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「別れよっか」



日曜日。目が覚めたら隣に寝てなかった。あるはずの温もりを探して目を瞑ったまま手を動かしても、冷えたシーツがあるだけ。
なんとなく寂しい気持ちになってリビングに歩みを進めると、テレビを見て背を向けるさっき探した後ろ姿がそこにあった。
いつもなら、リビングにいる時はドアを開けた音で振り向いて笑ってくれるのに。テレビの音で開閉音が聞こえなかっただろうか。そんなはずは、ないんだけど。


「名前、おはよう。今日は休みなのに早起きだな」
「・・・おはよう、うん、なんとなくね」

告げた挨拶に、振り向かないまま返事が帰ってくる。喧嘩した時か、怒ってる時か、拗ねてる時の合図。本人は知らないかもしれないけど、何年も一緒にいた俺にはわかる。
はて、自分は何かしてしまったのだろうか。思い当たる節は、ないんだけど。でもそういう時が今までも何度かあって。不甲斐ないが俺はちょっとデリカシーにかけるから、心にもないことを言って名前を怒らせてしまったのかもしれない。今までも小さなことから大きなことまで、あったから。

コーヒーメーカーでコーヒーを作っている最中にマグカップを探して、ふたつ並んだそれを見つける。名前も飲むだろうか。ご機嫌取りではないけれど、多めに作ったものを捨てるのは勿体ないから。適当な理由をつけてできたコーヒーを注いで、昼前のニュース番組を眺める名前の横に座った。そっと置かれたマグカップに反応はない。俺はよっぽどの事をしたらしい。でも何が理由かも分からなくて謝ると余計に怒らせてしまうから、ちゃんと理由を聞いてから謝るべきだ。理由を聞く過程で、また怒らせるのだろうけど。
謝って許して貰えたら、天気がいいから買い物にでも出かけようか。それこそご機嫌取りでは無いけれど、欲しいと言っていた雑貨を見に行くのもいいかもしれない。雑貨を見ながら笑う名前を想像して口元が緩みそうになるのを引き締めながらコーヒーをあおり、横にいる名前を見つめた。

「俺、また何かしたんだよな。それすらも分かってなくて悪ぃけど、何で怒ってるか教えて欲しい」
「・・・おこってないよ」
「怒ってなくても、俺はきっとなにかしたんだろう」
「・・・」

図星なのかそうでは無いのか。テレビを見続けたまま微妙な顔をした名前は、1度深く瞬きをするとテレビから目を離さないまま口を開いた。


「別れよっか」
「・・・・・・は?」


放たれた言葉が咀嚼出来ずに口の中に留まる。いま名前はなんと言ったのだろう。別れよっか。別れる。別れるとは、別れるということだろうか。でもどうして、そんなに俺は酷いことをしていた?そうしてそれすらも気付かないから、嫌気がさした?

「んで、急に・・・。そんな別れたいと思うほどのことを、俺はしたのか」
「してないよ」
「じゃあどうして、俺は、別れたくなんかない」

名前はテレビから目を離さない。横にいる俺を、その瞳にちっとも映さない。本気なのだろうか。でも、本気だとしても俺は別れたくない。もう名前のいない日々など、考えられないから。

「別れたくねぇ。なあ名前どうして」
「疲れちゃった」
「疲れたって、」

何に、と告げた言葉に、名前は零すように続ける。眺めるのが好きな横顔が、くしゃりと歪んで、涙がひとつ頬を伝う。

「焦凍を待ってるの」
「待つって、」

「この部屋で、事件の中継を見ながら焦凍の無事を願って待ってるの、疲れた」




昨日の事件は大規模で、数多の傷病者と救えなかった命があった。ヒーローもかなり負傷し、殉職する者もいた。もちろん俺も現場に行って前線で戦って。夜中にぼろぼろになって帰ってきたのを、名前はいまにも泣き出しそうな顔でおかえりと言ってくれたんだっけ。リビングで付けられていたテレビは、事件の中継をされていたんだろう。
でもその後は、いつもと変わらなかったはず。名前の様子も、変わりないと思っていた。いつもの事だったから。事件事故で、怪我をして帰ってくるのが。


