「名前」
「んー?」
「なんでそっち向いてんだ」
新しい畳の匂いが鼻腔を掠める。自分の部屋なのにしばらく帰ってきていないと懐かしさのような、どこか他人の部屋のような気がして少しぎこちない。
そんな俺のことは知らずに我が物顔で荷物もそこそこに定位置へ寝転がる名前は昔のようないつもどおりで、胸の中に広がる嬉しさや着恥ずかしさが先程までの考えを頭の隅においやった。
荷物を部屋の隅において、おもむろに寝転がっている名前の横に同じように体を横たえる。見上げた天井にある染みは小さい頃は怖いものに見えて仕方がなかったのに、いつかの小さい名前がソフトクリームだと喜んでからはそんな感情もなくなった。空の雲の形や雨上がりの水溜まりの形も色んなものに例える名前がそばにいたから、世界がたくさんの楽しさに溢れていることを知っている。俺の世界は、名前がいたから今もこんなにも色付いてキラキラと光っていた。
名前の方に体を向け、折り曲げた腕の上に頭を置いた。夕日に照らされた名前の顔は、睫毛が影を落としている。比喩ではなく、ずっと見ていられる。そう思う俺を他人は頭がおかしいと言うだろうか。
視線に気づいた名前は、1度こちらを見たあとに寝返りを打って反対側を向いてしまった。
学校から正月の一時帰宅が許され、寮のほとんどの生徒は帰省。例に漏れず俺も自宅に2泊ほど帰ることとなった。
夏頃に、長年の片想いの末想いが通じあってめでたくただの幼馴染から恋人へと関係性を変えた俺と名前は、寮生活の中でお互いの部屋を行ったり来たりしてふたりの時間を過ごしていた。
かなり短い通学路も、名前の寮まで迎えに行って一緒に登校し下校も待ち合わせて一緒に帰る。部屋で本を読んだり夕寝をしたり、変わらない日々を過ごしていた。わかりやすく、俺は有頂天だった。
ずっと好きだった名前と一時期は絶望的だったのにそこからのどんでん返し。有頂天になるのも仕方ない。幼い頃から共にいた時間と比べると離れていた時間はほんの少しでしかないのに、その時の辛さを埋めるように名前と過ごした。
仮免試験に落ちてしまって補講を受けている時も、待ち受けにした新しく二人で撮った写真を休憩の度に見つめては爆豪にドン引きされていた。肝試しの時は感謝していると伝えるとあの時より今の方がウザくて死んで欲しいと言われた。心外だ。
あんな生死の境を彷徨う怪我をしたのに、退院してからは今まで以上に真剣に個性の強化に務め、難なく仮免を取っていた名前には尊敬の念しかない。
名前の心の強さは、小さい頃から憧れて止まない。
そんな日々を過ごしていたから正月の2日離れるのが正直言うとちょっと寂しかった。ご時世柄帰省した家から出ることは褒められたことではなかったので、会いに行くことも来てもらうことも出来ない。あからさまにガッカリしているのをみて緑谷は苦笑していた。
「名前はバスに乗って帰るのか?それとも叔母さんが迎えに来るのか」
「あ、お正月?実はわたし帰らないんだ。お母さんとお父さん地方に出張になっちゃって」
「・・・寮に残るのか?」
「うん、家族居ない家には帰れないしねえ」
「・・・」
というやり取りがあってすぐにクソ親父と冬美姉さんと学校に掛け合い、親戚である家に帰省を許可された次第である。
向こうを向いてしまった名前の後頭部を眺める。合宿の時に出来た傷は綺麗に治ってそこに傷があったことすら分からない。
名前の弄る携帯からゲームアプリの軽快な音楽が流れる。最近ハマったと言ってよくやっているのを横で見ていた。定期的に体力の催促でメッセージが送られてきては、名前に体力を送るだけのアプリを起動する。面白いからやってみてと言われても、名前がやってるのを見てるだけの方が面白い。自分ではああも上手く連鎖できない気がする。
こっち見ろ〜と念を送っても名前はこっちを見る気配がない。向いてもらおうと手を伸ばしたところで、ふと上鳴の言葉を思い出した。
名前のところに行こうと共有スペースを通った時に、今日も行くのかと言われて頷いた時
