本棚 | ナノ


 ベッドに寄りかかり膝を抱えながら見るテレビは、今日の天気だとか1週間の予報だとか今何が流行っているかなどわたしにとってどうでもいいことばかり流している。
ヒーローニュースも、知らないヒーローが活躍したとか、A組のヒーローたちが活躍とか。ちょっと前までは躍起になってかじりついていたのに、それすらももう億劫になった。


 勝己がいなくなってから1年。その間携帯もテレビも友人も、何も勝己の情報をわたしに届けてくれることはなかった。目まぐるしくすぎる毎日に、わたしだけが取り残されていく。
 毎日必要以上に考えないように、馬車馬の様に働いて。朝はパンだけかじって出勤し、帰ってきて泥のように眠る。そういう日々を送ってきてやっと、勝己を意識しないと思い出せないようになった。
 休みなんていらないのに、上司のヒーローはとても優しいから強制的に事務所を閉めてわたしを出勤させないようにする。そうなったらわたしは誘いがない限り、もう家から出ないで、寝ているかテレビを流し見しているしかなくて。
 そんな意味の無い日々を過ごしていた。そうしたらみんながわたしを心配して定期的に連絡をくれるから、なんだか申し訳なくて。


もういい加減、やめようと思った。こうやって意味の無い日々を過ごすのも、
この部屋で、勝己を待ち続けることも。


 ローテーブルの上に置いていた携帯の画面がパッと明るくなる。誰かからメッセージが入った証だ。緩慢に右手を動かして、携帯の少し手前で手を止める。意識しても、携帯はピクリとも動かない。それにもう悲しくなることはない。わたしの『ものを引き寄せる』個性はもうほとんどないのだから。

 携帯を手に取って画面を見ると名前は轟焦凍と表示されていて、その下に彼らしい簡潔なメッセージが記載されている。

 勝己がいなくなってから3ヶ月が過ぎた頃から、たまに轟くんから連絡が入るようになった。高校でもまあよく言えばよく話していたクラスメイト。卒業してからたまに現場で一緒になる。A組の飲み会で少し話すくらい。そんな彼からの連絡に最初はなんなんだろう、としか思わなかったけど。事務所にきて話をしたり、たまに休みの日に買い物に付き合って欲しいと連れ出されたり。そんな日々を過ごしていって、なんとなく彼なりに励ましてくれているのを感じた。
勝己の亡霊にすがりついて生きる私は、さすがの彼にも見るに絶えなかったんだろう。


『準備はどうだ?大変だったら手伝いに行く』


そう表示されるメッセージに、そういえばこんなにだらだらしている暇はなかったと思い出した。
『大丈夫だよ。ひとりで、ゆっくりやるよ。』そう返事をして、また携帯をローテーブルに置いた。明日、わたしは勝己との思い出が詰まったこの小さな部屋を出る。


 きっかけは、轟くんのところの事務所の事務員が寿退社をして、人数が足りなくなるという話だ。轟くんのところもそれなりに忙しくて、事務員が辞める度にその忙しさを捌くスタッフは通常で募集しても轟くんのファンばかりで。まあ悪くいえば使えない人ばかりが轟くん会いたさに応募しては、その激務に根を上げて辞めていくという話だった。そこで、事務員として働くわたしに白羽の矢がたったのだ。
 轟くんは、今のヒーロー事務所でのわたしの働きをすごく評価してくれている。それに高校の時からの仲だから、気兼ねなく仕事を任せられるし信頼しているとまで言ってくれた。それに、実はわたしがサイドキックをしていた時から、轟くんの相棒としての引き抜きをずっと考えていたのだとこの前出かけた時にこぼした。まさかそこまで評価してくれていると思わなくて。活躍をよくチェックしていたと言われればもうわたしは自分の眼球がぽろりと落ちるんじゃないかというくらいに目を見開いた記憶も古くない。


