きっとまた君のとなりで



青に煌めくのその後を描いたものです。
※順番はどちらからでも読めます。



 彼の恋びとになってから、だいたい一ヶ月が経った。外は相変わらず寒くて、たまに雪が降る。それでもわたしたちは時間のある限り色々なところ──話題のスイーツ店やぴゅ〜るランド、流行りの映画、それから彼行きつけの駄菓子屋──へ出掛け、冬休みが始まってからは、お互いの家で遊ぶことも増えていた。

 ハッチンとは親同士の仲が良かったことで幼なじみのようにして育って、だからわたしの両親も、彼には全幅の信頼を置いている。それでもずっと一緒だった訳ではなく、小学校は別々だった。高校もばらばらになってしまったから、結局わたしたちが一緒に通ったのは中学だけということになる。ハッチンが常に追いかけているバンドメンバーのヤスくん、とは意外にも面識がなく(ライブで一方的に見ることはある)、小学校時代になにがあって今の関係に落ち着いているのかは知らない。いつか聞けたらいいなと思うし、そのときには彼のバンドメンバーたちと会えていたらいいな、とも思う。

 ちなみにそのバンドメンバーたちは全員、ハッチンとわたしが付き合い始めたことを知っている。すぐ次の日のスタジオ練でバレたのだ。彼は言う気など無かったらしいけれど、スマホのロック画面にツーショットを置いておくなんて、聞いてくださいと言っているようなものだ。一方わたしは周りの誰にも言えておらず(お母さんには唯一伝えた)、撮った写真はすべて一人の時にしか見ていない。もし学校にもどこゆびのファンが居たら、そんな事実は知りたくないと思うからだ。すこし寂しい気持ちもあるけれど、我慢するしかない。登校を共にしていることはまだクラスメイトたちにはバレていないから、しばらくは大丈夫だろう。

 お母さんに名前を呼ばれて、部屋から出る。階段をおりてキッチンへいけば、美味しそうな匂いが漂っていた。明日はわたしの誕生日だから、晩御飯のメニューの相談、とかかもしれない。内心期待して、口角が上がる。

「ごめんね〜、明日なんだけど」
 申し訳なさそうな顔と、声色で察する。共働きの両親の元で育ったわたしには、珍しいことでもなんでもない。
「……仕事入った?」
「そうなの。しかも泊まりで。お父さんも帰れないって」
「仕方ないよ。大丈夫」

 作りかけのものとは別に、容器に詰められた料理もある。作り置き用だったのか、と納得して、それでも気分が沈むのは抑えられない。

「ハッチン君に来てもらったら?ほら、昔うちで誕生日パーティしたときも、いつも来てくれてたでしょう」
「そりゃ来てくれたら、嬉しいけど、……いいの?」

 誕生日にひとりなんて、やっぱり寂しい。ハッチンが来てくれたら素敵だとは思うけれど、親としてはどうなのだろう。誰もいない家にわたしとハッチンのふたりきり。

「大丈夫よ。ハッチン君はほんと、いい子なんだから」
「お母さんがいいなら、呼ぼうかな」

 まだ予定は聞いていないけれど、直近でライブやイベントは無いはずだ。誕生日のことを何も話し合っていないカップル、なんていうのも珍しいような気がするけれど、ハッチンとの予定はいつも急に決まるのだ。わたしはスケジュールを埋めるのが好きではないし、なにも不都合なことはない。それに、何も無かった一日が彼によって色付く瞬間は、何度経験しても嬉しかった。

「ふふ、そうしなさい」
 お母さんは料理の続きに戻って、そのまま話し始める。「お家にはお母さんから連絡しとくから。あの子、きっと言わないでしょう?」
「うん、多分言わないと思う。ありがと」

 キッチンを抜けて、リビングに出る。作り置きできるようなメニューで、という制約つきだったけれど、お母さんは好きなものを作ってくれるらしい。夜までに考えて、ハッチンにも相談してみようと思う。
 テレビ台の下の、幼いわたしとハッチンが並んだ写真──幼稚園の時のものだ──が目に入って、微笑ましい気持ちになった。あのときからなんとなく、わたしはハッチンに憧れていたような気がするけれど、まさかこんなことになるとは想像もしていなかった。

 スマホを開いて、メッセージアプリを起動する。自分から家に来て欲しい、と誘うのは初めてだったから、文面を考えるのにも時間がかかった。何度も確認しながら文字を打ち込んでいると画面が切り替わって、軽快な音が鳴る。

「……もしもし?今連絡しようと思ってたから、びっくりした」

 電話の相手はハッチンだった。ディスプレイには彼のアイコンが大きく表示されている。このあいだふたりでぴゅ〜るランドに行った際撮ったものだ。

「ファ!?まじかよ!すっげー偶然!」
「ふふ、そうだね」
 スマホの向こう側は、なんだか騒がしい。途切れ途切れに聞こえる何かのBGMと、ざわざわとしたひとの話し声がする。
「明日オマエんち行ってもいいか?誕生日だろ」
「ええ、嬉しい。今ちょうど誘おうと思ってたの。……明日ね、お父さんもお母さんも居ないんだ」
「フ、ファ〜!?……そ、それ、やばくね?」
「大丈夫。なんとお母さん公認」