「轟がそんなにベッタリするなんて思わなかったわー!イメージじゃないって言うか・・・お互いウザッとかならねーの?」
聞いた時はありえないと思ってスルーしていたが、何故かこのタイミングで思い出す。そう、俺はウザいとか思うことは天地がひっくり返ってもありえない。
でも、名前はどうだろう。
避けられていた理由が自分にとってネガティブな感情じゃなく、ポジティブな感情だったから今がある。それは間違いないはずなのに。
急に不安になって、伸ばした手をその肩にかけることが出来ない。本当は名前は寮に居たかったんじゃないか、自分と離れたかったんじゃないかとそんなことばかりがグルグルと頭の中で渦を巻く。
どうしよう、名前は、名前がー
「焦凍くん」
自分を呼ぶ声にハッとして我に返る。呼んだのは間違いなく名前だ。でも向こうを向いたままで。
「なんだ」
今しがた考えていた事で声が震えないよう精一杯繕う。宙に浮いた手は重力に従っていつの間にか畳の上に落ちていた。
名前がゆっくり寝返りを打つ。どんな顔をしているか心臓が破裂しそうなほど怖かった。
「・・・ぎゅってして、くれないの?」
振り向いた名前は、少し頬を染めて口をとがらせてそういった。
その言葉に、その顔に。息をすることも忘れて食い入るように見つめる。心臓が先程とは別の意味で激しく脈打ち、自分の体温が右側でさえも跳ね上がっている気がした。顔もどんどん熱くなる。
「焦凍くん」
「あ、あぁ、うん、」
拗ねたような声を出す名前の声にまたハッとして、先程畳の上に落ちた手を持ち上げる。手をかけた名前の肩も抱き寄せた体も、簡単に俺の体に覆われてしまう。首元に顔を埋めてきた名前の息がくすぐったい。髪から甘い匂いがして、触れてるところは全部やわらかくて、頭がどうにかなってしまいそうだ。
「・・・焦凍くん、ぜんぜん、触ってこないから」
「え・・・?」
くぐもった声の内容がすぐに頭に入ってこなくて、気の抜けた声が喉から漏れた。
「一緒にいるのにさ・・・隣座るだけだし、横に寝てるだけだし・・・なんか、」
「・・・」
「こ、恋人になったのに、なにも、変わらないから・・・か、勘違い?だったのかとか、」
語尾がどんどん小さくなっていく名前の言葉に一瞬頭が真っ白になった。
思い返せば、恋人になってから一緒にいる時間は前より増えたものの、その内容はまったく変わっていなかった。満足していた。隣に立つだけで。同じ空間にいるだけで。関係が変わったことで満たされていたから。
「勘違いじゃねえよ」
小さな体を更にきつく抱きしめる。俺ばっかり好きだとさっきまで思っていた。名前が俺をウザがってたりとか、そんなこと考えて。
どうしようも無い馬鹿だ。
「好きだ」
耳を覆っていた髪をかけて、想いが全て届くように囁く。
「名前、好きだよ」
誰よりも何よりも。名前だけ。
「ほんと?」
「本当」
「・・・じゃあもっとぎゅってしたりしてよ」
そう言って、首元から少し離れた名前の瞳は潤んでいて、頬は先程よりさらに色付いている。
小さな唇が1度噤まれたあと、そっと開いた。
「・・・ちゅうもして」
瞳に、唇に。吸い込まれるように唇を合わせた。
2回目のキスは死ぬほど甘くて、どうしようもないほど苦しい。
「へへ」
唇が離れて視線が合う。まん丸の瞳が三日月のように欠けて、幸せそうに笑う。
髪に、額に、瞼に。笑う名前に唇を寄せては、触れたところからこの温度が伝わるよう希う。
「焦凍くん好きだよ」
この小さな恋人を、今日はもう離せそうにない。
Request by えみさん
えみさん、リクエストありがとうございました!!
やさしい体温番外編激甘ということでしたが、思ったより激甘にならなかったかもしれないです・・・ウッ
焦凍くんが勝手に落ち込んだりしちゃいました。誕生日なのに・・・ごめんね焦凍くん。
番外編のリクエスト嬉しかったです!またほかにも番外編書こうと思うのでそちらも良かったら読んで下さい!!
リクエストありがとうございました!
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