明日もあなたのことを



 ドアの鍵が開いている。合鍵を持っているのはお母さんと、あとは恋人の彼しかいない。今日は特に冷えるから、きっと帰り道の途中でわたしの部屋にあるコタツのことを思い出したのだろう。寒空の下、あの思わず触りたくなるような、彼の感情をよく表す触覚がしょんぼりと垂れさがるのは想像にかたくない。最近幼なじみから恋人になった彼は、バンドの練習がない日はほとんどうちに来るようになっていた。玄関の灯りを付ければ、おかえり!と元気な声が聞こえてくる。きっちり揃えられた靴に微笑ましい気持ちになりながら、リビングのドアを開ける。

「冷蔵庫の中のハチミツプリン食っといたぜ」
「ええ、……楽しみにしてたのになあ」

 口ではそう言ったものの、もともとハッチン用に買って入れて置いたものなので何も問題は無い。今までにもこういうことは多々あったし──その度に名前を書いておかない方が悪い(彼はわ、り、い、と強調するように発音する)と言われたり、舌まで出して煽ってくる──彼のそういう男子高校生らしくない幼さが好ましくもあった。

「名前書いとかないほうがわりー」

 いつも通りの台詞が飛んでくる。切れ長の目がすっとつり上がって、ギザギザの歯の間からちらりとあかい舌先が見えた。本人は最大限悪い顔をしているつもりというか、それで実際に煽っているのだろうけれど、まったくもって効かない。むしろ毎回、笑みが洩れそうになるほど可愛らしいと思っている。わたしがハッチンに惚れているからだとか付き合いが長いから威厳が消えてしまっているとかそういうのではなく、彼はそういうミューモンなのだ。見た目は派手だし、話すトーンも不良っぽいのは否めないけれど、だからといって冷たくも怖くもない。真のヤンキーはきっと一人でぴゅ〜るランドに言って友達を作ったりなんかしないし、外で焼き芋をすることもない……と思う(本人には絶対言えないけれど)。

 黙ったままのわたしに痺れを切らしたのか、「な、なんか言えよ」と下から顔を覗き込んできた。すっかり素直で可愛らしい恋人の顔をしている。先程までの煽り顔も好きだけれど、わたしを見るとき限定の、朝焼けの反射する海みたいなまなざしは、わたしをいちばん幸せな気持ちにさせてくれる。

「はいはい、以後気をつけます」
「そういって書いたことねえくせに」

 既に半分コタツに収まっているハッチンの隣に腰を下ろして、足を布団へ入れる。一人暮らし用のテーブルなので、隙間はほとんどない。時折足先や太ももが、コタツの外では肩が触れた。他の女子だったらこうはいかないのかもしれないけれど、付き合う前から距離が近かったぶん、彼がいちいち動揺することはない。
 すこし女子と接するだけでも大騒ぎする彼がわたしに対してだけこうだなんて、まったく意識されていないのではないか、と落ち込むこともあった。実際に聞いてみたこともある。

──ハッチンって、ちゃんとわたしのことを意識してる?
 ちゃんと、ってなんだよ。答える前に、そんなふうに返された。確かライブのあと誰もご飯に釣れなかったとかで連絡が来て、急遽パンケーキを食べに行った帰りのことだった。
──付き合う前と、あまり変わらない気がして。ほら、こうして手を繋ぐのだって、他の子とだったらもっと、……。
 彼の口から、ファ〜〜?と、間延びした声が洩れる。わたしのことが心底わからないという顔をしていた。やがて、何でそんなこと聞くんだよ、と若干不機嫌になり、それでも気になるから、と引き下がらずにいえば、オマエのことなんか意識してるに決まってんだろ!バーカ!と謎に喧嘩を売られてしまった。今思い返してもこれほどに嬉しく、隅々まで彼らしい言葉はない、と感心する。蜂蜜色に輝く髪の毛が風で揺れ、ほんのり赤くなった耳たぶが見えたのを覚えている。

