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「ん?」
「んーん」


い草の匂いが新しい。そう言えば昨日畳を張り替えると言っていたかもしれない。毎日戦争みたいに仕事に行って帰ってきてバタンキューしているから、焦凍の話も右から左に流れていっていた気がする。

畳にうつ伏せに寝そべって顔だけを横に向けた。その視線の先には座椅子に座った焦凍が、見たことの無い文庫本をゆっくりと読んでいる。焦凍は本を読む時はアンダーリムの眼鏡をかける。目は悪くないのに。多分度も入ってない。伊達眼鏡だと思うけれど、本を読む時に付けたら逆に邪魔じゃないのかなと思わざるを得ない。オシャレ眼鏡なら休日出かける時とかにかけたらいいのに。
そんなことを考えながら焦凍を見ていたら、わたしの視線に気づいたのか本から顔を上げて、少し微笑みながら首を傾げた。付き合った当初はその仕草ひとつで心臓が破裂するんじゃないかってくらいバコンバコンしてたけど、今となっては落ち着いた。
嘘、少しドキドキする。焦凍はいつだってかっこいい。


「名前」
「ん」
「羊羹食べるか」
「たべる」


わたしの視線が物乞いにでも思えたのだろうか。羊羹食べるかと言われてしまった。食べるけれど。文庫本に栞を挿して畳の上に置くと、焦凍の近くにあるテーブルの上の籠から手のひらサイズの羊羹を取り出し、ご丁寧に包装まで解いてくれる。
食べやすくなった羊羹をそっと差し出してくるから、重たい体をのっそりと起こして焦凍より短い腕を伸ばして受け取る。もそりと1口食べると上品な甘さが口に広がって、やっぱりこれ美味しいなあと心の中で呟いた。焦凍のお父さんが定期的に焦凍に持たせてくれるお菓子は、どれも外れたことがない。そりゃNO.1ヒーローの舌は肥えているか。お父さんありがとう。あなたの息子よりわたしがもりもり食べています。

焦凍はヒーローだ。今や人気ヒーローショートを知らない日本人は居ないだろう。いるとしたら生まれたばっかりの赤ちゃんかな。それ以外はモグリ。容姿端麗強個性、優しく天然で王子様。危険な時に必ず駆けつけて颯爽(やや大雑把ではある)と助けてくれるヒーロー。
そんな人気ヒーローは忙しい。いつだって仕事だし休みの日でもたまに緊急の呼び出しがある。あれって絶対焦凍じゃないとダメなのかな。
そしてそんな人気絶頂ヒーローの恋人は、世間ではいないということになっているけれど、実はいる。
今羊羹を貪っているわたしである。
平々凡々の家に生まれ、大した個性もない。それ本当に個性?ってレベルだから無個性といっても過言ではない。紹介するに足らないから言わない。
そんなわたしは国家資格をとってあくせくと汗水流しヒーローの守る世界で働いている。
わたしもそれなりに忙しい。ヒーローに比べたらそうでも無いのかもしれないけれど、まず職種が違うので比べるのも違う気がする。忙しさはそれぞれだと思う。そう言い張ってみた。心の中で。


「美味いか」
「うん」
「よかった」


そんな忙しい者同士がどうであったかは割愛する。まあご縁がありました。焦凍は付き合ってすぐ公表しようと言ったけどわたしからしたらお前正気か?という感想しか無かったので公表は控えてもらった。結婚前提でもないし。それに人気ヒーローの恋人とか嫉妬の対象でしかない。あんなのが彼女と焦凍が叩かれる可能性もある。わたしも職場に居づらくなりたくない。今のご時世、顔も名前も出さなくても特定など容易い。パパラッチはそういうネタ大好きだし。
まあ焦凍のお父さんの目が黒いうちは焦凍のスキャンダルはそうそう上がらないだろう。だってあの人親バカだと思うし。


「また頼んでおく」
「いいよ、申し訳ない」
「俺が頼んだら親父はどう思うと思う?」
「喜ぶと思う」
「ほらな」


そしてそんな親バカをこの息子はプロヒーローになってから漸く理解したらしかった。学生の頃を知らないけれどどうやら焦凍は最初尖っていたらしい。それはもうアイスピックのごとく。知らないけど。焦凍のお姉さんからちょろっと聞いただけだからね。