 わたしがそんな轟くんの評価にしどろもどろしている間に、話はトントン拍子に進んだ。轟くんがわたしの働いている事務所のヒーローに掛け合ってこの度引き抜かれる次第になったのだった。
ヒーローは、わたしの働き方が何とかならないかとずっと思っていて。そんな中での引き抜き。相手はわたしの高校時代のクラスメイトで、さらにビルボードチャート上位をキープしている信頼の熱いヒーローショート。高校の同期のショートに言われればわたしもそれなりにちゃんとするだろうというのがヒーローの見解だった。それに新しいところでやっていくのもいまのわたしには必要だと諭されれば、特に行きたくないと思わないわたしには断る理由もなかった。
あるとすれば、あの小さい部屋だけだ。


 轟くんの事務所は、今住んでいるところから通うには少し不便で、事務所の近くに引っ越すことにした。わたしの生活を心配してか、部屋が広いから一緒に住むかなど提案してきた轟くんはどこまでも轟くんだった。もちろん断ったけど。
 来月から轟くんの事務所で働くので、今月の下旬はヒーローが有給を消化させてくれることとなり、引っ越しもゆっくりできる。

 ベッドに背中を預けたまま、小さいワンルームを見渡す。背中のベッドと、ローテーブルと、ちょっとした雑貨を置いている棚。扉が半分開いてるウォークインクローゼット。端っこにある小さめのテレビ。テレビ台の上や雑貨の棚にある勝己の私物。クローゼットの中にある勝己のスウェット。

 一年間。一年間ずっと捨てられなかった。心のどこかで勝己が、この部屋にひょっこり帰ってくるんじゃないかって、そう思わずにはいられなかったから。でも、それももう終わり。明日引っ越す時に、この部屋のものは全部捨てる。思い出になるようなものは全部置いていく。持っていくのは家電だけでいい。ベッドも買い替えるんだ。このベッドは、思い出が多すぎるから。勝己が褒めてくれた服も、買ってくれた靴も。勝己がよく使っていた調理器具も、何もかも。


「・・・出かけよ」

 引っ越しの準備は帰ってきてからにしよう。捨てるものばっかりで、段ボールに詰めるものはほとんどないからきっとすぐに終わる。天気予報で今日は晴れてお出かけ日和って言っていたのをなんとなく聞いていた気がするから、出かけることにしよう。この街にいるのも、もう最後だから。
 簡単に準備して、部屋のドアを開ける。差し込む日差しに目を細めた。






 近場にある大きめのショッピングモールのカフェで、アイスミルクティーを飲みながら行き交う人々をぼーっと見る。出かけたはいいけど、何か買っても引っ越しの荷物になるだけだから特に何も買えず、よくくるカフェで時間を潰すしかなかった。さっさと帰ればいいのに、なんとなく帰れなくて。

 このミルクティーを飲み終わったら、帰ろう。もう氷と幾ばくかのミルクティーを見つめながらそう思った時、
「っ!」
急に近くで轟音が響き、店内が揺れた。


「何?なんなの!?」
「あっちでヴィランが出たらしい!広場で大暴れしてる!」
「ここにいたら巻き込まれます!速く避難を!」


 店内にいた他の客が揺れで転んでしまったり、轟音にパニックになっている。急いでカフェに入ってきた人が広場でヴィランが出たことを伝えると、店員は速やかに避難指示を出したじめた。
わたしも、びっくりしている場合じゃない。個性が使えなくても、非難誘導はできるんだからやらないと!急いで席から立ち上がり、店員の非難誘導に参加する。その間にも、轟音は止まらず揺れも激しい。

「大丈夫ですか?落ち着いて、足元を見ながら避難してください!」
「あ、ありがとう・・・!」

 店内の客を店員とともに外に出して、店に人が残っていないことを確認する。店員たちも点呼を行い、人数の確認も取れたので、ともに店の外に出た。出た瞬間に見た光景に、思わず足が止まる。

「・・・」

 瓦礫の山に、どこからともなく煙が立ち上る。綺麗だった広場は、その様相を変えていた。遠くに、今回の犯人と思われるヴィランが暴れているのが見て取れる。ヒーローは、まだ到着していないらしい。

「お姉さん!足を止めていないで早く!ここもいつヴィランが来るかわからない!」
「あっ、は、はい」

 店員の声かけに、なんとか足を動かす。今のわたしは、一般人だ。もう何年も、そうやってきたじゃない。個性が使えないんだから、何も、できることはないんだ。むしろいることで、ヒーローが来たときに足手纏いになる。だから、早くいかなきゃ


