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「しんどい・・・」

しまった。口に出してしまった・・・。口から出た一言が形になって耳に入ってくる。思っているより自分で言って聞いてしまった方が何倍もそう思うのはなんでだろ。
はあーとため息をついて下を向くと、電車に揺られる足元が目に入った。少し汚れたパンプスがわたしのくたびれ具合を現しているようで笑える。
終電間近の電車に人は疎らで、スーツを着ている人は決まって少しくたびれていて。あー仲間だなあなんて勝手に親近感を覚える。あとは楽しそうな大学生っぽい集団とか寄り添ってイチャついてるカップルとか。
楽しそうでいいなあとか思わないこともないけど、わたしもあんな時代あったなあなんて思いに耽けることはする。

今が楽しくないとかそういうことでは無いんだけど、仕事で疲れると自然と少し羨ましく思えた。最近、家に帰るのは専ら日付が変わる少し前の時間。下手したら変わることもある。とんだブラック企業勤めだなと周りの友達とか笑ったりするし、転職だって考えたこともあるけどそういうのってなかなか踏ん切りがつかないというか。やめるのだって労力使うわけですよ。これといって理由もないし。ただ毎日疲れたから辞めたいって気軽に言えないじゃん。そんなのみんな疲れてるよってわたしでもわかる。
それにやめたところで次の宛なんかないし、かと言ってしばらくふらふら出来るような貯金もそんなにない。堅実に働いても薄給だから生活して少し貯金するだけで精一杯だ。

手首に着けてる時計を確認する。家に着く頃には明日になってるだろう。幸い、明日は休みだし休日出勤も無いはず。今も忙しいけど、さらに繁盛期の時は土日もせっせと電車に乗って職場に通いつめていた。せめて職場の近所においしいランチのお店があったら良かったのに。そうしたらもっとモチベーションも違ったかもしれない。・・・でも薄給なのでそうそう通わないからあっても無駄かも。毎日コンビニでサンドイッチとかおにぎりとか買うくらいがちょうどいい。夜が遅いから朝早く起きてお弁当とか無理だし。
料理は好きだ。わたしの作った料理をおいしいと食べてくれる相手の顔を見るのも好きだから。だからお弁当とか夕飯に、自分一人のために用意するのはなかなか気が進まなくて、専らおにぎり握るか、夜は納豆ご飯とか卵かけご飯。女子力皆無にも程があるけど疲れてるOLなので勘弁してください。休みの日はもう少しなにかしてますので。

聞きなれた駅の名前が耳に届いて、それからゆっくり電車が止まる。立ち上がった時の体がやけに重く感じて、家まで瞬間移動出来ないかななんて思いながら電車を降りた。
瞬間移動できたら一瞬でベットの上に飛ぶ。あ、でも靴のままは嫌だからやっぱり玄関かな。靴脱いでまた瞬間移動してベットにダイブ。いや、玄関からベットまで何歩も歩かないんだけどね。
改札口はほとんど人がいなくてスムーズに通過できる。これが朝は通勤ラッシュでごたついてるし、カードのタッチが上手くいかないと多方面から責められる視線が飛んでくるからちょっとした試練のつもりでいつも挑んでいる。いやほんと無駄なストレス。
もう少し混雑しない駅を利用したらいいのかもしれないけど、今住んでるところが駅から結構近くて社畜には助かるから今のところ引っ越す予定は無い。お金もない。

冷蔵庫の中何かあったかなあなんてぼんやり思いながら駅を出てすぐのコンビニにふらりと立ち寄って、適当なおつまみとビールを2缶籠に転がす。あ、美味しそうなデザートもあるから買っちゃおう。たまには少しの贅沢もいいものです。
気の抜けた店員のありがとうございましたを背中で受け止めてエコバックと通勤カバン片手にふらふらと歩く。ふと空を見上げたら月がまん丸で、なんか少しだけいい気分になった。そんなことでって思うかもしれないけど、日常の些細なことで気分を上げられるのは大事なライフハックだと思う。

駅から五分くらい歩いてオートロックのアパートの入口に差し掛かる。やっぱり駅近は強い。しかもオートロックだから女の一人暮らしには防犯面も完璧だ。解錠してポストをチェック、何もなし。階ひとつ分、パンプスを鳴らして階段をあがった先の右突き当たりがわたしの小さな城。今日も無事に、いや今日じゃないねもう。とりあえず無事に帰ってきました。

ドアノブに付属している電子パネルを解錠のためにぽちぽちして開けるボタンを押した。うんともすんともいわない。うん?鍵あいてる。ということは。ドアノブを捻ってガチャリとドアをあけたら、案の定リビングの方の電気が着いていた。来てたんだなあ、ぼんやり思ってから、すぐに気持ちが上向きになる。簡単な女なのだ。ビールも2本買ってるしデザートも実は2個入れてきた、贅沢するために。ひとつは食べられないけど全く問題ない。緩む頬をそのままにパンプスを脱いだ。それと同時にリビングのドアが開く。


「おかえり名前」
「ただいまあ。来てたんだね」
「ああ」
「明日休み?あ、明日と言うか今日か」
「緊急の呼び出しがなければそのつもりだ。呼び出さないように言ってるけどな」
「なにそれ」


