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 蕎麦好きのサラリーマンなんて、別に珍しくもないほど世の中に溢れているけれど。
 蕎麦をこんなに愛して止まない男は、きっと俺の他にいないに違いない。

 ――ただし、その愛情は社員食堂の蕎麦限定。

 蕎麦といえば柚木、柚木といえば蕎麦と言われるほど社内きっての蕎麦好きとして知られる俺は、実は社食以外の蕎麦にはそこまでの愛情を感じてはいなかった。


「あら、ユギ君。今日は早いわねー」
「珍しく午前中の仕事がスムーズに片付いたから飛んで来ちゃいました」
「やっぱり今日もお蕎麦?」
「もちろん!」
「好きねー、あんたも」

 本当は、好きなのは蕎麦だけじゃないんだけど。

 そんな事を心の中で呟きつつ、今やすっかり顔馴染みになった社食のオバチャンと話しながら、手にはトレーを取って箸を乗せる。

 向かう先はもちろん、蕎麦やうどん、ラーメンを扱う麺コーナーだ。

 激務続きの長い一日の中で唯一至福と言えるひと時を前に、ササッと前髪の乱れを直した俺は、仕事でも見せないとっておきの笑顔で麺コーナーのカウンターにトレーを乗せた。

「ざる蕎麦一つ、お願いします」

 控えめな声に、厨房の大鍋の前で何やら作業をしていた手を止めて、身長百八十センチを軽く超える大柄な男が顔をこちらに向ける。

 目が合った瞬間、朝一番に受けた不愉快な電話のことも、午後から顔を合わせなくてはならない我が侭な顧客のことも、頭の中から吹き飛んで消えていった。

 どうしよう。いつも男前だけど、今日も格好良すぎる。

「……ざる一つね」
「はい!」

 ボソリと呟くように注文を確認する低い声に、下半身が甘く痺れてしまいそうになる。

「俺、ココの蕎麦大好きです。ホント美味いですよね」
「業務用の安い蕎麦だぞ」

 蕎麦を茹でる僅かな時間に少しでもコミュニケーションを取りたくて、好き好きオーラを発してみるも、敢なく撃沈。

 変な事を言わなければ良かった……とうなだれる俺の前にざる蕎麦を置いて、仏頂面の調理人は相変わらずの低い声で呟いた。

「――蕎麦ばかり食ってねえで野菜と肉も食え、坊主。夏バテするぞ」
「は、はいっ!」

 麺コーナーを担当する、社食スタッフの北山さん。

 無愛想を絵に描いたようなこの大男に一目惚れして以来、生粋のゲイである俺は切ない片思いを胸に連日社食の麺コーナーに通い詰めているのであった。




「あああ……今日も北山さん、格好いいな」

 蕎麦の載せられたトレーを手に腰を下ろしたのは、麺コーナーを眺めながらランチタイムが楽しめる社食最前列のテーブル。
 昼どきはすぐ前や後ろにたくさんの社員が並ぶためあまり人気がないというカウンターに近い席は、俺にとってはお気に入りの特等席だ。

 一生懸命に働く北山さんを見ながら、北山さんが茹でてくれた蕎麦を食べられるという幸せ。
 今の俺は、このために一日働いていると言っても過言ではない。

 多分、年齢は俺より三つか四つくらい上の三十前後。
 料理人らしく刈り込まれた短い黒髪。
 少し迫力のある、太く吊り上がった男らしい眉に、細く鋭い目。滅多に口角の上がったところを見せてくれず、いつも固く結ばれた唇。
 顎も鼻も、どちらかと言えばゴツめなのかもしれないけれど、大柄な体格や北山さんの無骨な雰囲気とよく合っていてイイ男度が増して見える。

 会話らしい会話をした事はほとんどないものの、仕事に対する誠実な姿勢と、仲間から信頼されている真面目な性格は見ていて分かる。

 何より俺は、黙々と麺を茹でている時の北山さんの真剣な表情と見事な手さばきが大好きなのだ。

「彼女とか、いるのかな……」

 ズルズルと蕎麦をすすりながら、増え始めてきた注文を鮮やかに捌いていく北山さんの精悍な横顔を眺め、俺はいつものように妄想を膨らませた。

 生まれてこの方、男以外を好きになったことがないという真性ゲイの俺とは違って、北山さんはノンケだ。
 それでも、あの超無愛想男に彼女というのはなかなか想像できなかった。
 もしかしたら彼女の前では別人のように優しくてとろけるような笑顔を浮かべちゃってたりするのかもしれないけど。

 あの人、不器用そうだから女の子に声なんてかけられないんじゃないだろうか。
 もし独り身が長くて溜まっているなら……俺がそこら辺の女の子なんかよりよっぽど気持ち良くしてあげられるのに。



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