多忙に多忙を重ねるわたしたちはなかなか会うことも出来ず、デートもしたいのにお互い疲れ切ってしまっていたり焦凍に緊急の呼び出しが入ったりわたしに休んだ人の代打の連絡がきたりして、それはもう会えなかった。最後に会ったのいつだったかな・・・?先月・・・?なんて月終わりに思いながら、会いたいけど寝たい気持ちも強いとふらふら自宅に帰ったら焦凍がドアの前にいた。というかドアの前でしゃがんでウトウトしていた。わたしは眠気がぶっ飛んでむしろ夢?いつの間にか寝てる??と手の甲を強く抓ったら痛すぎたので現実らしい。
大慌てで焦凍に駆け寄ってしゃがみこんで声をかけた瞬間、一瞬にして焦凍に抱きしめられ恋愛ものの本もドラマも映画も苦手なわたしが


「会いたかった・・・」
「・・・わ、わたしも・・・」


なんてドラマみたいに抱きしめあってぽろりと涙するなど過去のわたしからしたらむしろ目玉がぽろりだ。
そのまま少し抱きしめあってから、焦凍が冷えていることに気づいてすぐに家の中に入れて、シャワーに押し込んだらわたしも引っ張られて情熱的なシャワーを浴びたのは言うまでもない。焦凍って天然クールと評判だけどかなり情熱的なのだ。
2人でシャワーなのに逆上せそうになって体を拭くのもなあなあにベッドに倒れ込みまた情熱的な夜を過ごしたのも言うまでもない。そしてお互い仕事で早朝に起きて、行きたくないなあって思いながらドアノブを捻ったわたしの後ろから「一緒に暮らそう」と囁いた焦凍は重罪。仕事に身が入らなくてポカミスしたりしながらなんとか終わらせて帰ると、まあ焦凍はいなかった。そりゃ仕事だもん。朝はえっ・・・となって返事が出来なかったから断られたと思ってるかもしれない。断ってはいないけど迷ったのは事実だった。それこそスキャンダルとか生活リズムの違いとかその他もろもろ。リズムが違うからこそ暮らした方が少しでも会えるのかもしれないけど、お互いの痕跡しか残らない部屋にいるのもしんどそうだ。
なんて、何故か同棲しない言い訳ばかり考えてトーク画面をつけたり消したりしていたらチャイムがなって、こんな時間に誰・・・?とドアを開けたら仕事でぼろぼろになって帰ってきた焦凍だった。あんまりのぼろぼろ具合にピシリと固まった。なんで、焦凍、そんな大変な事件が・・・?!テレビではやってなかったのに!というかなんでまたうちに?!と言いたいことは山ほどあったのに言葉に出来なかったら


「ただいま」
「お、おかえり・・・」


ぼろぼろの顔のまま微笑んでただいまなんて言うから。そのただいまに激しく胸を打たれて同棲を決意した。ぼろぼろの焦凍をお風呂に入れて、ほかほかになってから傷の手当などをしていた時に家に帰ればよかったのにと言えば、


「一分一秒でも早く会いたかった」


なんて言うのでやはり同棲を決意した。スキャンダルがなんだ。忍者スキルをあげて透明人間のごとくやればいのだ。わたしならできる。クセになってんだ、音殺して歩くの。って言えるようになればいいのだ。
・・・と、言うことが数ヶ月前にあり、焦凍の無駄に広いマンションに転がり込んだのだった。






「ねえ」
「ん?」
「なんで眼鏡かけてるの?伊達だよね?」
「ああ、これか」


同棲はやっぱりすれ違い生活だったけど、少しの時間でも会えるのは嬉しかったし、一緒に眠ることが出来るのは想像以上によかった。QOL上がった。おやすみを言えないまま寝ても朝になれば隣にいたり、朝仕事から帰ってきたら眠ってる焦凍の顔を見たりして、これが幸せか・・・と謎に達観した。

羊羹を食べ終えて、起きたままの体で次のお菓子に手を伸ばしながら唐突に焦凍の眼鏡について口を開く。おせんべいを割りながら、しかも本読んでる時だけ、と言うと焦凍はまたふんわり笑うので、このスマイルが0円なんてな・・・と思いを馳せていると


「名前が」
「わたし?」
「前に、本を読んでる時だけ眼鏡かけてる人ってなんかいいよね、って言ったろ」
「・・・え?」


思ってもみない言葉に目をまんまるに見開く。お世辞にも大きいと言えないわたしの目が、今確実に大きくなっている。焦凍の言葉をおせんべいより先に噛み砕くと、つまりわたしが前に覚えてすらいないような発言をして、それを真に受けたと。わたしが本読んでる時に眼鏡いいよねって言ったから、言ったから?


「どうだ」
「・・・」
「本読んでる時に眼鏡かけてるぞ」
「・・・う、うん」
「もっと好きになった?」


そう少しいたずらっぽく笑うので、おせんべいが思ったより粉々になったのは言うまでもない。
休みの日も、わたしの心臓はあくせくと働いている。

休みの日も休めない

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