「うわぁぁん。おかーさん、どこー?」


 小さく聞こえてきた泣き声に、足が止まった。この辺の避難は済んでるはずなのに、一体どこから・・・。あたりを見回して、その声の出どころを探る。あちこちに瓦礫が散乱していて、足元がかなり悪い。子供が歩くとすぐに転んで怪我もしそうだ。

「あ、君!どこにいくんだ!」
「子供の声がします!近くにいると思うから、一緒に連れて避難します!」
「なんだって!?わかった!ヒーローがついたら一応そのことも伝えておく!気をつけて行ってくれ!」
「お願いします!」
 
 泣き声は広場の中心の方から聞こえた。声を頼りに、こちらも声かけをしながら場所を探ると、倒れているベンチのそばに、小さな人影を見つけた。そこから声もする。


「見つけた!っは、大丈夫?お母さんと、はぐれちゃったんだね」
「うううぅ、おかーさん、どっかいっちゃったのっ」

 ベンチのそばにうずくまる子供に声をかけると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら振り向いてくれた。体のあちこちを見ても、目立った怪我はなさそうだ。

「ここは危険だから、お姉さんとあっちに行こう。お母さんも、きっとあっちで待ってるから」
「うんっ、いく、」

 涙を自分の袖で拭いながら、一緒に行くと返事をしてくれたことに安心して手を伸ばした。


「危ない!!!」


 誰かの声が遠くで聞こえて、さらに轟音が響き渡る。音の方向に顔を向けると、目の前に瓦礫が降ってこようとしていた。瓦礫が大きすぎる。避けられないー
咄嗟に子供を抱きしめて右手を瓦礫の方へ伸ばす。もう使えないって、わかっているのに

「・・・・ーっ!」

 お願い、今この瞬間だけでいいから。どうか、どうか発動してよ。腕の中にいる小さい命を、守らなきゃならないんだから。
お願い、お願い、どうか、動け、発動して、発動しろ!!

目の前に絶望が迫ってくる。個性が出る気配はない。もう何もできることがない。 
このまま、ここで、死ぬのか。こんなところで・・
それこそ本当に、もう勝己に会えなくなる。勝己、もう死んでるの?それともどこかで生きてるの?

もう死んでてもいいよ。生きててもいい。どっちでもいいよ。わたしを嫌いになっていてもいい。どこかの誰かと幸せになってくれていい。だから、だから最後に

 どうか救けて、救けてよ


「勝己・・・!」



 瓦礫に押し潰される刹那、視界の端で何かが輝いた。その瞬間、目の前の瓦礫は人のいない方へばらばらに吹っ飛んでいく。
 あまりの暴風に目が開けていられなくて、突き出していた右腕で顔を覆った。遠くに瓦礫が落ちていく音がして、それと同時に、何かが右手に触れた。
 知っていた。その感触を、その温度を、その、握る強さを。


「なんで・・・」

 腕から顔を離して、恐る恐る右手の先を見上げる。繋いだ手から、腕へ、首へ、顔へ。燃えるような紅が、わたしを見ていた。


「・・・おめーが、引き寄せたんだろ」


「首に掴まれ」勝己はそう言って、わたしの腕の中の子供を抱き上げる。現実味を帯びなくて呆然としていると、勝己に催促されて急いで首に掴まった。その瞬間、勝己は子供を抱いていない方の手で爆発を起こし、避難している人たちの方へ飛ぶ。人の群れの中から女性が駆け出してきたのを確認すると、そこへ降り立った。
 女性は子供の名前を呼んで、勝己に降ろされた子供はその人へ泣きながら一目散に走っていく。

「ありがとうございます!ありがとうございます・・・!なんとお礼を言ったらいいか・・・!」
「いいっす。まだ危険なんで、早く避難してください」

 首から手を離し、そのやりとりを見ていると勝己に背中を押される。振り向くと、確かにそこにいるのは勝己だった。まだ頭で理解できていない。

「お前もいけ。」
「か、勝己、待って」

 背中から手が離れて、勝己は荒れ狂う広場の方へ向かおうとする。その背中が、いつかの夜中に重なった。

「待って、いかないで・・・!」

「・・・・ってろ」
 足を止めた勝己は振り返らない。

「・・・待ってろ、お前の部屋で」

 その言葉を言った瞬間、勝己はもう飛び立っていて。
わたしは、到着したヒーローたちに腕を引かれて、その場を後にした。遠くで繰り広げられる爆発を、この目に焼き付けるように。






