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「うみ!!初めてのうみー!!!」

数段ある石の階段を駆け下りて砂浜に足を埋めながら走っていく。夕陽に照らされてる後ろ姿を目に焼き付けながらゆっくりと後を追った。

「まだ冷たいかなあ?」
「どうだろうな。気温は上がってきたが海はまだ冷てぇかも」
「ちょっとだけ足つけてみようかな!」
「転ぶなよ」

転ばないよおー!と履いていたサンダル脱いで両手に持ちながらその白く細い素足を濡れた砂浜に沈めていく。小さな波がその足元をさらって、冷たいとはしゃぐ声に耳をすませた。白いワンピースの裾が風にふわりと揺れて、夕陽に溶けるような笑顔が眩しい。

「名前」
「ん?」
「靴」
「ありがと」

手に持っていたサンダルを受け取って波に拐われない所に置き、その横に自分のスニーカーを脱いで並べた。サイズの違いに思わず口元が緩む。履いていたズボンの裾を捲りあげて濡れた砂浜に足を進める。足の裏に伝わる冷たさに少しだけ肩を震わせて、次いで来た波が持ってきた砂が足を少しだけ埋めていった。

「冷たい?」
「思ったほどでもねぇ」
「へへ、わたしも」
「さっき冷たいって言ったろ」
「それは、海への社交辞令?」
「なんだそれ」



誰も知らないような海にきたくて、住んでいたところから何度も何度も電車を乗り継いでやっとここにたどり着いた。最初は人でごった返していた電車も乗り継ぐたびに人が減り、最後に乗っていたのは自分と、自分の肩に寄りかかって眠る名前だけ。自動改札機もないような駅で切符を缶に放り込んでお互いの手だけを繋いで見える海を目指した。まだ初春もいいところ、最近やっと暖かくなってきたばかりだから海はやっぱり冷たい。それでも、思ったほどでもない。

「焦凍くん」

呼ばれて顔をあげると、風に揺れる髪を片手で抑えながらもう片方の手をこちらに差し出している。白く透き通った、触ると折れてしまいそうな腕と指先。でもその手を取るのに、迷いなんて一切ない。指先から触れてそっと絡ませて、握り込む。絶対に離れないように、離さないように。
そうしてそのまま少し引いて、近づいてきた体を腕の中に閉じ込めた。自分より一回りも二回りも小さい体。寄せられた頭からは嗅ぎなれた匂いがして、忘れないようにそっと吸い込んだ。

「遠くまで来たね。この時間だと人もいないねぇ」
「人がいると邪魔だろ」
「せっかくのデートだから?」
「せっかくのデートだから。」

見上げていたずらっぽく笑う名前につられて笑って、その額にそっと口付けた。擽ったそうに身を捩った後にまたぐりぐりと顔を胸元に押し付けられる。そうして吐き出された吐息は着ているシャツに吸い込まれて消えた。

「・・・しあわせ」
「よかった」
「焦凍くんは?」
「これ以上にないくらいしあわせだ」
「へへ」

潤んだ声を隠すように笑うから、これ以上にないくらい抱きしめてその存在を確かめる。いつか強く抱き締めたときに、加減をしろと怒られたのが懐かしかった。いまも怒られるかもしれないけど、今日くらいは。今日くらいはいいだろう。せっかくのデートだから。

「・・・遅くなってきたから、そろそろ行こう」
「うん」

抱きしめていた体をそっと離して、手を繋ぎ直す。見つめあって1度キスをした後に2人で足を進めた。


「さっき怒られるかと思った」
「なんで?」
「また加減しないでって」
「焦凍くんは力強いもんねぇ。でもいいよ。その方が離れられないって感じがして」
「離すつもりはねぇよ」
「へへ、嬉しい。・・・2人でさ、ぎゅーって、隙間ないくらいに抱きしめあって、1つになれたらいいのにね」
「1つに」
「うん。そこから混ざりあって、ずっと離れないの。そうしたら探さなくて良いでしょ」
「魅力的だな。でも俺はすぐに名前を見つけられるから大丈夫。名前が探そうって思った時には、もう抱きしめてる」
「期待していい?」
「ああ。どこにいても絶対、見つけ出せる」
「愛の力ですなぁ」
「愛の力だ」
「・・・でも、すぐに会えるように、次もぎゅーってしてね」
「言われなくても。苦しいって言っても、離してなんてやらねぇから」



夕陽が静かな海に沈んでいく。遠くで電車の来る音がする。誰にも何にも邪魔をされない世界で、小さく愛を囁いた。

Lovers' suicide

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