きっと恋だから




「虫太郎さん、」

 繋がった指先、触れ合う手のひら。感覚はしっかりあるのに、現実ではないみたい。
 車の音も街のスピーカーの音も、周りをゆく人たちの足音も、自分の呼吸も。それから横断歩道の白も空の抜けるような青も。全部が遠のいて、代わりに虫太郎さんだけがはっきり、いろづいている。完璧に整えられた髪も上等そうなスーツも、心做なしか煌めいてみえた。まるで恋愛ドラマのはじまり。なんにも意識していなかったのに、手を取られただけでこんなに胸がきゅっと締め付けられるなんて。

「は、反射的に掴んでしまっただけだ!」手が離されそうな気配を察知したとき、団体の旅行客が反対方向から押し寄せてくる。流されそうになる前、虫太郎さんが遠慮がちにわたしの手を引いた。「ここではぐれられたら困る。仕方がないから、着くまでは繋いでいてもいい」
「ありがとう、ございます」

 身体中があつくって、つま先にまで力が入る。突然変になったわたしの歩き方を見て、虫太郎さんがあからさまに不審げな顔をした。それに気付かないふりをして、まっすぐ前を向く。ゆっくり空気を吸い込むと、仄かに夏の匂いがする。そういえば虫太郎さんは、夏が嫌いなんだっけ。じゃあ、これは伝えない方がいいか。

「ずっとこのままなら良いのに」
 ちょうどいい気温だし。続けようとした言葉はすぐに引っ込む。虫太郎さんの表情が、さっきとは全然違ったから。
「どうかしました?」
「ずっとこのまま、とは、その……」

 声も上擦っているし、目も合わない。虫太郎さんの異能は犯罪者向きなのかもしれないけれど(自称犯罪の王、なのだし)、本人は全然向いてないとわたしは思う。色々言ってくるけど結局優しいし、なんでもかんでも顔に出すぎなのだ。そこがかわいいところだけれど。……かわいいところ? わたしまだこの人のこと、全然知らないのに。変な感じがする。

「ずっと春のままならいいのに、の意味です。春って暖かくてすきだし、それに虫太郎さん、夏嫌いじゃないですか」

 彼は考え込んだまま、街のなかを進んでいく。わたしと繋いでいない方の手が顎に添えられていた。その仕草に不意に色香を感じてしまって、ないない、と小さく首をふる。
「確かに」どこか、ふてくされた少年のような声だった。「確かに、夏は嫌いだ」
 うんうん、と相槌を打つ。乱歩さんからいろいろ聞いたもの。わたしも夏は得意じゃないから、気が合うかも、なんて。

「まあ、夏は夏で、エアコンの効いた部屋でする読書とかも、好きなんですけどね」
「私もだ。夏は部屋に篭って、神秘学の書を読むに限る」
「神秘学、好きなんですか」またひとつ、彼に詳しくなる。神秘学について語り出した彼に、自然と笑みがもれた。友だちになれたら、と思っていたけれど、きっとこれは。

「じゃあ夏が来ても、こうやって一緒に居て」横断歩道の赤に、足が止まる。「いろいろ教えてくださいね」
「……い、いいだろう。但し天気のいい日のみだ」
 天気のいい日? 暑いのが苦手で夏が嫌いなのではないのか。聞こうとした時、信号が青に変わった。
「わかりました。楽しみにしてます」

 彼が大の雷嫌いだと知るのは、また別のお話。







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