アイス・ブルーの季節



※学スト世界線(学パロ)


 むし暑い午後。ぬるい空気だけが、教室を循環している。最後の授業も終わりかけ、クラス全体の雰囲気は明るかった。先生に隠れてリップを塗ったり、携帯で連絡をとったりしているクラスメイトも見える。放課後は彼氏とデートなの、と言っていた友人も、斜め前の席で前髪をいじっていた。大胆に鏡まで立てて、全くすごい行動力である。

 チャイムがなった。教科書を閉じる音や筆箱をしまう音が一斉に鳴り響く。たちあがって、先生へ挨拶する。また席につく。担任の先生の授業だったから、間髪入れずにホームルームの時間になる。簡単な連絡事項のみで、一分程で終わってしまった。

 わたしの席の周りで部活動に行く男子たちが集まって話し始め、皆で遊びに行くらしい派手な女子グループは大きな声で行き先を決めている。なんとなく居心地が悪くて、荷物をまとめて携帯を取り出す。メッセージを確認していると、デートを控えた友人がこちらへ駆けてきた。どうしたの、ときけば、
「生徒会長が来てる」何故か声を潜めて、囁かれる。ドアの方に目をやれば、生徒会の赤い腕章を付けた乱歩が見えた。わたしのことを呼んでこいと頼まれたらしい。

「え、乱歩が?なんの用だろう」
「そりゃあ、デートのお誘いでしょ!」
「わたしたちそんなんじゃないんだってば」肩にかけた鞄を持ち直して、セーラーのリボンを整える。「でもとりあえず行ってくる」
「いってらっしゃい。楽しんでね」

 だからそんなんじゃ、と反論する気力はなかった。こんな風にからかわれるのは初めてのことじゃないから。毎回ムキになって相手をしていたらキリがない。

 幼馴染の江戸川乱歩は、この学園の生徒会長をしている。一度だけ入ったことのある生徒会室には、僕が良ければ全て良し、という独裁感丸出しのスローガンが掲げられていた。理事長の福沢さんも乱歩にはとくべつ甘いし、咎める人なんていない。話を聞けば聞くほど、活動を見れば見るほど、ここの生徒会がどうやって成り立っているかは分からなくなっていく。わたしには関係の無いことだし──いちおう生徒代表なのだから、関係ないことはないのかもしれないけれど、実権を握るのは先生方なのだから、やっぱり直接は関係ないと思う──乱歩が楽しそうなのだからそれで良いか、と思ってしまうのだ。

「遅い!早く帰ろ」
「今日なにか約束してたっけ?」

 ドアの前で話していると、後ろで噂されているのがちらほら耳に入ってくる。生徒会長だ、とか、やっぱり付き合ってんのかな、とか。みんな声が大きいから、乱歩にもわたしにも丸聞こえだ。

「してないけど。それがどうかした?」
「ほら、わたし予定あるかもしれないじゃん」

 そこで乱歩が廊下へ出ていってしまったので、あわてて後に続く。隣に並べば、前に会った時よりも背が伸びているような気がして、少しだけ悔しくなった。幼馴染みと言えど毎日遊んだりはしないし、登下校を共にする訳でもない。クラスも部活動も違うと、数週間顔を合わせない、なんてこともある。些細な変化に気がつけないのは当然だけれど、昔より彼との距離が開いたような感覚がして、寂しくなった。

「無い。ちゃんと推理してから来た」
「そう。まあ、正解なんだけれど」
「当たり前だよ。僕の推理が外れるわけない」

 すれ違う生徒ほぼ全員に見られながら、玄関へ辿り着く。そんなに見なくてもいいのに、と思うけれど、恋愛沙汰に興味のなさそうな生徒会長が知らない女を連れているのは珍しい光景なのかもしれない。保健委員の与謝野さんと連れ立って歩いているのはよく見かけるから、それも関連して、話題を呼ぶのかしら。

 まだ高い位置にある太陽が、辺りをじりじりと焼いていた。風が強いぶん、暑さはましになっている。教室に居た時よりずっとクリアに、蝉の声が聞こえる。ばたばたと襟がはためいて、街の木々を彷彿とさせる夏の匂いが鼻を掠めた。ゆっくり吸い込んで、控えめに伸びをする。

