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窓の外夕日が沈み始める17時過ぎ、フォルダに届いた報告書のチェックと現在進行中の任務の進捗状況の確認。一通り目を通してから確認済み欄のチェックボックスをクリックして確定をする。どうやら本日も、怪我をしたスタッフはいなかったらしい。安堵の息を吐いて少しだけ背もたれに寄りかかった。

大きな事件で出動要請があると誰かしら小さな怪我をしてくることも少なくない。怪我人がいないということは、大きすぎる事件がなくて穏やかな一日だったということ。そしてその穏やかな一日は、ヒーロー達が守ってくれているからこそ訪れる。ヒーローにも、警察にも、誰かにとっての大切な何かや誰かを守ってくれる人達には、ほんとうに頭が上がらない。自衛の術がないわたしからしたら、より一層そう思う。
せめて、何かしらを持っていれば。強くなくたっていい。世界のほとんどが持っている、何かしらを。

そこまで考えてから馬鹿馬鹿しくなって、1度背伸びをしてからまた画面に向き直った。ないものねだりをした所で何も変わりはしない。考えたところで、欲したところで、個性が降ってくる訳でもないのだから。

再び報告書のチェックをしようとした所で、メールアプリのアイコンの上に新着を知らせる通知があることに気づいた。急ぎの依頼等の可能性もあるのですぐにメールアプリを起動する。そうして目に入る送信者と内容に1度瞬きをしてから、そう言えば明日は休みだったと自分の勤務表を思い浮かべた。「18時半駅前」とだけ書かれた本文に、こちらも「了解しました」とだけ返信する。
社用のメールアプリを使うのは如何なものかと顎に手を当ててみたが、まあスタッフの交流も社内では大事だと勝手に良しとした。
そうと決まれば早く仕事を終わらせなければならない。この量で終わらないことはないが、彼を待たせるのは何となく居心地が悪いから。画面下の時計を確認してから1度息を吐いてまた作業に取り掛かる。
今日は焼き鳥が食べたい気分だけど、爆豪さんはどうかな。







「お待たせしました」
「別に」


せっせと仕事を終わらせて無事に定時少し過ぎに終業。制服から着てきた私服に着替えて、手鏡で軽く化粧を直した。今日の私服めちゃくちゃ普通だ。ご飯に誘われるならもう少し洒落たものを着たのに、というところまで考えてそういうの気にしない人だったなと思い直す。というか、洒落た服を着たところで感想なんて貰えるわけが無いし、まずそういう間柄では無いのだ。
手鏡をしまってから携帯の時計を確認すると、もう少しで約束の時間だ。ここから駅まではそんなに遠くないが、彼ならもう待っているだろう。お疲れ様でしたと挨拶をしてから少しだけ駆け足で駅の方面へ向かう。ヒールじゃなくて良かった。ヒールは急ぐとたまに足を捻ることがあるから。

歩みを進めること数分で駅が見えて、いつもの待ち合わせの場所に彼、爆豪さんが背中を預けて立っていた。キャップとマスクを付けていてもすぐ見つけられてしまうのは、もう見慣れたからか、それ以外の何かがあるかはわからない。
ぼーっと前を見ているように見えたが、私に気づいたのかこちらに向かって歩き出してくれた。それに合わせて近づいてから遅れた旨を述べると簡潔に返事が返ってくる。最初は怒っているのかと勘違いしたが、ただ単にぶっきらぼうなだけだと気づいたのは数度出かけてからだ。


「今日はどこに行きますか?」
「焼き鳥」
「えっ、奇遇ですね。わたしも食べたいなって思ってました」
「そーだろーよ」


軽く挨拶を済ませてから歩き出した爆豪さんの横に着いて歩き出す。焼き鳥を食べに行くと言うので足元が少し弾んだ。わたしが焼き鳥を食べたいと爆豪さんは何故か知っていたらしいが、それはどうしてだろう。今日どこかで独りごちていただろうか。たしかに昼休憩は、爆豪さんも休憩室に来てテレビを一緒に見ていたが、会話はしなかったと思ったけど。
お店に向かうまでにこれといった会話はないけれど、居心地が悪いとは思わない。歩く速度をわたしに合わせてゆっくりにしてくれていることも、わたしは知っていた。





