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※不穏




心臓の音が煩い。まるで耳元にあるかのように脈を打っては、それに負けじと自分の呼吸の音が主張してくる。
静かにしなければいけないのに、静かにしているはずなのに。自分のそういった生きる為の音でさえ煩く聞こえては、そのせいで聞こえてしまうのではないかと余計に心臓が逸る。

口元に手を押し当てて、震える歯の音を押し殺す。
自分の部屋のクローゼットの中で外の気配を探っては、自分の気配を消すように。いっそのこと、消えてしまえたら。


「名前」


ドアが開いたような無機質な音と聞こえてくる声に、驚愕で漏れそうになる嗚咽を、必死に喉の奥に押し込む。
柔らかく、数多の感情がこもった声は昔と一切変わりはしない。
この声に呼ばれる度に、甘く蕩けるような視線に。体は歓喜に震え、同じように返した記憶はまだ新しい、はずだ。

クローゼットの外側で、わたしの名前を呼びながらその足音はゆったりと響き渡る。
ドアから、このクローゼットまではそう遠くはない。でも、ここにいるとは知られていない。
だから、早く他を探しに行って。わたしの緊張が切れる前に、はやく。ここには、いないから。


「名前、名前・・・出ておいで」


その言葉にまた息を飲むが、心の底から落ち着けと自分に語り掛ける。ただカマをかけているだけ。ここにはいないけど、居て出てきたら僥倖と思っているだけだから。
だから、騙されてはいけない。


「大丈夫だ、壊したこと怒ってねぇから。名前、」


足音が近づく。もうこの引き戸を動かせば、すぐ目の前にいる気がする。いや、間違いなくいる。
心臓の音が煩い。息を止めろ、わたしは、ここに存在しない。いない、いないから。

怒るとか怒らないとか、関係ない。だっていつだって怒っていないじゃない。怒っていないで、冷たくもしない。負の感情など向けられたことがない。
行き過ぎた愛が、喉に詰まって息もできないくらいに押し付けられる。それでわたしが、窒息していたとしても気づかないで。


必死に引っ掻いた指先が痛い。爪はボロボロになって、血の出ていない指がない。
この指で必死に解いた足枷は、もう足に着いていない。
擦れて赤くなっている線が、外れたことを教えてくれているはずなのに。
なのにその擦れた所がが逆に痛くて、まるでまだ繋がっているみたいに錯覚する。主張してくる、こんなところまで、目の前の恐怖にも似た何かが。


「名前・・・いねぇのか」


少しの落胆を混ぜた声が響いて、先程目の前で止まった足音がまた聞こえ始める。それは確実に遠ざかっていて、この部屋の、出入口の方に向かっている。

バレなかった。見つからなかった、多分、大丈夫。
わざと外に逃げたように、ドアだって少し開けておいたのだから。部屋の中を探すとは思わなかったけど、やはりああしておいて良かった。

ドアノブの音がして、一気に肩の力が抜ける。いつの間にか止めていた呼吸を、それでもゆっくりと再開して、クローゼットの中の薄い酸素を取り込んだ。
このまま外に探しに行ったのを確認した後、こっそり外に出よう。外に出てからのことは考えていないけど、とりあえず出られればいい。この部屋から出ることが出来たら、きっと、





足音とドアノブの音がして、どれくらい経っただろうか。多分1時間は、経っている気がする。ぼんやりと過ごすことが多いから、定かではないけれど。
ドアの向こうに足音も聞こえないし、きっと今は外を探しているはずだ。探さないわけが無いのだ。
仕事から帰ってきては愛していると囁いて、離れないで、まっすぐに歪んだ瞳で、見つめてくるのだから。


時間が経って落ち着いて、指先の痛みに意識が行くようになり、まるで脈打つように痛みが走る。歪になった爪を見つめて握りこんで、小さく息を吐いた。

いつから、こうなってしまったんだろう。
最初はこんなんじゃなかった。高校の頃に出会って、仲良くなって。卒業してから暫くして会った時、にまた連絡を取るようになって、お互いに惹かれ合うようになった。そうして付き合って、一緒に暮らし始めて、それから。
それから、変わってしまった。段々と外に出ることをよく思わなくなって、徐々に退路を潰されて。
気がつけば、足には枷がついていた。

周りと連絡は取らせて貰えないけれど、行方不明とかにはなっていないようだ。テレビを見る限り、わたしのニュースはやらないから。
きっと上手く言っているのだ、頭は恐ろしく良人だから。
そして世間では、強くてかっこよくて、頼りになるトップヒーロー。そんな彼が、まさかこんなことをしているとは誰も信じないだろう。
わたしだってきっと他人だったら、何かの間違いだと声を上げるに違いない。


息を整えてから、少しまた緊張して暴れ出す心臓を押さえ込んで、クローゼットの扉に手をかける。
大丈夫、帰ってくる前に、行かないと。こんなチャンスはもう二度と、それこそ絶対に、訪れないのだから。

そっと扉を押して、畳まれるようにして開いていく扉の先に、部屋の床が広がる。そのまま押して、視線を上げて、息が止まった。


「見つけた」


瞠目して、息が詰まって、心臓が、恐ろしく冷えて激しく脈を打つ。
あげた視線の先には、ドアの前に座り込んでこちらをみる、焦凍がいた。いたのだ。
出ていって、いなかった。待っていた、わたしが出てくるのを。息を潜めて、こっそりと。

冷や汗が身体中から湧き出て、指先の痛みなど消え失せる。あるかもしれないけれど、感じ取ることをやめてしまった。今はそちらに、リソースを割けない。
ゆっくりと立ち上がった焦凍は、楽しそうに微笑みながら、確かに歩みを進めていく。
わたしのほうに、1歩1歩。


「俺かくれんぼなんてしたこと無かったけど、見つけるとすげぇ嬉しいんだな」


目の前まできてしゃがみこんで、固まり続けるわたしに視線を合わせた。
その瞳は、本当に楽しそうで、嬉しそうで、その全てで、愛を語りかけてくる。真っ直ぐに歪んだ、その瞳で。

頬を添えられた手が、氷のように冷たくて、燃えるように熱い。
近づいて触れた唇は、いつだって恐ろしくなるほどに、優しかった。


「でももうかくれんぼはいい。視界に入ってないと不安で、どうにかなっちまいそうだから。」

だから、今度は取れないように。もっと良いのをプレゼントするな。


愛を囁く唇は、確かに愛を囁いている。どこもおかしいと疑わない、確かにおかしい愛を。


obsessive

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