「ハア、今日も暑いねえ。氷菓食べたい」
「じゃあいつものとこ、寄る?」

 いつものとこ。ふたりの家の中間くらいにある、駄菓子屋さんのことだ。さも毎日一緒にいるかのような馴れ馴れしさが出てしまって、小さく咳払いをした。「通り道だし」

「うん。早く行こ」


▽▽▽

 駄菓子屋を出て曲がれば、向日葵畑に沿った道があらわれる。ビビットな黄色は夏の象徴みたい。奥行きのない水色の空に、手に持った氷菓のひんやりした温度。まだ始まったばかりの夏が、たたみかけるようにしてわたしの日常を染めていく。なんてことない帰り道が、色付いていく。

「D組の人に告白されたんだってね」
「なんで知ってるの」

 仲の良い友だち以外には誰にも言っていなかったはずで、手紙で秘密裏に呼び出されたせいかクラスでからかわれることもなかった。だから当然、乱歩にも知られることは無いと思っていたのに。

「生徒会の情報網を使えばそんなのいくらでも分かる」
「ええ、怖いなあ。ていうか、知ってどうするのよ」

 大げさに怖がるような素振りをして、ソーダ味のアイスをひと口かじる。アイスのひと口目って苦手だ。ひたすら固くて、味がするまでに時間がかかる。

「どうもしないけど。どうせ振ったんだろ?」
「うん」どうしてこんな話するの、と聞きたい気持ちを抑えて、続ける。「申し訳ないとは思ったんだけどね。試しに付き合うとかは、絶対向いてないしさ」
「そうだね。向いてない」

 ふと彼の方をみれば、手に持っているアイスは半分ほどになっていた。同じものを同じタイミングで食べ始めたはずなのに、と自分のものと見比べてしまう。少し進めば昔よく一緒に来ていた公園に差し掛かり、お互い何を言うでもなく、中へ入る。

「だよね」ベンチへ腰掛けた彼の隣に座って、青空のなか、煙みたいに途切れ途切れの雲を眺める。「……でも、なんで急にそんな話したの?興味無いでしょ、人の色恋沙汰なんて」

 そこで乱歩が黙ってアイスを食べ始めたので、わたしもそれに従う他なかった。返答を聞かなくたって、彼の考えはわかっている。どうせいつもの気まぐれだ。たまたま生徒会で話題に出たことを話して、満足したに違いない。目立たないように生きているわたしにとって、生徒会で名前が出るというのはそれ自体だいぶ不本意なことだったけれど、これ以上この話をするつもりはなかった。乱歩と好きなひとや恋びとの話をするなんて。もしこの流れで与謝野さんが好き、とか言われたらきっと、耐えられない。

 わたしのソーダアイスが中盤に差し掛かったころ、どうやら食べ終わったらしい乱歩が席を立った。すぐそこにみえるゴミ箱へ、木の棒を捨てに行くのだろう。まもなく戻ってきた彼は、何が面白いのかわたしが食べているところをじっと見ている。長い前髪で出来た影が、端正な顔立ちをさらにくっきり際立たせていた。けれど彼のエメラルドのひとみだけは暗い部分に巻き込まれることなく、鈍くひかっている。

「遅くてごめん。あ、良かったら食べる?」
 わたしの食べさしなんて要らないかも。すぐに思ったけれど、
「じゃあ貰う」上機嫌の返事とともに右手が軽くなった。

 こういうこと、誰にでもするのかしら。でもまず生徒会長に食べかけのアイスを差し出すひとなんてそうそういないから、しないか。

「食べ始めは美味しいんだけど、こうも暑いと食べるのにも疲れるっていうか」

 申し訳なさから乱歩に譲ったわけではなく、もともと一口貰えれば満足するタイプなのだ。何年一緒にいても、食の好みは全然合わないままだった。

「ふぅん」

 わたしの分もすぐに食べ終えた乱歩は、先程と同じように木の棒を捨てに行った。帰ってきた時、先程生じた疑問をぶつけてみる。

「間接キス、とか気にならないの」
「間接キス?……ああ、別に気にしないけど。だってナマエのだし」

 だってナマエのだし。わたしのだから気にしないというのは、恋愛対象として見られていないからなのか、ただ単に幼なじみだからなのか。

「あのさあ」彼は生徒会室や教室でそうするように、背もたれに重心をかけて座っていた。やっぱり今日も偉そうだ。「僕と付き合えば」

 聞き間違えたのかと思って、乱歩の方を二度見する。さっきまでと変わらない、いつもの笑みを浮かべたままだった。まるで世間話の最中みたいだ。何も言えず、ローファーで地面の砂利を削る。ぬるい風が、嗅ぎなれた乱歩の匂いを纏って吹き抜ける。