「死んじゃうんじゃないかと思った」

ぽたり、ぽたりと頬を伝ってテーブルに落ちる。

「画面に映る倒れている人の中に、焦凍がいないかずっと探した」

膝の上で、これ以上にないくらい手を握りこんでいる。

「帰ってこないかもしれないって、思うのをやめられないの。朝いってらっしゃいをして、そのまま、なんて」

「そんな風に、思い続けるの、疲れちゃったよ」


嗚咽も漏らさず涙ばかりを零す。酷く小さな肩に手を伸ばして、そっと抱え込んだ。首筋に寄せられた体温が痛い。


名前は、いつも起きていた。俺が何時に帰るか分からないときも、必ず。そうして帰ってきたのを確認して、一緒に眠っていた。
たぶんあれは、ただ起きていたんじゃないんだろう。出迎えとか、そういうのでも無い。帰ってこないかもしれないと思って、こうやって不安になって、眠れなくて。ここに帰ってきたのだと、ちゃんと、俺を見ないと、どうすることもできなかったんだろう。

いつもと変わらず出迎えてくれた。それは、いつもこうやって辛い時間を過ごしていたと言うことだった。俺に言えず、ただ帰ってくるのを信じて待つことしかできない。そうして帰ってこなかったら、大怪我をしていたらと不安に苛まれて。


「待ってる側は、辛いよな。気付けなくてごめん」
「・・・わかってて焦凍と一緒にいたの。焦凍はなにも悪くないよ。わたしが疲れちゃっただけ」


肩口で零す名前の肩は震えない。くったりと力が抜けて、落ちる涙が襟元を濡らした。


「俺も、もし名前が俺の立場だったらって想像しただけで辛い。待てずに飛び出して守りに行くかもしれない」
「でもわたしはそれができないんだよ。そんな大層な個性持ってないんだから・・・」
「うん」


大切な人の帰りを、もしかしたら帰ってこないかもしれないと待つのは想像を絶するほどのものだろう。俺だったら、どうだろう。守れる個性もないから家で待つしかできないなんて、きっとすぐ音を上げてると思う。
名前は強い。俺よりよっぽど。何年も、何日も、そんな恐怖とずっと隣り合わせで生きてきたんだから。


「辛いことを強いてんのはわかってる。でも、俺は別れたくねぇ。名前のいない毎日なんて考えらんねぇよ」
「・・・」

抱きとめていた体をそっと起こして、その顔を見つめる。涙でぐしゃぐしゃの、酷い顔をした名前が、どうしようもなく。


「俺は必ず帰ってくる。約束する。お前のところに、必ず帰ってくるから」


どうしようもなく、愛おしくて仕方がない。


「だから、待っていて欲しい。俺を信じて。」


朝は1番に名前の顔が見たい。一緒にご飯を食べて、いってきますをして、ただいまをして。そうして抱きしめて眠りにつきたい。
名前がいるこの世界を守って、そしてお前の元に必ず、帰ってくるから。


「焦凍はずっと、わたしにこんな思いでいろって言うんだ」
「そうなるかもしれないな」
「怖いんだよ、辛いんだよ。ヒーローなんてやめて欲しいって、何回も思っちゃうんだよ」
「うん」


支えていた小さい肩が震え出す。言葉と共に漏れ出る嗚咽が、その表情が。


「焦凍のそばにいるって決めたのはわたしなんだから、離れるのもわたしが決めちゃダメなの?」
「ダメだ。俺は、名前が待ってるから、必ず帰るって、強く思えるんだから」


名前が待ってるから、頑張れる。名前が待ってるから、帰りたいと思うんだ。


「やくそく、してくれる?必ずかえってくるって」
「する」
「絶対、やぶっちゃだめだよ」
「死んでも破らねぇよ」

「だから死んだらダメだって言ってるじゃん」


涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、名前は少しだけ笑った。

君がいるから

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