これの続き
今日はいつもより早く上がることができたので嬉しい。夕方の光も俺を歓迎してるように思えたありがとう。いつも通りシールドから帰る時に通る道を鼻歌歌いながら帰っていたら、見知った奴がベンチに座っていた。何やら考え込んでいるらしい、なんだか深刻そうである。思わず「ピエトロ、」と声をかけると、驚いたようにびくりとして顔を上げた。
「っナマエ」
「よう、訓練はもう終わったのか?」
「、ああ」
何故か目を合わせようとしないピエトロに少しだけ違和感を覚える。……あ、そうか。
「何か足りないと思ったらワンダがいないんだ。お前が一人でいるなんてめずらしいな。いつもワンダといるのに」
「え、あ、ああ。ワンダは何か用があるとかで、先に帰った」
「…ふーん」
何だろう、なんでこいつはこんなにそわそわしているのだろうか。視線がせわしなくあちこちを動いている。
そのまま沈黙が数秒続いて、気まずいと思ったのだろうかピエトロが慌てたように口を開いた。
「ナマエはこれからどうするんだ?」
「ああ、俺はいま帰るとこなんだ。お前はまだ帰らないの?」
「え、ああ…俺は、」
「ってお前、ここ怪我してるぞ」
「あ?」
思わずピエトロの言葉を遮ってしまった。ピエトロの左頬の上の方に横に傷が入っている。今まで気付かなかったのか、ピエトロは傷を触って一瞬顔をしかめたけれど、「これくらい別にどうってことない」と返された。目を逸らされたまま。それにまたなにか違和感を感じた。…まあそれはともかく、結構深そうな傷だ、俺には十分痛そうに見えるのだが。そうだ、確か絆創膏がどこかにあったはずだけどどこだったかな…。と自分の鞄を漁る。今度ちゃんと整理しよう…。
「訓練の時の傷だろ。こんなのすぐ治る」
「まあまあ待てって。………ああ、あった。ほら、絆創膏」
「………」
「ほら、」
若干よれよれになっているが開いてないので使えるだろう。受け取るよう促すと受け取ってくれた。でも待てよ、よく考えたらこれ俺が貼ってやったほうがいいよな?
「あー待って、やっぱ貸して」
受け取ってくれたばかりのその手から絆創膏を取り戻して封を開ける。
「鏡とかないと貼れないもんな。俺が貼ってやるよ」
「は?!」
「あ、だめだった?」
すごい驚かれたので何か気に障るようなことでも言ってしまったのかと思ったが、そうではないらしい。ピエトロは動揺してるように見えたけど、首を横に振った。どうやら貼ってもいいみたいだ。
「よし、じゃあ、」
ぺり、と絆創膏のシールを剥がしてどこに貼るべきか見さだめる。
「ここらへんかな、」
「っ」
「あ、ごめん。俺の手冷たいよな。末端冷え性なんだ」
「………」
どこらへんに貼ろうかと絆創膏をスタンバイさせながら手をウロウロさせていたら、ピエトロの顔に一瞬指が触れてしまった。それにぴくりとピエトロが震える。そしてやっぱり目を合わせてくれない。いくら俺の手が冷たいとはいえ、なんだかこいつ、いちいち俺の行動に敏感すぎやしないか?と少し疑問に思いつつ絆創膏をピエトロの頬に貼る。切り傷だったけどやっぱり見た目よりも傷が深いように見えたから、貼って正解だったなこれは。
「よし」
「……ありがと、」
「どういたしまして。お前せっかく好い顔してんだから顔に傷残さないようにしないと。後でちゃんと消毒しろよそれ」
「じゃあな、」と帰ろうとした瞬間、弱々しく腕を掴まれた。
「ピエトロ?どうした?」
「あ、…ナマエ、」
一瞬目が合ったが逸らされる。待てこいつってこんなしおらしいキャラだったっけ?ナターシャがもっとこう、シスコンで短気で自己中心的な奴って言ってたよう気がするんだけど…。
……それともこいつ、なんか俺に言いたいことでもあるのか?