「……まあ、あれハッチン用に置いてるから。わたし、実は食べたことない」
「ファ!?オレ専用……!?マジかよ。今度二個買ってくるから一緒に食べよーぜ」

 いつもそうだ。彼はこうして、何にでも誘ってくれる。カラオケ、駄菓子屋、偶然見つけたというハチミツ狩りの穴場、街なかのパンケーキ屋さん。今みたいに場所じゃなくて、美味しいものを食べる時だってそうだ。こうして好きな物を共有して、知らない世界へ連れ出してくれる。どんなときにも、わたしを置いていかない。

「うん」

 流しっぱなしになっていたテレビになにか興味のあるものでも映ったのか、突如として彼の顔にブルーのひかりが照らされた。それらはまたたく間に同じ色をした彼のひとみへ溶けていって、だから彼の世界はこんなにも輝かしく賑やかなのか、とよくわからないことを思ったりした。

「なあ、見ろよ。遊園地の新しいアトラクション!今週の日曜、行こーぜ!」

 彼の「なあ」という呼び掛けがすきだ。なあ、というよりは、なーあ、みたいな、間延びしていて親愛のこもったもの。普段ひとに呼ばれるとき、こんなに幸せな気持ちになることはない。

「ええ。今テレビでやってるってことは、今週末がいちばん混むじゃん」
「ファ〜!?た、確かにそうかもしんねえけど、……楽しみは早いほうがいいだろ!行こうぜ」

 国内最大級のテーマパークの新しいアトラクション。入る前からすごい行列が出来ていて、どこもかしこも浮かれたミューモンだらけ。歩くのも一苦労で、わたしたちはきっと手をつないでいる。お揃いのカチューシャやパーカーなんかも買ったりして、色と音で溢れた夢の世界を堪能する。
 少し前までなら絶対に行きたくないと思っていた場所なのに、気が付けば楽しいことばかり想像していた。ハッチンと一緒なら、想像もしないようなあたらしいこと、今まで出来なかったこと、……どんなことにでも挑戦できる。実際には出来ないことだってあるに違いないけれど、そう思わせてくれることが嬉しく、俯いてからちいさく笑った。「……気が向いたらね」

「ファ〜、……なんだよその返事。ぜってー気向かす」
 ハッチンの言い回しがおかしくて、また少し笑う。
「いいよ、もう。カレンダーに書いておいて」

 数秒の沈黙のあと、彼は鞄からペンを取り出し、テーブルの卓上カレンダーとわたしの手帳に予定を書き込んだ。やけに静かだな、と思った瞬間、
「ファーーー!遊園地デート、楽しみだぜ!」
 
よく通る声が、部屋中に響き渡る。もしかすると、隣の部屋にも聞こえたかもしれない。

▽▽▽

 ハッチンがお風呂に入っている間、明日の予定を確認する。時間割には、比較的楽な授業が並んでいた。放課後の用事も特にない、……と、思ったけれど、何か書かれている。

「一緒にハチミツプリン食う」手帳の文字をなぞりながら、声に出して読んでみる。「……あ、これ明日なんだ」
 明らかに自分の字ではない筆跡で書かれたそれは、間違いなく入浴中の恋人によるものだった。さっき日曜の予定を決めた時、これも書いたのだろう。
「ハッチン様と遊園地デート、……ふふ、自分で様付けてる」

 わたしの手帳にある学校以外の予定は、ほとんど彼によって埋められるのが常だった。テーブルに出しておくと、勝手に書き込まれているときもある。いつ、どの文字を見ても、彼の声で再生されるから不思議だ。そうして次の瞬間には、あの得意げで自信たっぷりな笑顔まで思い起こされる。

 憂鬱な授業がある日の朝。自信のあったテストの成績が振るわなかったとき。仲の良い友だちが休んだ日のお昼ご飯。そういう、どん底とまではいかないけれどついてない、あんまり気分の上がらない瞬間。または、クラスの皆の前で発表しなきゃいけないときや、あたらしいバイトの面接に行くとき。友だちと仲直りするとき。ちょっとだけ気合を入れて、よし、と立ち上がる瞬間。手帳に散りばめられた彼の文字たちは、すこしだけ背中を押してくれる。頑張る気力をくれる。

