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 滅多に人が訪れることのない場所とはいえ、今の言葉を誰かに聞かれたりしたら自分の立場がまずくなるかもしれないと分かっていて、それでも思っていることを口に出してしまうのが榎木田君の若さなんだろう。
 実際の年齢より落ち着いて見えても、彼はまだ、社会の裏側を知り尽くす程には成熟していない。

 俺は、散らばっていた資料を拾い集め、箱の中に戻して立ち上がった。

「君が誰から何を聞いたのかは分からないけど、もう昔のことだよ」
「……それでいいんですか」
「今は榎木田君も含めて新しいメンバーがプロジェクトをより良いモノにしようと一生懸命頑張ってくれているだろう? きっと僕が考えていたより素晴らしい物が出来上がる。今から完成が楽しみだ」

 言い聞かせるように出てきた言葉に、嘘はなかった。

 一度は諦めてしまった夢が、別の人間の手によって実現されようとしている。

 その様子を外野席から静かに見守ることが出来るだけで、今の俺には十分嬉しかった。

「この資料は預かろう。探しているデータなら、こっちのファイルだけで十分だと思うから」

 榎木田君の手にあった昔のプレゼン資料を取って、代わりに必要な情報だけを引き抜いてまとめた“公式”のファイルを手渡す。
 立ち上がって箱を元の位置に戻した若者は、憮然とした表情でそれを手に取った。

「さ、早く戻らないと。皆が心配しちゃう」
「心配なんてする訳ないでしょう、子供じゃあるまいし」
「原黒さんは時間にうるさい人だから、こんな所で油を売ってると思われたら大変だ」

 時代劇の悪代官役が似合いそうな開発部長の怖い顔を思い浮かべて、早く自分の部署に戻るよう榎木田君を視線で促す。
 有能な若者の未来を下らないことで台なしにするような真似はしたくなかった。

「まるで牙を失った虎ですね」

 ファイルを抱えた榎木田君が、低く呟く。

「虎なんてそんな、カッコイイものじゃないよ」

 ごまかすように力無く笑ってみせる俺に、眼鏡の奥の冷たい視線は容赦なく突き刺さった。

「じゃあ、ゴムの抜けた白ブリーフだ」
「し……白ブリーフは、もう卒業したよ! 今日はあのカッコイイ下着を……っ」

 というか、その例えはちょっとどうだろうと思ったけど、どうやら彼は普段と変わらない顔のまま静かに怒っているようで、それ以上何も言うことが出来ない。

「俺は、今の窓際課長の姿が貴方の本当の姿だとは思っていませんから」
「っ!」

 擦れ違い様に耳元で囁かれた声に、背筋がビクッと反り返った。

「榎木田、くん」

 振り返らず、扉を開けて去っていく大きな背中と、硬い足音。
 凛々しい後ろ姿が、やがて見えなくなる。

「――ゴムの抜けた、白ブリーフ……か」

 湿った空気の漂う薄暗い部屋に一人残されて。
 くたびれた中年窓際課長の俺には、ため息をつくことしか出来なかった。




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