「ビールと本日の盛り合わせ」
「あ、わたしもビールで。あと砂肝と、レバーと、枝豆下さい」


たまに来る焼き鳥の美味しい居酒屋に着いてから隅のカウンターに通してもらい並んで座る。メニューに軽く目を通すが、最初に頼むものは決まっているので、カウンター越しにいるスタッフに注文をする爆豪さんに倣って口を開く。またメニューに目を通しているとすぐにビールと枝豆が出てきたので、メニュー表を戻してからビールを手に取った。


「はい、じゃあお疲れ様です」
「おつかれ」


軽くグラスを触れさせて乾杯の音頭を取ってから口をつける。冷えたグラスとビールが喉に流れ込む。半分ほど飲み終えてから、今日も一日が無事に終わったと肩を撫で下ろした。ヒーローたちから比べたら、大したことなどしていないけど。
グラスを置いて枝豆に手を伸ばすと、先に伸びた手が取ろうとした枝豆を攫っていく。いつもの事だ。食べるなら頼めばいいのにと思うけれど、言ったところで何となく頼まない気がした。まあ2人でひと皿あれば十分ではあるし。


「今日も無事でよかったです。パトロール中敵が出たんですよね?」
「あんなん屁でもねーわ」
「さすが大爆殺神」
「略すな」
「ダイナマイト」
「とってつけてんじゃねぇわアホ」
「アホですから」


枝豆をつまみに時々ビールを煽って軽口を叩き合う。言葉こそ強いがその温度は酷く穏やかだ。普段の大爆殺神を、いや大爆殺神ダイナマイトを知っている人からしたら仰天してもしかしたらひっくり返る人もいるかもしれない。なんて失礼なことを考えてたら最後の枝豆を取られてしまった。不覚。わたしが頼んだ枝豆だったのに。


「はい盛り合わせと砂肝とレバー」
「あっ、ありがとうございます」


1杯目のビールを飲み終えたところでちょうど焼き鳥が届いたので、おかわりのビールを爆豪さんのも頼みがてらお皿を受け取る。本日の盛り合わせはモモと皮と砂肝らしい。砂肝被ったな。はい、と目の前に置くとちゃんとお礼が返ってくる。彼はこう見えて礼儀正しいのだ。口に出したら怒られるとおもうけど。


「あ、せせぽんも頼んでいいですか?」
「好きにしろ」
「爆豪さんは?何かほかに頼みますか?」


砂肝に舌鼓を打ちながら、奥の壁に貼り付けてあるメニューに目を通す。せせぽんの文字が目に入った途端、口の中がサッパリしたものを求めだしたので頼むしかない。ビールを飲んでいる爆豪さんに振り返ると、爆豪さんもちらりと壁を見てから、ちょうど目の前に来たスタッフに自分の分とわたしのせせぽんを頼んでくれた。


「今日もビールがおいしいです」
「そりゃよかったなァ」
「誘って下さってありがとうございます」
「暇そうだっからな」
「これで予定があったといったらどうしますか?」
「どうもしねぇわ」
「まあないんですけどね」


ヒーロー事務所に務めていると暦通りの勤務にはならないので、OLをやっている友達とはなかなか休みや時間が合わない。もちろん彼氏というのも一年以上いないのでここに来ているわけだけど。彼氏がいるのに他の男性と2人で食事は良くないだろう世間的に。

ビールを飲みながら横にいる爆豪さんを盗み見る。2杯目を飲み終わって、3杯目に手をつけようとしていた。今日の爆豪さんはいつもより飲んでいる気がする。心做しかペースも早い。飲みたい気分なんだろうか。そう思いながら、わたしも自分のグラスを傾けた。