 お母さんがハッチンの家にも連絡していることは、言わないでおいた。子ども扱いしてるみたいで嫌がるかもしれないし、彼は一応反抗期のヤンキー、なのだ。この歳までサンタを信じていられるような家庭で育ったのだから、もちろん根はものすごく優しいし、誰よりもピュアなのだけれど。

「じゃあ決まりね。明日、待ってるから」

 間延びした返事が外の喧騒に消えて、電話が切れる。服屋にでもいたのだろうか。ハッチンはオシャレだから、練習の合間や休日によくショッピングに行っていた。最近はわたしも一緒に選んだり、またデートの時に着ていく服を選んでもらったりもしている。彼自身は派手な色や柄を好むけれど、わたしに選んでくれる時はシンプルで合わせやすいものが多かった。付き合いも長いから、わたしの好みも踏まえて考えてくれているのだろう。

 部屋に戻って、ふう、と一息つく。お父さんもお母さんも居ないのは寂しいけれど、誕生日をハッチンとふたりきりで過ごせるなんて夢みたいだ。恋びとになってから初めての誕生日。

▽▽▽

 今日は土曜日だから、学校は休みだ。けれどハッチンは練習があるらしく、夕方に来ることになっている。そろそろかな、と部屋を出ると、メッセージアプリの通知が鳴った。いつものように家の前で待つハッチンの元へ向かって、歩きだす。

 コンビニで一緒にケーキ──ホールにしようぜ!と元気な提案をされたけれど、食べられる自信がなかったから二切れだけにした──を選んで、お菓子や飲み物もたくさん買い込む。袋がふたつに分かれてしまうくらいの量だったのに彼はそれを片手で持って、もう片方はわたしと繋いでくれた。

 まだ夕方といえど陽はだいぶ落ちて、辺りは薄暗くなってきていた。奥行きのあるブルーとオレンジのグラデーションが、うつくしく街並みを包んでいる。背の高いビルは窓だけ残して黒に、木はシルエットだけが見える。影絵みたいな夕方だ。

「手繋ぐの、慣れた?」
「全っ然慣れねー。オマエは緊張しねーのかよ」
「少しはするかなあ」未だにぎこちない力の入れ方に、笑みが洩れる。「でも、それより安心するかも」
「ファ〜〜?安心……これが?」
「うん。ハッチンが隣にいてくれると、安心するの。昔から」

 高校に入ってから、彼を遠くに感じることが増えた。
 もしかしたらこのまま疎遠になって、顔を合わせることすらなくなるかもしれない。中学を卒業するとき、そんな不安に駆られた。実際にはそんなことはなく、朝の登校を共にしたりたまに遊んだりしてくれて、わたしはひどく安心したのだけれど。それでもやっぱり学校が違うというのは大きな壁のように感じられて、さらに彼にはバンド活動があった。わたし以外にも彼を好きなひとは大勢いて、だからこそわたしたちの関係は公にできない。まだ学生という立場だけれど、彼らの活動の真剣さをわかっているからこそ、邪魔になるようなことだけはしたくないのだ。

 常にとなりに、と願っているわけではない。たまに居てくれるだけでいいのだ。どれだけ遠くなっても彼は彼で、この手のぬくもりだけは本当だ。彼はわたしの幼なじみで恋びとで、誰より好きなひと。

「あとね、わたし本当にハッチンの彼女なんだーって思う」
「ファファ!そんな風に思ってたのか。ま、オレは常に実感してるかんなー。アイツらにもからかわれるし。特に双循」

 普段、雪玉に石を入れられただとか落とし穴に落とされただとかそういう話をする彼とは全然表情が違って、驚く。からかわれたときの話をする時は、もっとこう、思い出しながら悔しがるとか怒るとか、騒がしい感じなのに。
 皆で居るときの双循くんがどんな風なのか、わたしはハッチンから聞いた情報で想像するしかない。けれど、学校でも学校の外でもハッチンと付き合っている事実を隠しているわたしからすれば、そのことを知ってくれている双循くんやヤスくん、ジョウくんの存在はいわばちょっとした共犯、もっといえば秘密を共有する仲間のような、そんな近しいものに思えてくる。

「へえ、そうなんだ。……嫌じゃないの?」
「どっちみち、アイツらには言わねーとなって思ってたし。からかわれるのも、オマエとのことは別に、……そんなに嫌じゃねー」
「そっか」

 声が弾まないように気をつけて、わたしはまた彼のバンドメンバーのことを思う。親愛なる彼の、親愛なるバンドメンバーたち。わたしからはずっと離れたところで輝く彼らも、ハッチンの話の登場人物としての等身大の彼らも、どっちも好きだ。