 どこゆびのステッカーが貼られた──グッズ出来たんだぜ!といちばんに見せてくれた彼は、わたしの許可もとらずにそのとき目の前に置いてあった手帳に貼り付けた──紫の表紙をそっと撫でて、鞄にしまう。そろそろお風呂から上がる頃だ。あたたかいハチミツ紅茶でも淹れて、今日に限ってたくさん出されたという宿題を手伝うことにする。

「ふぁ〜〜……全然わっかんねー。これ本当にやる意味あんのかよ」

 淹れたてのハチミツ紅茶をコップへ注ぐ。甘い香りが部屋を満たした。序盤だけ埋まった課題の上に突っ伏していた彼が顔を上げる。表情はあかるい。

「意味無くたってやらなきゃいけないんだもの。これ終わったら、さっき言ってた遊園地の計画立てよう」
「いいな、それ!さっさと終わらせよーぜ!」

 手元の家庭科の宿題に目を落とす。調理過程を調べて記入するというものだ。山積みの課題にわかりやすくしょげている彼をみかねて、わたしがやることにしたのだった。彼氏だからといって甘やかすのは良くないとわかってるけれど、ハッチンだって日々、バンドを頑張っているのだ。もちろん、勉強とバンド活動を両立出来るに超したことはない。それでも、副教科のひとつくらいは、わたしがやったってかまわないと思う。それくらい、どこゆびのメンバーとしての彼は輝いている(もちろん、楽器を持っていないときだって)。

 調理実習の手順にそって、項目を埋めていく。いつも喧嘩ばかり(ステージ上でまで!)しているメンバーたちのエプロン姿を想像すると、何だか微笑ましい。それと同時に学祭で一度だけ見た教室──壁一面にはスプレーによる落書き、机には誰が食べたかわからないファストフードの紙袋、読みかけの漫画が雑多に散らばる──を思い浮べ、不安な気持ちにもなった。あの生徒たちに火や包丁を使わせなくてはならない教師たちに同情してしまう。

「大変だね。これ」
「調理実習、マジめんどくせー」
「ハッチンじゃなくて先生がだよ」怪訝な顔をする彼を無視して、続ける。「でも見たかった。わたしも」
「オレが料理してるとこを?……オマエ、変わってんなー」

 テーブルに片肘をついたまま、ハッチンがプリントを覗き込む。距離がぐっと近づく。バレないようにそっと、息をのんだ。ふわりとハチミツのあまり香りがする。恋人として彼の隣で過ごすのは、いつだってドキドキする。

「だって面白そうじゃない。やっぱりね、もし同じ学校で同じ班だったら、とか考えちゃうの」
「オマエがどこ北居たら、……う〜ん……」

 こうしてたまに、何にもならないもしも話をするのだけれど、ハッチンは毎回律儀に、本当に楽しそうに考えてくれる。それがまるで、明日からの現実のことみたいに。

「歩くだけで絡まれちまうし、カツアゲされたり……、あ、双循の落とし穴に落ちるかもしんねー……やっぱり無理だろ」
「双循くんの落とし穴はハッチン専用でしょう」
 一瞬の沈黙。それから、
「ッファ〜〜〜〜!思い出すだけでムカつくぜ」
おそらく双循くんの顔──落とし穴の上から見下ろす、愉しげで下衆な笑顔──が過ぎったのか、怒り出した。

 双循くんのことも、ジョウくんのことも、それからもちろん、ヤスくんのことも。ハッチンはバンドの皆のことを本当によく話す。他愛ないことから、大切なことまで。それを聞いて、嬉しくなったり、羨ましくなったり、……ときに寂しくなったりもするのだ。そうして、寂しくなるのは決まって、わたしが経験しえない類の青春のきらめき、音楽の底知れない力──そういうものたちを、彼のなかに見たときだった。

「ふふ、ごめん」シャーペンをはしらせて、プリントの最後の項目を埋める。「思い出させちゃった」
 ファイルに閉じて、ハッチンの鞄へしまう。明日登校してこれを取り出す彼は、やっぱりわたしとは違う世界に居るのだ。そんなことがふっと浮かんで、消えた。

