やさしい体温 | ナノ

「・・・物間」
「君には名前すら呼ばれたくないな。手も掴んで婦女暴行でもしようとしていたのか?」
「んだと、」

 名前との間に入ってきた物間はいつものA組全体に向ける視線とは違う視線を向けてくる。自分と違ってよく回る口が放つ言葉に反吐が出そうだ。いつ誰が名前にそんなことをする。今はこいつの相手をしている場合じゃないのに、肝心の名前は物間の背に隠されてしまい顔も見れない。
 名前は苦しそうに笑って、涙を流していた。それを思うだけでこんなにも胸が痛いのに。早くその涙を拭って、涙の理由から遠ざけたいのに。


「・・・行くよ苗字」
「え、あ・・・」


 そう言いながら物間が名前に振り返る。そうして振り返った先にいる名前を見て、息が止まりそうになった。名前の白い手は物間のシャツを掴んでいる。たったそれだけなのに酷い衝撃が背骨を貫いた。どうして物間のシャツなんか掴んでるんだ。手を掴まれたのが、本当に怖かった?名前は本当に何かされると思ったのか?


物間が名前の手をシャツから外して、そのまま繋いでしまう。
やめろ、触るな

名前は手を引かれて、遠いところに連れて行かれようとしている。
やめてくれ。連れて行くな


名前、他のやつなんかと行かないで
俺を置いて、行かないでくれよ


「名前、いくな」
 喉から出てくる声は酷く頼りない。まるで小さい頃に戻った気がする。
空気とともに吐き出された声は名前に届いたようで、足が止まる。


 目の前の名前に、小さい頃の名前が重なる。小さい名前は振り向いていつだってすぐに俺の元に来て手を引いてくれる。もうあの頃みたいに泣いてばかりの俺じゃないのに、今また胸が痛くて苦しくて、目元が熱くなる。


 徐に動き出した名前に、息が止まった。信じたくない。目の前の光景を信じたくない。それでも見開かれた目に映るのは、俺を置いて他のやつに手をひかれて離れていってしまう名前だった。振り向きもしないから、伸ばした手すら気づかない。


ー名前、いかないで、こっちに来て手をひいてよ


 降りかかってくる絶望が頭を真っ白にする。今の名前は、俺の手をもうひいてはくれない。好きだと伝えたかったのに、それすらもさせてもらえずに名前は離れていく。


 伸ばしていた手が力なく垂れ下がる。自分の指先がまるで自分のではないみたいに凍え切っていた。立ち尽くしていても名前が戻ってきてくれるわけじゃないから、そんな少しの期待を捨てて元きた廊下を歩いた。
 少し歩いたところで、廊下に携帯が落ちているのが視界の端に入る。見覚えのあるそのケースは、先ほど名前が落とした物だ。拾って画面を見るも、幸い割れてはいない。携帯を返さなければとすぐに思うが、果たして自分がわたして受け取ってくれるのだろうかという不安が頭をよぎる。
 もうすでに痛みとか苦しみとかそういう感情でいっぱいの胸に更に追い討ちをかけられている気がした。・・・とりあえず今日は受け取ってもらえないだろうから、また後日に渡そう。正直名前の顔を見るもの怖い。振り向かなかった名前はどんな顔をしていたんだろうと思うだけで体の温度が急激に下がる気がする。笑っている名前が思い出せない。いつだって笑っていたのに。頭をよぎるのは、軽蔑した目で俺を見る名前だけ。そんな顔で見られたこともないのに、頭は簡単にそれを想像するからやるせない。
 名前、そんな顔で、そんな目で、俺を見ないで。






「と、轟くん、顔が真っ白だよ?!具合悪いなら先生に」
「いや、いい。大丈夫だ」
「大丈夫なんて顔してないよ!!」
「いや、ほんとにいい。もう寝る」


 部屋に戻ると、ドアの近くにいた緑谷にすぐに声をかけられた。そんなに酷い顔をしているらしい。自覚はある。でも体調が悪いわけじゃないから先生のところに行ったとこで何にもならない。今はもう寝かせて欲しい。何も考えたくないから。

 オロオロと動いている緑谷を後に、奥に布団を敷いて滑り込む。まだ寝るには早すぎる時間だからかクラスメイトが騒いでいたり、心配する声が聞こえたりするがそれに返事をする気力もなかった。仰向けに布団に入ったが、居心地が悪くて壁の方を向く。その時に、太腿のあたりに何か硬いものが当たった。自分の携帯は枕元に置いたから、なんだと手をポケットに入れて布団から出すと、それは名前の携帯で。そういえば持ってきてたと潔く思い出した。
 そして不意に、画面に指が触れたのか暗かった画面がパッと明るくなる。表示されているロック画面を見て、息を呑んだ。
 名前と俺が推薦合格をしたときにとった写真。仏頂面の俺の横で、まんまるの瞳を三日月のようにかけさせて笑う名前。

 そうだ、名前はこういう風に笑うんだ。


 携帯を持っていない方の指で、名前の輪郭をなぞる。温度をもたない画面は、名前のやさしい体温を伝えてはくれない


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