 背中が、足先が冷たい。廊下の壁にもたれかかり、膝に顔を埋めてもうどのくらい経っただろう。着ていたボロボロの洋服を着替える余裕もない。わたしは今待つことしかできなかった。だって、言ったんだ。勝己が、待ってろって。でも、本当にくるの?あの勝己は、本当にいたの?そんな考えがずっとぐるぐる回って回って、他に何も考えられない。

 ドアノブを捻る音が響いて、ハッと顔を上げる。徐々に開いていくドアの向こうには、ちゃんと、勝己がいた。

「・・・チェーンロックくれぇかけとけや」

 その言葉に、もう無理だった。どこから湧いて出てくるんだと疑問に思うくらい、涙が後から後から流れてくる。嗚咽が漏れて、言葉も満足に話せない。言いたいことや聞きたいこともたくさんあるのに、何も言えない。
 そんなわたしを見て、勝己は脱いだ靴を揃えた後にしゃがみ込んでいるわたしの手を引き上げて、そのまま小さなワンルームへ足を進めた。

 
 勝己は、わたしをいつもの場所に座らせた後、コートを脱いでハンガーにかけクローゼットにしまった。わたしはそれを涙を流しながら見つめ続けた。瞬きすらしたくない。次に目を閉じて、勝己がいなくなったら、わたしは、

「泣くなや」
隣に腰を下ろした勝己が流れ出る涙を拭う。その手は優しい。

「なんで、今まで、どこに」
「出張っつったろ」
「2週間って、言ってた、」
「あー・・・色々あったんだよ」
「わた、わたし、か、勝己が死んじゃったとか、」
「俺が死ぬわけねぇだろバカか」
「す、捨てられたんだ、と、思って、」
勝己、ずっと、帰ってこないから・・・


 涙も、言葉も、ぼろぼろとこぼれ出る。公表しなかった理由、一緒に住まなかった訳、勝己の部屋に行かなかった言い訳、思っていた後ろめたいこと、全部、こぼれ落ちていく。面倒臭い女は、きっと勝己は嫌いなのに。今のわたしは、確実に面倒臭い女だ。
 それでも、勝己は嗚咽を漏らしながら話すわたしの話を静かに聞いていた。


「ごめ、こんな、めんどくさいの、やだよね」
「バカか。俺が全部知らねーわけねぇだろーが。おめーがめんどくせぇのはハナっから知っとんだ」
「じゃ、じゃあ、なんで、わかってて、ずっと、いてくれたの・・・?」
「わかれや」

 泣き続けるわたしの頬を、大きく熱い手が包み込む。


「怖気付いて俺んとこにこれねぇくせに、いつも何でもねぇみてぇな顔して笑いやがって。・・・いつ帰ってくるかわかんねー俺を、ブサイクな顔して待っとんのが目に浮かぶわ・・・んとに、バカかよ」

 勝己がわたしの頬から手を離したと思ったら、その腕の中に閉じ込められる。耳に、勝己の息遣いが響く。押し付けられている肩から、確かに勝己の、甘い香りがした。


「俺のことが好きだってのに、勝手にいらん妄想で傷ついてたり、落ち込んでたり。ほんとめんどくせぇ女。」

耳に、熱い息と共に吹き込まれていく。


「・・・俺んことでめんどくさくなってるお前を、どうやったら愛さないでいれんだよ」


待たせて悪かった。そう小さく呟いた勝己はわたしを強く強く抱きしめた。涙は途切れることを知らない。震える手で、勝己の服を掴んで、抱きしめる。勝己は確かにここにいる。この、小さいわたしの部屋に。

「勝己」
「おう」
「勝己、かつき、」
「聞こえとるわ」
「・・・おか、えり」


その言葉の返事は、重なった唇に吸い込まれていった。

帰る場所は

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