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各フロアに一つずつしかない重厚な造りのドアを開けて出て来たその男は、一瞬目を大きくして驚いた様子を見せた。
が、すぐに形の整った眉がしかめられ、歓迎せざる訪問者に対する冷ややかな視線が投げかけられる。

「あ、夜分遅くに申し訳ありません。カレスエステートの安藤です」
「…見れば分かる」

相変わらずの生意気な口調が低音で響いて耳をくすぐり、それだけで俺は、今まで足りない気がしていた何かがじんわり満たされていくのを感じてしまった。

クソッ…、重症じゃねぇか。

そんな自分に心の中で舌打ちしながら、営業用の笑顔を浮かべて用意していた言葉を続ける。

「その後どうですか。入居されてみて、何かお困りの事はございませんか」
「特に何もない。わざわざそんな事を聞きに来たのか。…契約関係は父の会社を通すように言っておいたはずだが」
「いえ、今日は別件でお伺いしました」

別件と聞いた瞬間、三澤の眉がピクリと跳ね上がった。

以前はそんな事はなかったのに、今は一瞬の沈黙が重苦しく、僅か数十センチの距離が、果てしなく遠く感じる。
やはり会いに来るべきではなかったのかもしれない。
らしくもなく弱気になりかけた俺をチラッとひと睨みし、三澤はドアを大きく開けて中へと入って行った。

「アポイントもなしで訪問とは、随分優秀な営業マンだな」

どうやら玄関先で追い返される事はないらしい。
少しホッとしながら久しぶりに見る背中の後に続き、生活の温もりが表れ始めたリビングに足を踏み入れた。

「それで、別件とは?」
「あ、あの、実はですね…」

あくまで事務的な態度を崩さない三澤に合わせて、俺も営業用の顔を保ったままで今日ここを訪れた表向きの理由をザッと説明する。

三澤が希望していたこのマンションの最上階は既に売却済ではあったものの、所有者の都合で現在も未入居のままだった。
先日、思い切って所有者に連絡をとってみたところ、急な海外赴任が決まって日本に帰る目途がたたず、早くも部屋の売却を考えているとの事だったのだ。

「――つまり、俺にもうひと部屋購入しろと勧めに来たワケか」

説明を聞き終えた三澤は、表情を全く変えずにそう言った。

「いえ。三澤様が最上階をご希望のようでしたので、近々売却の予定がある事をお知らせしようと思っただけです」
「未入居だろうが何だろうが、中古物件に興味はない」

バッサリ切り捨てられ、久々にイラッと感が燃え上がる。
未入居っつったら新品同様じゃねぇかよ!つーか俺なんてCDも車も、中古にしか興味ねぇよ!

声には出さずそんなツッコミを入れると同時に、まるで自分が“中古物件”だと言われたような気がして、胸の奥にチクリとトゲが突き刺さった。
もうお前には何の興味もないと、そういう事か。

「そうでしたか。もしご希望でしたら是非三澤様に、と思って伺っただけですので…」

結局、俺は何をしに来たんだろう。
三澤に会って、それでどうしようと思っていたのか。

考えなしの自分につくづく呆れつつ、軽く会釈をして帰ろうとしたその時。
伸びてきた手に腕を力強く掴まれ、振り向いた俺は、三澤の鋭い瞳に捕らえられて動けなくなってしまった。

「本当に、話はそれだけか」





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