ドアから出てきた紅白頭をみてさらに頬が緩んだ。ただいまを言っても返事がない部屋だと思ってたから、こうしてサプライズ?的におかえりが帰ってくる日は控えめに言って最高。しんどさも吹き飛ぶ。うそ、少し残ってる。焦凍はおかえりと微笑んだあとにわたしのもってるカバンとエコバックを受け取って、リビングへ戻る。狭い一人暮らしの家の玄関はすれ違うのは厳しい。背も高くてそれなりにガッチリしてる焦凍とならなおさら入れ違えない。もっと広い部屋に住んでもいいけど、駅近5分オートロックという条件がまた揃うものかどうか。


「つーかまたこんなに遅く帰ってきて」
「仕方ないよーどうにもならないの」
「いくら駅から近いからって、夜中の女のひとり歩きは容認できねえ」


俺の女だから尚更。と付け加えて小さなテーブルにビール達を出してる背中をみて心臓がキュンとした。俺の女だって。いやそうなんだけど。テーブルの上には焦凍が食べてたであろうおかしが乗ってて、テレビも深夜番組が着いている。焦凍は意外と夜中におかしを食べてしまうタイプだ。しかも軽いものじゃなくてジャンキーなやつ。気が合うね。


「なるべく早く帰りたいんだけどね」
「そうしてくれ」
「なかなか難しくて」


洗面所で手を洗って着てたスーツもそのままに、ベットに寄りかかって座っていた焦凍の横のクッションに腰を下ろす。テーブルに置いていたビールを手渡してくれた焦凍にお礼を言って、プルタブを捻った。


「お疲れさま」
「お疲れ」
「っあー、しみるぅ」
「おっさんみてぇ」
「それ彼女に言うセリフか?」


やっぱり仕事終わりのビールは体に染みます。この1杯のために頑張ったとさえ思えるよ。隣の焦凍もぐいーっと煽って、上下する喉仏を思わず見つめた。いいよね、こういうの。この喉仏みながらビール飲めるわ。
実はひと月ぶりくらいにあったので、積もる話?もあり2人でぼそぼそとテレビを見ながら会話して、都度ビールを煽っておつまみをつまむ。社畜のわたしとプロヒーローの焦凍はなかなか時間が合わなくて、こうやって暫く会えないことも少なくない。それでも焦凍は意外とマメなので毎日連絡くれるし、こうやって時間を作って会いに来てくれる。今日も何時から待ってたのかはわからないけど、わたしが帰ってくるまでぼーっと待ってたのかなとか思うとなんか可愛かった。


「へへ」
「なんだ」
「焦凍いるなあって」
「もう酔ってんな」
「酔ってるかも」


やっぱりしばらくぶりに会えると嬉しい。毎日連絡してても、メッセージを返せずにお互い寝落ちして結局1日あいたりしちゃうし。電話もなかなか出来ないし。だからこうやって目の前にいて話せるのって、やっぱり最高。ビール1本でこんななんだから外でははめ外すなよと言いながら、わたしの髪を耳にかけてくれた。焦凍かっこいいなあ


「焦凍の前だけだよ」
「そうじゃねぇと困る」
「へへ。会いたかったなー」
「・・・俺も」


そう言っておでこにちゅうっと口がくっついた。おでこかよ。もっと他にするところあると思います。そう思ってムッと口を突き出すと、くしゃっと笑って今度はちゃんと口にくっつけてくれた。くるしゅうない!


「名前」
「んー?」
「結婚しよう」
「うん、・・・・・・・・・・・・ん?」


ちゅっちゅしながら合間になんか言うから、お酒もはいってて適当に聞き流してたらなんか、聞き流してはいけない言葉が出てきてた気がした。でも気のせいかな。思ったよりお酒回ってる気がするし


「え?」
「だから、結婚しよう」
「・・・けっこん」
「結婚」
「だれと?」
「俺とお前」
「・・・・・・・・・けっこん」


結婚。けっこん・・・。結婚とはなんだったっけ。ちゅっちゅをやめて焦凍をぼんやりと見つめる。お酒の入ってる焦凍のほっぺも少し赤い。でもにこにこしてほっぺ赤いのかわいいな。結婚かあ。
おもむろに焦凍がズボンのポケットをごそごそして、映画とかドラマとか、テレビでよく見る小さな箱を出てきた。それをパカって開けたらキラキラした石が着いた指輪がある。あのキラキラした石はもしかしてダイヤモンドだったりするのかもしれない。初めて見たかも。


「きれー」
「つけていい?」
「うん」


お酒がまわってるから頭も回らなくて、なんか子供みたいな感想しか出てこないけど。焦凍が箱から指輪を取り出してわたしの左手の薬指につけてくれた。わ、ぴったりじゃん。手を広げて指輪を見る。かわいいしキラキラしてる。


「気に入った?」
「うん、すごいかわいい」
「よかった」
「ありがとうー!」
「それで返事は」
「うん?」
「俺と結婚、してくれるか」


結婚ってなんだったかなあなんて思いながら、左手をとって見つめてくる焦凍をみた。眠いのと疲れたのとお酒で気分がいいのと、焦凍がいて気分がいいのと、プレゼント貰ってとっても気分が良かった。


「うん、焦凍と結婚するっ」


そう言いながらきゃーっと抱きついても焦凍はちっとも倒れない。抱きとめてぎゅうってされて、少し苦しかったけど「大切にする」って言われて。
苦しさは、まあ焦凍だから仕方ないね。
腕の中から焦凍を見上げたら、なんだかすごーく幸せそうな、ほっとした顔してたから。
スキありとそのほっぺに噛み付いた。






「・・・え?あれ?」

朝起きて、左手に光る指輪とわたしを抱きしめて眠る焦凍に、夜の出来事を思い出して叫ぶのはまた別の話。

テーブルの上に記入済みの紙もあった

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