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「あ!池子さんっ、意外にゆっくりのお帰りだったっスね」
「ケツは無事か、池子」
「無事に決まってるじゃないですか」

一大任務を終えて主任の部屋に戻った俺を出迎えてくれたのは、二人の微妙な優しさだった。

「シャワーお借りします」
「ああ、服は脱衣所に置いてあるぞ」
「お化粧はシャンプー横のメイク落としで洗うっス!」

この準備のよさは、心底ありがたい。

一刻も早く女装姿から逃れたかった俺は、ヅラと服を乱暴に脱衣所に脱ぎ捨て、すぐにシャワーを浴びて顔を洗った。

鏡にようやく見慣れた自分の顔が戻ってきた事に、心底ホッとする。

もう少しデートが長引いたら、池子になりきって外さんとどうにかなっていたかも…。
…っていうか“どうにか”って何だ。

やるからには完璧な女装を追究してしまう徹底ぶりも問題だなと、鏡に映った顔を見ながら苦笑いしてしまった。


○●○


「池原さん、お疲れさまですっ」
「おー、池さん!聞いてくれよ、俺のデート報告!」
「…外さん!?」

シャワーを浴びてさっぱりした気分でリビングに顔を出した俺の目に飛び込んできたのは、さっき恥ずかしいくらい大袈裟に別れを惜しんだオシャレ坊主の先輩だった。

あのまま帰ったんじゃなかったのか。
何故ここに?

「ビールでいいか?」
「え、あ…ありがとうございます」

訳も分からないまま仲山主任に缶ビールを手渡されて、床に腰を下ろす。

既に酔いが回っているのか頬をほんのり赤く染めた新人が、ご機嫌な様子で枝豆をせっせと剥きながら言った。

「今日は外岡さんのデート成功をお祝いして、主任の家でお泊り飲み会するっスよ!」

…聞いてねぇよ、そんな予定は。
というか、あのデートは成功というには相当厳しいモノがある。

「泊まりって、明日は会社が…」
「朝イチで外が家まで送るから気にするな。飲め」
「飲もうぜ、池さん!」
「…はぁ…」

疲れて浴びたシャワーの後に、ビールの誘惑には逆らえない。


だが、この飲み会は大きな誤算だった。


缶ビールを片手に、もう片方の手で“池子特製ウフフチョコ”を握り締めながら、なんとオシャレ坊主は主任と松崎に池子デートの報告を始めたのだった。

「可愛かったなー…池子」
「外さん、デートの話はもういいから」
「その後二人で『筋トレ王国』に行ってさ」
「黙れよエロ坊主!」

必死で止めようとしても、うっとり夢見心地な外さんの話は止まらない。

「ほー、それは池子も脈ありだな」
「楽しいデートが過ごせてよかったっスね!」

仲山主任と松崎の無責任な相槌と、ウフフ笑いを含んだ痛々しい視線。

記憶を抹消するどころか、まさか上司と後輩のいる前で報告されてしまうとは。

「最後にデコチューされたんだ!」
「してねぇよ!」
「チューまでしたんですかっ」
「してないから」

もはや止まらない勢いで祝杯をあげる外さんと松崎をぼんやりながめて、ビールに口をつける。
飲まないとやっていられないとは、この事だろう。

「池…まさかデコチューまで…」
「主任、これには深いワケが!」
「お前の完璧主義には頭が下がるな」

ポン、と肩を叩いて俺を見つめる上司の何ともいえない微妙な表情に、もう何から言い訳したらいいのか思い浮かびもしなかった。

「来年も会えるかなー、池子に」
「織り姫と彦星みたいでロマンチックっスね!」

来年もやる気か、この無駄に大掛かりなイベントを!
しかも俺の女装前提で。

「ちょっと待てよ、俺は絶対にやらないからな」
「来年までに俺はモテる男のデートコースを学び尽くす!」
「応援するっス!」
「……」

人の話を全く聞かず、嬉しそうに松崎と肩を組んで笑う外さんの姿を見て決めた。

来年はどんな卑怯な手段を使ってでも俺が勝つ、と。


死ぬほど似合わない女装姿で街中連れ回して、完璧なエスコート術をきっちり身体に叩き込んでやるから。
覚悟しろよ、やんちゃ坊主。


「池さん、ハッピーバレンタイン!」
「…お疲れ、外さん」

外さんの幸せそうな顔を肴に飲み干したビールは、ほろ苦い旨味を残しつつ、爽快なキレ味で一日の疲れを綺麗に消し去ってくれたのだった。



end.


(2009.2.26)

――Happy Valentine's Day !!





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