「僕と付き合えば、他の奴から告白されることもないし」
「……そ、それはそうだけど」

 急だし、訳がわからなかった。わたしが乱歩と付き合う?なんのために。乱歩には何のメリットも無いはずだ。

「でも乱歩、」
「試しに付き合うのが向いてないなら、本当に付き合えばいいだろ」
「本当に付き合う、っていうのが何を指すのかはわからないけれど」スカートの上に置いた手をぎゅっと握って、小さく息を吐く。「それって好きな人とじゃなきゃ出来ないよ」 

 ──好きな人。告白された時も、こんな気持ちになった気がする。不確かで、一度も言葉に出したことはなくて、けれどずっと共にあるもの。わたしから乱歩への気持ち。否定し続けて、見ないふりをして、ここまできてしまった。もう遅い、と思っていたし、今もそう思っている。一般生徒でしかないわたしからすると、生徒会長にまでなってしまった乱歩は遠い存在だった。もちろん卒業すれば、学校限定のものであった役職は消え、ただの同い年の幼なじみに戻るのはわかっている。けれど、隣に並ぶ勇気なんてなかった。

 乱歩は将来、きっと立派な探偵になる。もしかすると、世界を丸ごと変えてしまうような。途中まで隣に居たからこそ、わかる。

「僕が好きでもない奴と付き合うと思うの」
「思わないけど」
 かといって、女子と付き合うことに興味があるようにも見えない。
「ナマエは僕のことが好きなのに、何を躊躇う必要がある」
「それも、推理したの」

 気持ちまで推理で解かれてしまうなんて、と少しだけ悲しくなる。分かっているなら、気付かないふりをしていてくれれば良かったのに。

「するまでもない。だってナマエのことは、幼なじみの僕が一番分かってるからね!」

 夏服の白いシャツによく映える黒髪が、彼の動きに合わせて左右に跳ねる。わたしを覗き込む翠の双眸には雲が浮かんで、そのきらめきを彩っていた。純然たるうつくしさだけが、わたしを射抜いていた。

 言葉。表情。それから、纏う空気。このひとの恐ろしいまでの清澄さは、一体どこから来るのだろう。乱歩はクラスの男子たちとも、もちろん先生方みたいな大人とも、全然違うのだ。なにもかも。住む世界ごと異なっているかのように。

「……でも、付き合ってしまったらなかなか会えなくて寂しいかも。乱歩はほら、生徒会あるし」

 なんとか言い訳を探して、切れ長の目から視線を逸らす。小さな女の子と、その子と同じくらいの歳の男の子が、隣同士でブランコを漕いでいる。わたしたちにも確かに、あんな時代があった。

「そのあとで、僕がナマエの家に行けばいいだろ」
「遅くなっちゃうじゃない。それに、そんなのバレたら国木田先生に怒られちゃう」
 わたし一応優等生なのよ、と反論する。確かに家には誰もいないことが多いし、家族が居たとしても乱歩のことは歓迎するだろうけれど。
「僕がそんなヘマをすると思う?」
「ううん、しないわ」

 これはきっと、わたしが頷くまで続くのだ。何を言っても、抵抗しても、すべては乱歩の思い通り。わたしが遅疑逡巡しているうち、彼はいつも正しい答えを導き出す。交際を切り出された時から、どうせ答えは決まっている。

「……ごめん」

 乱歩の口から、は、と不満げな声が洩れる。戸惑いと焦りが、声色に滲んでいた。そんな彼が珍しくて、まじまじと見つめてしまう。

「付き合わないってこと」
「違うの。乱歩はちゃんと想いを伝えてくれたのに、わたし無駄な質問ばかりしてしまったから」
「……うん。本当に無駄。何を言われたって、僕の気持ちもナマエの気持ちも変わらないよ」

 そうだよね。頷いて、目線を下にやる。視線を合わせたまま告白できるほど、わたしは強くない。

「わたし、乱歩が好き」
「知ってる」

 なにか大切なものごとを確認するような、大人びた言い方だった。幼かったあのころとは違う。同じ会話を、もっと小さな頃に交わした記憶がよみがえる。

「乱歩の、……彼女になりたい」
「いいよ」

 わたしの言葉の終わりとほぼ同時に、乱歩が言う。気付かないうちに緊張していたらしく、膝の上でスカートをにぎりしめていた。手を置いていたところを中心に、しわが出来ている。

 数秒の間をおいて、ベンチから伸びる影が重なる。蝉の声が遠ざかる。壁紙みたいな空と向日葵畑だけがわたしたちをみていた。むし暑い午後だった。








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