深夜二時の待ち人



 
 起きたらもう外は暗くなっていて、わたしはぼんやりしたまま、窓を覗きこんだ。深いネイビーのグラデーションのなかで、星が散らばっている。部屋の温度はほんの少しだけ下がっていて、けれど太ももや首筋はじんわりと汗ばんでいた。昼寝のつもりだったのに、随分長い間眠ってしまったらしい。携帯をつければ、恋びとから数件メールが入っていた。そういえば、事前に今日の予定を聞かれていた気がする。わたしはそのとき「寝るだけ」と答えたはず。本当はバッチリ化粧をして新作のスカートを見に行けたらいいな、なんて思っていたのに、答えた通りになってしまうとは。まあ、大人の休日ってこんなものか。煌々と光る携帯の画面を眺めているうち、目が痛くなってくる。それもそうだ。明かりもつけずに寝起きでメールを確認するのは、無理がある。

 ようやくベッドから脱出して、部屋の電気をつける。時計を見れば、もう12時になるところだった。もう一度携帯をひらく。メールに記された彼らしい文面──遠回しなデートの誘いや、連絡がつかないことへの説教じみた文句──を読んでいるうち、居てもたってもいられなくなって、電話のボタンを押した。



 まだすこし湿った前髪をそれとなく整えて、ベンチへ腰掛ける。家のすぐそばのちいさな公園には、当然ながら誰もいなかった。こんな時間に待ち合わせをする物好きなんて、わたしたちくらいだ。いや、彼の意思は聞かなかったから、わたしくらい、か。

 お風呂上がりの火照りがさめて、二回くらい口紅を塗りなおしたころ。背後で砂利を踏む音が聞こえて、ブランコを漕ぐのをやめた。いつくるかわからなかったからひとりで遊んでいたのだけれど、もしかすると呆れられたかもしれない。表情は見えないけれど、彼の不興気な顔を想像するのは容易かった。

「ほんとに来てくれるなんて」

 小走りで駆け寄って、恋びとを上から下までながめる。いつもと同じシャツに黒のズボン、蝶ネクタイはしていない。髪はやっぱり几帳面に整えられていて、準備をする彼を想像して頬が緩んだ。会いたかった、と心から思った。もちろん待っている間も思っていたのだけれど、いま、もういっかい実感する。彼が来てくれてよかった。

「滅多にしない電話で場所だけ伝えられたら、何か緊急事態なのかと思うだろう」

 連絡もつかないし、とあきらかに不機嫌そうな彼は、さっきから全然目を合わせてくれない。仕方ないから、そっと手を掴んで謝ってみる。

「ごめんなさい。虫太郎さん電話嫌いだから要件だけ言おうかな、と思って」
「……そういうことではないが、まあいい。昼間は何をしていた」

 絡んだ指さきが離される様子はない。わたしたちはそのまま、静まり返った街のなかを歩き出した。

「寝てたの。言った通りになっちゃった」
「そうか」
「休日無駄にしたなあ、って思って、虫太郎さんのメール見たら寂しくなっちゃって」それにね、と続ける。「昼寝してるとき、虫太郎さんの夢見た」
「私の?……それはどんな夢だったんだ」

 意外にも真剣な声色が返ってきて、何度か目をしばたたく。人の夢の話なんて、どうでも良さそうなのに。自分が出てくるとなると話は別、という感じなのかしら。

「内容はほとんど覚えてないの。虫太郎さんが夢でも素敵だったことしかわかんない」
 嘘だった。ほんとうは夢のなかで振られた。誰より素敵な虫太郎さんに。
「そうか」立ち止まる。そうしてじっと彼を見た。ひとみのなかで深い夜が揺れて、街灯が星みたいにひかりを放っている。「……君らしい夢だな」

 何も言えなくなってしまって、彼の胸元あたりに視線を落としたまま黙ってしまう。遠くで車の音が聞こえた。

「今日は、君の家に泊まってもいいか」

 そう言われて辺りを見渡せば、いつのまにかわたしが住むマンションの近くまで来ていた。そのことに気が付かないくらい、わたしは彼ばかり見ていたのだ。

「もちろん君が良ければ、だが」
「良いに決まってる、じゃない」声が震えた。本当は今すぐ抱きつきたかった。「……一緒に寝てくれる?」
「……ああ」

 短い返事のあと、ゆっくりと手を引かれて腕のなかへ閉じ込められる。こんなところでこんなこと、普段なら絶対にしない。わたしの気持ちも言わなかったことも、全部わかっているみたいだった。

「わたし、虫太郎さんの恋びとで良かった」

 彼の満足気な笑い声が降ってきて、わたしもつられて笑う。深夜二時、わたしの休日はもうすこしだけ続く。






- ナノ -