そう思って隣に座ってみた。「何かあったのか?」と聞いてみたけど、しばらく間を置いて「何もない」と返される。でもなにか俺に言いたいのか、「あー、…」と言い淀んでいる。とりあえず俺は気長に待つことにした。
辺りにも訓練場にも、あまりもう人はいなかった。みんな家に帰ったか、シールドの施設で細々と夜勤しているんだろう。この時間帯にはエージェントの訓練もなかったはずだし。いつも人の話し声が聞こえるシールドも今は比較的静かだ。さわさわと風が葉の間を通る音がして心地いい。
周りを見回すのに飽きて俺はピエトロの横顔を見ることにした。色々考え込んでいるみたいで俺の視線には気づいてないみたいだ。そんなに深刻なことなのだろうか。…それにしてもやっぱりこいつは顔面偏差値が高いな。全体的にシュッとしている。所謂一般的なイケメンというやつだ。……傷、残るかな。
貼ったばかりの絆創膏には既に血が少し滲んでいる。
「………」
気づいたら手が伸びていた。絆創膏の上から傷をなぞる。
「っ」
「…っあ、ごめん。…痛かったよな」
顔を少しだけしかめてこちらを見たピエトロと、今度はばっちりと目が合った。そしてそのまま、沈黙。
「………」
「……………」
なんだこの…変な空気。
頬をなぞっていた手を不意にピエトロに握られる。俺と違ってピエトロの手は暖かい。
「(………あ、)」
こいつの髪、元は黒かったのか。根元は真っ黒だ。人体実験で色が変わってしまったのだろうか、でも俺は彼の白い髪は好きだな、と少し不謹慎なことを考えてしまった。瞳は俺とは違う綺麗な青色で、黒い睫毛が形の良い目を縁取っている。光に当たると、なんだか宝石みたいだ。夕方の光がちょうど当たっていてそれがよく分かる。
そこまで考えて気づいた。
分かった、俺、見惚れてるんだ。こいつに。
ゆっくり、だんだんとお互いの距離が近づく。俺が近づいてるのか、ピエトロが近づいてるのか、分からない。
「…………」
なんとなく、ゆっくりと瞳を閉じた。そしてそれから恐る恐るという感じに、ピエトロの唇が俺のに触れた。触れただけで、キスとはいえないような、そんな感じ。
「……あ、」
そっと唇が離れていく。
キス、してしまった。
いやキスとはいえないような感じだったけどでも唇と唇が重なるのがキスというならさっきのは明らかにキスだった。頬や額にキスならまだしも、唇にキスだ。でも、なんで?
「…ピエトロ、ってえ、おい」
見れば、ピエトロの顔がそれはもう真っ赤に染まっていた。耳まで真っ赤である。そして完全にやってしまったというような表情である。だめだ、つられて俺の顔も熱くなってきた。
「あー、あの、」
「悪い俺、あー…………くそ…こんなはずじゃなかったのに…」
とりあえず何か言おうとしたけれどピエトロに遮られてしまった。こいつ完全に賢者タイム入ってるぞ。
「ピエトロ、」
「ごめんナマエ、俺キスなんて、ごめん」
「落ち着けピエトロ、とりあえずなんで俺にキスしたのか教えてくれないか」
「え、」
「あーー……つまりその、さっきのキスの意味はどういう……ごめん俺、こういうの苦手で、鈍いみたいで」
ようやく散々周りの人々に「お前は鈍すぎる」って言われ続けてきた理由が分かった気がする。
ピエトロは赤い顔のまま、ぼそりと呟いた。
「それは……ナマエに、キスしたかったから、」
「えーと、それはつまり」
「あーつまりその、……好き、っていう意味で」
「……おお」
なるほど。つまりこういうことか、
「つまりお前は、俺とエロいことしたいってこと?」
「……………ぁ………」
「………ごめん…………」
何言ってんだ俺…………さすがに今のは違うだろ…………。ピエトロ固まっちゃったよ……。
「………分からない、今までこういう気持ちになったことないから…人を好きになったの、多分初めてで」
「………」
不安げにそう言ったピエトロが、ちらりと俺を見る。彼の言う「好き」が所謂そういう意味の「好き」なら、初めて好きになった相手が俺で本当に良かったのだろうか。こんな、恋愛に疎い俺で。
「……(いや、初めて好きになった相手が俺で良かったって、ピエトロに思ってもらわならないといけないのか。)」
なら、俺は俺なりに彼とちゃんと向き合わなきゃいけない。
「じゃあ、ええと、とりあえずデート、する?」
小さく頷いたピエトロが、以前と違う風に見えたのは、俺の心境の変化だろうか。