「なあ、さっきの続きだけど」
 また、わたしの好きな、なあ、だ。
「なに」彼の素敵な呼び掛けに並ぶよう、つとめて柔らかく発音する。
「同じ学校だったら、絡まれててもカツアゲされてても、オレが居るから大丈夫だよなー。なんせオレ、秒殺のハッチン様だし?あと、双循の落とし穴にはもう二度と落ちねー」

 胸がいっぱいになって、気づいた時にはもう、なかば飛びかかるみたくして、抱きついていた。わたしを造作もなく受け止めたハッチンはそれでも突然のことに驚いたのか、わたしの背中の上で手を行ったり来たりさせている。

「ファ!?ど、どうしたんだよ」いつも高めな彼の声がもっと上擦って、耳もとではじける。「も、もしかして学校、楽しくねえとか!?」
 否定の言葉は声になることなく、かわりに涙が彼のパーカーを濡らした。すん、と鼻がなる。
「いじめてくる奴が居るんだったら、オレがぶっ刺して……」
「違うの。……わたしもわたしなりに、楽しんではいるんだよ、学校」一呼吸おいて、それから、「でもね」と言い直す。「ハッチンが一緒じゃないのが、寂しくて」

 どうしようもないことを言っている自覚はあった。彼が解決できる問題ではない。それに、練習や学校行事、バイト──日々色んな予定があるなか、ハッチンは最大限、わたしとの時間を作ってくれていると思う。本当に良い恋人なのだ。会えない時間も常に想ってしまうほど。

「こんなに大事にしてもらってるのに、ごめん。……忘れて」

 所在なさげに動いていた手が止まって、すこしだけ力が入る。ハッチンの肩に鼻が当たって、やっぱりハチミツの匂いがした。
 わたしをつよく抱きしめてくれる彼は、何も言わないままだ。

「……ハッチン?」
「ファ〜〜ァ……考えたけど、どうすればいいかわかんねー。オレだってオマエが居たらいいなとは思うけど、……」
「ただのもしも話だよ。架空の話。宝くじが当たったらどうする、みたいな、そんな次元。だからそんなに考え込まなくたって」

 そのただのもしも話を、深刻にしたのはわたしだ。それだからこそ、ハッチンはこんなにちゃんと、考えてくれている。

「でも、オマエが寂しいと思うことは解決したほうがいーだろ」
「どうにもならないもの。……それにね、さっきはハッチンが居なくて寂しいって言ったけど──」

 彼の腕からそっと抜け出して、鞄から手帳を取り出す。カレンダーのページを開くと、先程と何も変わらない、ハッチンとわたしの字が並んでいる。

「これね、よく開いて見るの」
「手帳を?」
「うん。ハッチンの字で書いてある、ハッチンとの予定」
「それならさっきも書いたぜ!ほら、ここ」
 "一緒にハチミツプリン食う"の文字を指さした彼は、誇らしげにわたしを見つめてくる。
「さっき見た。嬉しかった」
「バンド練終わったらソッコー来る」
「うん、待ってる」

 二、三秒の静寂。今更ながら自分から彼の胸に飛び込んだことが恥ずかしくなって、ぱっと彼から目をそらす。そんなこと、今まではしたことがなかった。

「ファ?どうかしたか?」
 時間差で照れてるだけ、と返せば、また静寂が広がる。
「……なあ」

 このトーンのなあ、は、ほとんど合図だ。せっかちで口数が多く、少年じみた雰囲気をまとう彼の、静の部分。男のひとの顔。
 わたしはおとなしく目を閉じる。腕がそっと握られて、まぶたの裏の影が濃くなる。どこまでも彼らしい、触れるだけの短いキス。また胸がいっぱいになる。目をあけて、わたしからももう一度。
 ハッチンが勢いよく後ずさりする。もしかして嫌だった、と口に出しかけて、やめる。そうじゃないとわかったからだ。

「オ、オマエからされるの、初めてじゃね?」
 顔を真っ赤にしたハッチンが、口もとに手の甲をあてている。
「うん」彼があんまりにもわかりやすく照れているので、こっちまで顔が赤くなる心地がする。「嫌だった?」
「い、嫌なわけねーだろ!ちょっとびっくりしただけだっつーの!」
 ふふ、と笑みが洩れる。ハッチンがすぐ隣へ戻ってきて、どちらからともなく指を絡めた。いますぐ触れたい、と思った。けれど。

