっかりとした口調に押されつつ、俺は一応彼の話している内容は理解した。基本人と話しているときは全力を出さないとテンションが上がって話の内容を忘れるので注意が必要なのである。
そんなことよりもお礼を言わねばと俺は意を決して今度こそを口を開いた。
「あ、」
「では、失礼します。苗字先輩。」
顎が外れるかと思った。
今呼ばれたのは確かに俺の名で。先ほどの会話からすると彼は生物委員のはずなのに、俺の名を、委員会にも所属していない俺の名を、どこもかしこもぱっとしなくて最近自分の存在理由を考え始めるまでに至ったこの俺の名前を呼んだのである。学年違うのに。開いた口が閉まる気配がない。
少しづつ薄れてきたものの未だひりひりと痛み続ける目を根性でこじ開け、俺は「少年」の後姿を見た。
温かい黄緑の装束に、首には一匹の美しいフォルムの蛇が一匹。
色々驚きすぎて結局俺はそれから一言も彼に言の葉を投げかけることができなかった。
視界を生理的な涙がぼかしていく。
ごきいっと顎が鳴った。