 家に着いて、わたしの部屋へ入る。誰もいないのだからリビングでも良かったのだけれどなんとなく落ち着かなくて、結局いつもの定位置に、わたしも彼も座っていた。
 お母さんの料理もハチミツ入りショートケーキもすぐに食べ終わってしまって(彼は本当によく食べる。見ているだけで満足してしまいそうなくらい)、けれどお菓子を食べる余裕は無く、テーブルには食後の紅茶(これもハチミツ入り)だけが置かれている。

「ファー!プレゼント渡すの忘れてたぜ」

 ハッチンの叫び声にびくりとして、カップを置く手が跳ねる。ごめん、と彼の方を向けば、リボンのついた紙袋を差し出された。

「た、誕生日おめでとう。……コレ、ぜってー気に入ると思う」

 しずかに受け取って、開けていい?と聞く。ほどなくして、無言で頷かれる。絶対気に入るとまで言っておきながら、緊張しているらしい。プレゼントを思い出した時の元気はどこかへ行ってしまっていた。

「わ、これ、イヤーカフ?……素敵」
 リボンを解いてちいさな箱を開けると、シルバーのシンプルなイヤーカフが三つ入っていた。よく見ると、少しずつデザインが違ってどれも可愛らしい。「ありがとう」
 彼は箱を貰ってから開けるまでのわたしの反応を、幼い子どもみたいにじっと見ていた。目が合った途端ぱっと表情が明るくなって、それでもどこか照れくさそうに笑う。
「いいだろ、それ。あ、付けてやるよ!」
「え、 」

 ハッチンが箱を取って、わたしの髪に触れる。時折耳に指輪が触れて、ひんやりした感覚がした。片手だと付けにくかったのか、肩に反対の手を置かれる。これは恋びとの距離、だ。意識した途端一ミリも身体を動かせなくなって、結局イヤーカフが耳に収まるまで、わたしは一言も発することなく壁を凝視していた。

「すっげー似合う!やっぱオレって天才じゃね!?」
 ぼんやり揺蕩っていた沈黙が、彼の声でやぶられる。
「片耳だけ、……あ、ハッチンと同じ」
 彼の触れた所を指でなぞると、三つ並んで付けられたイヤーカフの感触がある。

「本当は同じやつにしようと思ったけど、オマエピアス開いてねーからそれにした」わたしを眺めたままのハッチンが、得意げに笑う。「イヤリングは頭痛くなるとか言ってたし、すっげー悩んだんだぜ!店は女子ばっかで落ち着かねーし」

 煌びやかなアクセサリーショップのなか、居心地の悪そうにディスプレイを眺めるハッチンを想像してみる。彼なりに色んなことを考えて、それからわたしがつけているところを思い浮かべて、そうしてようやく、イヤーカフにたどり着いたのだろう。予想は当たっていたらしく、彼は「他にもネックレスとか指輪とか」と指を折って数えている。

「わたしのことを考えてくれてた時間ごと、本当に嬉しい。……ありがとう」
「色々考えて選ぶのも楽しかったしなー。どーいたしましてだぜ!」どういたしまして、なんてありふれた言葉なのに、彼が言うと珍しい言葉、もしくは何かを強調するときの発音みたいに聞こえる。「今度一緒に行こーぜ!」
「うん、行きたい」

 スマートフォンのカメラで、イヤーカフを見る。画面に映る自分はどこか照れくさそうな、自分でも見たことのない顔をしていて恥ずかしくなる。閉じようとしたらハッチンがフレームの中へ入ってきて、シャッターボタンを押した。思い出がまた一枚、増える。

「……なあ」

 彼は写真を撮ったあとも、動かない。少しでも顔を傾ければ頬が触れてしまいそうな位置だ。

「なに」スマートフォンの画面に気を取られているふりをして、答える。ハッチンは一度離れたあと、手を伸ばしてわたしの頬へ触れた。「ハッチン、」

 ゆっくりと顔が近づく。ひとみの水色にうすく影が落ちて、鈍く光った。彼のことしか見えないまま、目を閉じる。
 ほんの一瞬くちびるが合わさって、温度の混じらないままキスが終わる。

「急にするから、びっくりした」
 緊張で掴んでいた彼の腕から手を離して、長く息を吐く。無意識に呼吸を止めていた。
「な、なんか今しかねーかな、と思って」
「そっか。確かに、今だったかも」

 付き合ってから初めてのキスだった。いままでお互いの家に行っても、手を繋ぐ以上のことはしていない。今日はするのかな、と実はこっそり毎回リップ選びに気合を入れていたけれど、絶対に彼には秘密だ。今日は持ちの良い、それでいて色が移ったりしないお気に入りのリップをつけている。

「オレさ、オマエのことずっと大事にするから」
「うん。わたしも」

 ──好き。心の底から気持ちが沸きあがる。彼の目を見る。
 どちらからともなく、二度目のキスをした。来年の今日もきっと、彼が隣にいるといいと願いながら。







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