「宿題、まだでしょ。残りも手伝うから、終わらせよう」
 真面目なわたしは、課題の山から目をそらすことが出来ない。直後、不興気な声が響く。



「ファ〜〜ッ……つっかれたー……」

 なんとかすべての課題を終わらせることが出来た。三杯目のハチミツ紅茶を飲み干して、深いため息をつく。
 わたしも疲れたけれど、ハッチンはそれよりもっとだ。ほとんど終わったあと、明後日までの宿題までやらせてしまった。もちろんハッチンは明日やればいーだろ、とごねたけれど。わたしが明日はこころおきなくハチミツプリンを食べたいでしょ、と無理を言ったのだ。
 テーブルの上の課題をまとめていると、ハッチンが立ちあがってベランダのほうへ歩き出した。なにかに気がついたみたいだった。

「ファ〜〜!?なあ、コッチきて見てみろよ!」

 窓ガラスに両手をつけたハッチンは、まるで小学生だ。呼ぶだけでは足りなかったのか、わたしの所まで来て背中を押される。なんだか微笑ましい気持ちになりながら、窓を覗く。

「なに、……あ」

 雲をちぎったみたいな白が、枠いっぱいにひらひらと降り注いでいた。木も電線も、見渡せば街全体に、うすくその色が乗っている。初雪だった。

「見に行こうぜ!いまから」
「でもハッチン、寒いの苦手じゃん」
「そんなの、手ぇ繋いでけばよゆーだろ!」
 振り向けば、彼はもう上着に腕を通している。こういうところだ、と思う。彼のこういうところが、好きだ。
「……そうだね」

 差し出されたコートを羽織る。そうして、玄関へ走るハッチンを追いかけた。寂しい気持ちはとうに消え去っている。



 吐く息が白い。たまにまつ毛に雪がおりて、視界が滲む。するどくて澄んだ空気が肺を満たす。冬。つい先程まで秋色だった世界は、すっかり姿を変えていた。ハッチンの恋人として過ごす、初めての冬。傘も持たずに飛び出したから、わたしもハッチンもすこしだけ濡れている。

「今日ね、靴見て嬉しくなった」
「ファ?靴?」
 ハッチンは立ち止まって、自分の靴へ視線を落とす。何か付いてるとかじゃなくて、と、手を引く。
「この間何気なく言ったこと、聞いてくれてたんだって」

 ふたたび歩き出すと、ビルの隙間から月が見えた。この街はお店も街灯も多いから夜だって明るいのだけれど、月のひかりだけは別ものだ。ほとんど紺に染まった空に、くっきり輪郭を持って浮かんでいる。遠くてあたたかい自然のひかり。

「ファ〜……?あ、アレか!ちゃんと揃えろってオマエに言われたやつ!」
「うん」

 わたしが普段ハッチンを想うように、ハッチンの生活のなかにもわたしが居る。きっといつものように脱ぎかけて、それからはっとして、向きを揃えたに違いない。この間ふと気になって、言ってみたこと。どうしても直して欲しいとか、そんなんじゃない。もう、と独りごちながら、わたしが彼の靴を揃える時間だって、それはそれで好きだったのだ。

「ありがと」
「別に、大したことじゃねーし、……それに、オマエはオレのために言ったんだろ」
 今度はわたしが立ち止まる。確かにハッチンの言う通りだけれど、まさかそんなふうに言ってもらえるなんて。
「お小言うぜー、とか思わないの」
「ッファファ!全然思わねー」
「……そう」

 笑いだしたハッチンにつられて、わたしの口角もぐっとあがる。彼の肩に頭をつけて、数ミリの空白をゼロにした。

「好き」

 街の喧騒に紛れ込ませた独りごと。彼に届かなくてもいいと思った。けれど。

「ファーー!!オレも好きだ!」

 真夜中のアンダーノースザワに、恋人の声が響き渡る。








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