爆豪さんは同じ事務所で働くヒーローだ。わたしは事務員で爆豪さんの2つ下にあたる。この2人がどうしてこうやって飲みに行く仲になったかというと、それは偶然でしかない。たしか、終業間際に敵が現れて残業になった爆豪さんが、同じように事務処理で残業になったわたしとたまたま事務所出口で鉢合わせて話の流れで飲みに行くことになったのが始まりだ。
2人とも疲れ切っていて、ビールを煽ってから少しの愚痴と静かな空間と、気兼ねなく過ごせる心地良さに浸った。少なくともわたしは心地よかった。まあそこにいたのがわたしだったから誘っただけで、次はもうないだろうなと思って最寄り駅まで送ってくれた意外と紳士な爆豪さんを見送って1週間後、まさかの社内メールでの食事のお誘いに目を見開いたのも新しくない。
爆豪さんも、悪くないって思ってくれたのかなと少し気持ちが上向きになりながら返事をして行った食事は、前回同様心地が良かった。

それから不定期に開催される2人きりの飲み会はもう両手では数え切れないくらいになって。飲み終わって最寄り駅でさよならをするとすぐに次はいつ2人で過ごせるだろうと思いに耽った。
何気ない会話や沈黙が心地よい。2人で過ごしたいと思う。これを踏まえて、もしかして恋だったりするのかなと思わないことも無い。爆豪さんのことは人として尊敬しているし好きだ。でもそれが恋愛のあれこれに置き換えてみると、何となく頷くに値できない気がした。そしてこれが例えば恋だったとして、それを打ち明けることはないと思う。打ち明けたら最後、きっとこの時間はなくなってしまうから。だからこれでいい。適当に飲みに誘える後輩のまま、この人の近くにいられたらそれでいい。


「明日は」
「え?」
「予定」
「休みですよ、特に用事もないです」
「ふーん」
「聞いておいて返事がそれか・・・」


唐突な問いかけに返事を返すと大して興味無さそうに鼻を鳴らすから、なぜ聞いてきた・・・?という気持ちしかない。わたしたちの飲み会は、毎回2人とも休みの前日だから爆豪さんも例に漏れず休みだろう。爆豪さんは出かけたりするのだろうか。彼女とかと。
いや、彼女いたらこんな女とここに来ないか。来てたらなんかイメージ崩れるから、彼女はいないってことにしておきたい。
というか爆豪さんて恋愛沙汰に興味あるのかな・・・とぼうっと考えていたら、膝の上に投げ出していた手に何かが重なった。その瞬間に体が石になったかのように硬直する。
たぶん、重なっているのは手だ。そしてこの手は、わたしの右側にいる人の手でしかありえない。お化けがいるかは別として。そう、右側の、爆豪さん。


「てめぇは」
「は、はい・・・」
「なんとも思ってねぇ男と何度も飯食うんか」
「・・・し、質問の意図が、わかりかねます・・・」
「少なくとも俺はなんとも思ってねぇ奴は誘わねぇ」


心臓が耳元にあるようにうるさく鳴り響く。1人前に早鐘を打つそれに、おいさっき恋じゃないとか言ったの誰だよという感想しかない。
爆豪さんの言葉を何度も咀嚼して、やっと飲み込んで。なんとも思ってない奴は誘わない。それは、つまりわたしのことは何かしら思っているということで、だから。


「選べ、2択だ」
「へっ」
「このままいつも通り帰るか、そうじゃねぇか」
「・・・いつも通り、帰ったら、」
「そんときはもうお前と飯には来ねぇ。」


提示される2択は、つまりそういうことなのだろうか。
いつも通り帰ったら、きっとこの不定期飲み会は終わりを告げる。他でもない、わたしが終止符を打つ。そしてもうひとつ。いつも通り帰らないをえらんだら、その時は。

どうしてこんな、急に。さっきまで普段と何も変わらずに話してたと思ったのに。
爆豪さんは、爆豪さんも、きっと心地いいと思ってくれていると思っていた。それは確かだと思いたい。でも、もしかしてそれ以上があったとしたら。こうして食事に誘ってくれるのも、最寄り駅まで送ってくれて、駅で少し無言で見てくるのも、わたしが見えなくなるまで駅で立っていてくれたのも。もしかしなくとも、

膝の上で重ねられた指がそっと絡まる。熱くてわたしより大きな手が、恐ろしいほどに優しく力を込めた。


「・・・なあ、このまま帰んのか」



まるで懇願するように紡がれる言葉に、破裂しそうな心臓を抱えたわたしは、その手をそっと握り返すのが精一杯だった。


もうビールの味ひとつわからない

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