仕事を終えて時計を確認するとちょうど定時で、残業にならなかったという事実だけで、身体が少し軽くなった。
手早く着替えて、「お先に失礼します」とまだ話しながら着替えしている先輩方に挨拶をする。後輩達はもう少し残ると言ったり、事務作業が終わってないと言って少し残業していくらしい。自分もプロになりたての頃は、慣れない仕事等で少し残業をして帰ったから、誰もが通る道かと独りごちた。今ではなるべく残業をしないで帰ることが出来るように、やりくりも上手くなった。それでも緊急要請や事件で、定時で終わらない時があるからヒーローはままならない。
電車に乗って数駅してから、見慣れた駅で降りて改札をくぐる。駅からほど遠くないところにあるアパートは、コンビニもスーパーも薬局も近い。内見をした時に「立地さいこーだねぇ」と振り返って微笑んだ顔が、今でも簡単に思い出せて、その度に頬が緩む。何年経っても毎日会いたくて、ずっと見ていたいその姿を思い浮かべては、逸る足もそのままに帰路を辿った。
早々に着いたアパートのオートロックを解除して、2階への階段を踏みしめる。廊下を歩いた先の角部屋のドアが、今の自分の家で、何があっても帰ってきたい場所だ。
カードキーでドアを解錠してドアノブを握る。捻って開けた先で足音が迫ってくるのは、解除した音が意外と部屋まで響いて、帰ってきたと知らせてくれるから。
「しょーとくん、おかえり」
「ただいま名前」
後ろ手でドアを閉めて靴を脱ぎ始める頃に、その小さな足音はすぐ目の前にくる。住み始めの頃に「これかわいい」と一目惚れして買った猫の暖簾を小さな手がかき分けて、ちらりと覗いたその顔を安堵と、幸せが口元を緩ませた。
靴を脱ぎ終わって名前の後をついてリビングに入ると、名前はすぐ横に避けて道をあけ、視線でどーぞと促した。所定の場所にカバンを置いて洗面所まで行くとその後ろをちょこちょこと着いてくる。手洗いを済ませて振り向くとまた先に移動して、リビングのソファーの横でそわそわとこちらを見ていた。
その姿に心が浮ついて、待っているであろう名前の目の前まで、名前の歩数の半分で移動した。
「へへ、しょーとくん」
「ああ」
「だっこ」
目の前にたった俺を見上げて、嬉しそうに笑って名前を呼ぶ。この声に名前を呼ばれるのが好きだった。
返事を返しつつ首を傾げると、名前はその腕を伸ばして、まるで子供のように「だっこ」とせがむ。それに間髪入れずに脇に手をいれて持ち上げ、それこそ子供のように抱き上げて抱きしめた。
小さな体はすっぽりと腕の中に埋まり、首に腕が回って耳元に頬がすり寄る。足も腰に回してきて、ピッタリとくっついては、その腕の中の幸せに感嘆の息を吐いた。
「ぎゅー」
「ぎゅー」
「へへ、しょーとくんおかえりおかえり」
「ただいま」
「あいたかったあ」
「俺もだ」
付き合って何年も経つのに、まるで付き合いたてのようだと、名前を連れて会った友人によく言われる。気持ちが変わらないという意味なら、それは深く頷ける。名前を好きになってからこの思いはすり減ることなく、日々雪のように降り積もり、毎日のように愛を囁いていたい。
そうしてそれは嬉しい哉、名前も同じ気持ちのようで、毎日こうやってスキンシップと言葉を交す。朝起きて見送られて、出迎えられる。朝もあっているのに夜になって帰ると、嬉しそうに「あいたかった」と言われて。きっとこれ以上に幸せなことなど、どこを探しても見つからないだろう。
「もっとぎゅーってして」
「うん」
「ふふー。あ、今日の夕飯は中華でーす!回鍋肉とね、」
擦り寄る名前を潰さない程度に力を込めて抱きしめると、嬉しそうな声が耳元で聞こえて。またぎゅっと腕が首に回ったと思ったら、思い出したように上半身だけ少し離れて、顔を見ながらにこにこと夕飯のメニューを伝え始めた。それに相槌を打ちながら今日も好きだと再認識させられる。そしてそれは、これから先もずっと続くだろう。
「実はね!今日締め切り前なのに書き終わっちゃったのだ!」
「すげぇな。頑張ったな」
「うんうん、わたしがんばった!しょーとくんもお仕事がんばったね!」
「頑張った」
メニューの紹介を終えるとあっ!と仕事の進捗を嬉しそうに話すので、賞賛を送る。本やコラムを執筆している名前は毎日締め切りに追われたり、筆が進まなくてぶっ倒れたりしているので、こうやってにこにこ嬉しそうにしているのを見ると安心すると同時に嬉しくなる。夜更かししなくていいということは、一緒に眠れるということ。先に寝ててと言われることも少なくないから、同時に布団に入れることはこの上なく嬉しい。
「忙しいのに、飯ありがとな」
「ごはんの準備もしたくてやってるもん。お仕事頑張ってきたしょーとくんと、おいしいねーってご飯食べたいもんねー」
「そうか」
ねー、と首を傾げて笑う姿にまた胸がいっぱいになって、仕事頑張ってきてよかったと心底思う。明日も頑張ろう。明後日は休みだから、締め切りを守って余裕のある名前とごろごろできるだろうか。昼前まで惰眠を貪りながら、布団の中でくだらないような話がしたい。
「冷める前に食うか」
「うん!あ、しょーとくん」
「ん?」
「ちゅー」
名前が作ってくれた料理を食べようと、ダイニングテーブルの上にある用意されつつある食事に目を向けると、返事があった後に名前を呼ばれてまた名前を見る。若干舌っ足らずに名前を呼ばれるのが愛おしくてくすぐったい。
にこりと笑って、首に回していた腕が緩んで柔らかい手が頬を包む。唇を軽く突き出して催促をされる姿に、また酷く胸が高鳴って痛い。
溢れ出るこの気持ちは、ちゃんと伝わっているだろうか。
朝起きて幸せそうな寝顔を見て、一緒にご飯を食べて、眠って。そんな日々の繰り返しが、愛おしくて仕方ない。
バカップルと言われることもあるけれど、なんと言われても気にすることではない。愛し愛されて、抱きしめあって笑いあって。伝えられるときに愛を伝えて、そうして子供がじゃれ合うように、くっついて。
幸せだと笑いあって、ずっと2人で、生きていきたい。