やさしい体温 | ナノ


 食事が終わって片付けをしながら先ほどの名前の言葉を思い出す。そうするともう止めどない気持ちが溢れてきて。病室でのお母さんとの会話を思い出した。伝えたいことは伝える。お母さんはそういった。
 今までずっと隠してきた気持ちを伝える。怖いことでしかなかった。前までは伝えることによって受け止めてもらえなかったら、そう思って怖気付いていたから。でも、もうこの溢れ出る想いを止める術を知らなくて。伝えることで確実に自分たちの関係は変わる。今までの関係が終わって、良くも悪くも新しい関係が始まるはずだ。
 名前に避けられ始めてから、この気持ちは名前にとっては迷惑なものでしかないのかもしれないと何度も思っている。伝えたところで袖にされるのが目に見えて胸が苦しいが、伝えない方がもっと辛い道になる気がした。たとえ振られてしまっても、そばにいることを許してもらえたらと甘い考えがないこともない。

「轟くん、そのお皿もうめちゃくちゃ綺麗になってるから・・・」
 一枚の皿を永遠と洗い続けるのを見ていられなかったのか、緑谷が声をかけてきた。あぁと返事をして、洗っていた皿を見る。
 名前はこのあとは時間があるだろうか。会って、話をしてくれるだろうか。
 皿に反射した顔はどこか幼く映っている気がした。



 片付けの後にメッセージを飛ばして、そのトーク画面をずっと見つめる。すぐに返事もくるわけがないのにどこか期待して待っている自分がいた。名前は一緒にいた時はほとんど携帯を触っている様子はなかったから、余計に返事を画面を見ながら待つだけ無駄なのに止めることができなくて。
 画面上の時計を見ると大して時間がたっていない。体感的には何十分も経っていた気がしたのに。いい加減見るのをやめて風呂にでも行こうとした時に、トーク画面の下から自分のとは反対側に出てくるメッセージ。目を通す前に緊張して肩が強張る。満を辞してメッセージを読むと、時間をとってくれるという返事だった。肩から力が抜けて、いつの間にか止めていた息を吐いた。話を聞いてくれると言うだけでも安心できた。それすらも無理だったら、もうどうしようもなかったから。時間と場所のメッセージを送るとうさぎがOKと書かれた看板を持ち上げている見慣れたスタンプが届く。この話はこれで終わり。だけどこの後ちゃんと話すことができる。そこで伝えよう。名前をどう想ってるか。ただこの想いを知っていてくれるだけで、それだけで救われる気がするから。







「あら、轟さん。」
「お、八百万か。」

 えぇ、お風呂をいただいていましたと普段とは違う一つ結びをした八百万は言った。名前との待ち合わせの場所は共有スペースだから人通りも多い。とりあえずここで待ち合わせをして、その後に静かなところにでも行こうと思っていた。

「風呂か」
「えぇ」
「そうか」
「轟さんはこちらで何を・・・」
「待ち合わせだ」
「そうですのね・・・はっ、苗字さんでしょうか?!苗字さんなら先ほど私が入浴を済ませた時に入られていましたのでもう少しかと!!」
「お、おぉ。そうか」
「はっ・・・林間合宿、待ち合わせの男女・・・芦戸さんからお借りした少女漫画に書いてありました・・・!ま、まさか、こ、告白ですか!?」

 普通に話していたと思ったら急に顔を紅潮させて興奮しだす八百万に驚き一歩引いてしまうが、言われた言葉はまぁ間違っていなかったので肯定だか否定だかわかりづらいような返事を返す。それに対しても更に追及し迫ってくるものだからどうしようか考えあぐねていると、興奮して足元が疎かになった八百万の体が傾いた。

「お・・・大丈夫か?」
「まぁ、私ったら申し訳ありません!つい」

 倒れてきた八百万を腕で受け止めると、八百万は申し訳なさそうに謝る。首元で八百万からと思われる匂いがして、名前はもっと甘い匂いがするとぼんやり思った時。
 後ろの方から何かが落ちる音がした。誰かが何かを落としたのだろうか。体勢を立て直している八百万を尻目に後ろを見る。


 名前だ。わずか10メートルくらいの距離に名前が立ち尽くしていた。来てくれたことに安堵するが、見たことのない表情をしていて、それがやけに胸をざわざわとさせた。

「名前、」
 目があっているはずなのに、名前は一切そこから動こうとしない。どうしたのかという意味も含めて名前を呼べばそれが聞こえていないかのような動きで踵を返してしまう。なんでだ?待ち合わせに来てくれたのに、どうして

「八百万悪りぃ、いかねぇと」
「は、はい!」

 八百万をすぐに離して名前の方へ体を動かす。早歩きより少し速い速度で離れていってしまう名前を声をかけながら追いかけるのに。確実に近づいているはずなのに、どうしてこんなに離れていってる気がするんだ。なんで呼んでも止まってくれねぇんだ。なんで、名前


「名前」
「・・・しょ、とくん」

 追いついてその細い腕を掴んだ。風呂上がりのはずなのに、なぜかいつもより冷たい気がする。名前は掴まれたことで足を止めたが、一向に振り向く気配はない。


「急に走り出して、びっくりした。どうし」
「なんで、追いかけてきたの」
「は?なんでって」
「あの子のところにいてあげなよ・・・置いてっちゃったら、勘違いされちゃうよ」
「あの子って、八百万のことか。勘違いってなんだ、俺はお前に話が」
「ダメだよ、・・・・好きな子放っておいて、他の女子追いかけたら」
「・・・何言ってるんだ、八百万はそんなんじゃ」


 名前の言っていることが全くわからない。なんで八百万が出てくるんだ。あそこでは名前のことを話していただけなのに。ずっと、ずっと名前だけを好きなのに。やっぱりどんなに行動で表していてもちっとも伝わらないこともある。ちゃんと言わないと。とりあえずこんな廊下じゃ落ち着かないから早く名前を連れて移動しないと。胸がざわざわしたまま焦燥感が募る。なんでこんなに焦ってる。なんで


「よかっ、」

 振り向いたその顔に、頭が真っ白になる。
なんで、なんで名前、泣きながら、笑おうとしてるんだ。


 苦しそうに泣き笑う名前に声も出ない。頭から冷水を被せられたみたいに感じて立ち尽くしてしまう。泣いてる。名前が泣いている。記憶の中の名前はいつだって笑ってて、泣いているところなんて、見たこともなかった気がした。唯一記憶にあるのは、職場体験の時の電話越しだけ。あの時だって声しか聞いていないから、何もできなくて。
 泣いているのは、小さい頃からいつだって俺だったのに。


「名前、」
 そんな顔しないでくれ、



「おいおい、女の子を泣かせるとかA組も落ちるところまで落ちたな」

 その声とともに、名前を掴んでいた手が払われ、誰かが名前との間に入ってくる。払われた手をそのままに目の前の奴を本能で睨みつけた。


「・・・物間」
 邪魔しにくるこいつは、いつだって俺と同じ目をしている。


▼ 散り始めた花弁

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