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「安藤係長、随分お疲れですね」
「ん?ああ、悪い。ボーッとしていた」

部下の小杉に声を掛けられてハッと我に帰る。
もう今日何度目かの光景だ。
パソコンのディスプレイに表示された報告書はさっきから一行も進んでいない。

「最近ため息ばかりついて。課長昇進目前にして昇進ブルーですか」
「おい、まだ内示前だぞ。あまり大きな声で言うな」
「もうみんな知ってますよ」

三澤との契約成立後、社長室に呼び出された俺は次の人事異動での課長昇進を内々に告げられた。
ずっと昇進を目標に頑張ってきたつもりだったのに、意外なほど心は冷静で、何故か素直に喜びきれない自分がいる。

――あんな行為と引き換えに契約を取ったんだからな。喜べなくて当然か。

数週間前の忌ま忌ましい出来事を思い出し、デスクの端に置いてあるすっかりぬるくなった茶を啜って俺は、また深いため息をついた。




「安藤、これで満足か」

射精後の疲労感でぐったりする俺を見下ろして三澤が最初に放った一言がこれだった。

ケツに指を入れられた挙げ句男の手でイカされて、満足なワケがあるか!
そう言ってやりたかったがもう喋るのも億劫で、言葉が出てこない。
無言で奴を睨み付ける俺にそっと手を伸ばし、三澤はまるで大切なモノを愛おしむように何度も髪を撫でてきた。

「お前…、それ、さっき俺のチンポ握ってた手じゃねぇのかよ」
「違う。ケツに入れていた方の手だ」
「触んな!」

これには億劫だとも言っていられなくなり、必死の思いで三澤の手を跳ね退ける。
俺を見下ろす三澤の目は年齢不相応に穏やかで、先程までの獣の気配はすっかり影を潜めてしまっていた。

「これでもう俺に会う事もないと思えばスッキリするだろう」
「そりゃあな。もうスッキリとかそんなレベルの話じゃねぇな」
「結局、手放すという方法でしかお前を喜ばせる事が出来なかったのが残念だ」
「あぁ?」

その言葉がさっきの変態行為の事を言っているのか、あるいは何か他の意味があるのかは分からなかった。
ただ目に焼き付いたのは、傲慢な御曹司が見せた淋しげな笑顔。

「契約書は父の会社に送ってくれ。俺から話を通しておく」

そう言って三澤は立ち上がり、着ていた服の乱れを整えて寝室のドアに向かって行く。

「一ヶ月間、我が儘に付き合わせてすまなかったな。お前にはいい迷惑だったかもしれないが…俺は結構楽しかった」
「あ、おいっ!帰りどうするんだよ」

こんな事までされて俺も大概人が良すぎるが、車で送ってやろうかと声をかけたその時、ドアノブに手を掛けた三澤が振り向いて言った。

「そうだ。仕事が忙しくても下半身の処理はちゃんとしておいた方がいいぞ」
「はっ!?」
「お前の精液は濃い」
「…変態っ!」


――それが、一ヶ月間苦労して共に物件を探して回った客との最後の会話だった。




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