帰れないふたり
かりそめに収斂する日々
数年ぶりに、あの夜の夢をみた。激しい雨のなか、ふたりきりで過ごした夜。ひどく衝動的で、けれどやさしくて、全てが彼に飲み込まれた夜。自分が自分でなくなるような、朝を迎えてしまったら今までのわたしをすっかり忘れてしまうような、そんなしずかな怖さと寂しさだけが横たわっていた。あの時のわたしにとって──きっと彼にとっても──世界がひっくり返るような出来事だったはずなのに、お互いまったくもって知らないフリをした。あのしあわせな日常をなにひとつ変えたくなかったし、変える必要はないと思ったから。
正しかったかはわからない。今でもこうして夢見るくらい、わたしはとらわれている。……乱歩も同じならいいのに。心のなかにぱっと浮かんだ言葉に、ため息をつく。過去の夢を見た日はいつもこうだ。あのひとはわたしのものじゃないのに。勢いをつけてベッドから起き上がった。急な動きに身体が対応しきれず、めまいがする。少し待てば収まったので、軽く深呼吸をした。意味もなく天井へ向けた手のひらの指の隙間に、カーテンから洩れた朝日が入り込む。今日は、帰ってきてから初めての休暇だ。
休日にしか使わないお気に入りの洗顔料で顔を洗って、それから丁寧に歯を磨く。思いのほか早く目覚めてしまったのはすこし悲しいけれど、健康的な時間から活動できるのはきっといいことだ。下手したら半日寝て終わる休みが長くなったのだから、喜ぶべきなのだろう。
ベランダに出れば、晴れの日限定の乾いた風と花の匂いがした。空の青は遠く、どこまでも広がっている。雲はひとつもない。純粋なブルーに覆われた街は、芝生の瑞々しい緑からレンガのなだらかな表面まで、全部偽物みたいに見えた。今日みたいな完璧な空には、そういう力がある。
マンションの下にある広場で遊ぶ子どもの声や連れ立って飛ぶ雀の鳴き声に聞き入っているうち、サンダルの中が冷えてくるのがわかった。素足のまま外へ(といってもここはベランダで、完全なる外ではないのだけれど)出てはいけないと、いつか福沢さんに注意されたことを思い出す。そしてそれは、この間晶ちゃんと飲んでいた時にも言われた台詞だった。冷え性なのだから、くつ下を履いて外に出ないと。具体的なアドバイスまで貰っていたのに、すっかり忘れてまた冷やしてしまった。
戻ろうとサンダルを脱いだら、呼び鈴が三度、忙しなく音を立てた。太陽で温まったフローリングを進む。誰が来たかはすぐにわかった。玄関に行く前に洗面所ですばやく鏡を確認して、扉を開ける。
「乱歩、おはよ」
「遅い! 僕相手に身だしなみの確認なんて必要ないじゃないか。すぐ出てよね」
バタン、と黒塗りのドアが閉まって、乱歩が靴を脱ぐ。
「一応よ、一応。さっき起きたから」
「相変わらず起きるのが遅いねえ」
「これでも今日は早いほうなの。もう一回寝たいくらいよ」
乱歩は大体九時に寝て七時に起きる。今どき小学生でもこんなに規則正しい生活はしていないだろう。一緒に住んでいた頃は彼より早く起きて朝ごはんの支度なんかをしていたけれど(それでも福沢さんの方が起きるのが早かった)、一人暮らしになった今は、どうしてあんなことができていたのか不思議なくらいだ。
「そんな暇ないよ! 瑠梨亜はこれから僕と出掛けるんだから!」
乱歩が急に訪ねてくるとき、わたしには決まって予定がない。推理なんかしなくたって、彼にはなんでもわかってしまうのだ。
「用意するから待ってて」
ソファへ腰を下ろした乱歩は、わたしよりもずっとこの部屋の主らしく見えた。
「はやくしてね」
「うん」
出張先であたらしく買ったワンピースに袖を通して、鏡の前でくるりと回ってみる。裾の広がりきらないデザインは女らしすぎず、好みだった。春らしくパステルカラーでまとめられた花柄も可愛らしい。乱歩の好みかはわからないけれど、今日はわたしの休日なのだ(そしてもちろん乱歩の休日でもある)。わたしが好きな服をきて、わたしが好きなアイシャドウを塗る。それがただしい過ごし方。
乱歩の隣に腰を下ろして、テーブルに出しっぱなしの化粧品を手元へ寄せる。物どうしのぶつかるカチャカチャともカチカチともいえない音が響いて、気分が上がってきた。外へ出る準備の音。
下地とファンデーションを塗って、最後に粉をはたく。それから少し悩んで、いちばん気に入っているパレットを手に取った。これひとつでチークもアイシャドウも完結する、画期的なもの。仕上げにマスカラをして、これまたいちばんお気に入りの口紅を引く。顔に華やかさを宿す最終工程。お化粧は、楽しく外に出るための武装。
この間指摘された香水も、元のに戻してあった。初めてのお給料で買って、そこからずっと変えていなかったもの。おそらく乱歩が最も嗅ぎなれたわたしの匂い。有名なブランドの歴史ある香水は、つけ初めから優雅に香る。わたしのいる場所だけ外国のような──具体的には東南の国の寺院、もしくはビビットな街そのもののような──空気になる。それから、終わりのほうのささやかな色気。つけ初めは我ながら似合わないと悲しくなったりもした。今は少しでも、ふさわしい女性になれていたらいいのだけれど。
「どう?」
コンパクトを閉じて、彼のほうへ向き直す。
「別に、いつもと変わんない」
「そう。乱歩はどんなわたしでも見慣れてるから、なんて言うか、やり甲斐がないなあ」
ここにいるのが晶ちゃんだったら、見慣れない可愛らしい格好の彼女を、乱歩は褒めるのだろうか。わたしと居ない乱歩を想像するのは難しい。
「でもまあ、その新しい服はいいんじゃない。この間でたチョコレートのパッケージに似てる」
「うーん、嬉しいような、嬉しくないような。とりあえずありがとう」
語尾の上がった礼を述べつつ、携帯で天気予報を確認する。一日中晴れ。外はきっと、心地よい散歩日和だ。
「今日はどこいくの。散歩でもする?」
「ま、それでいいよ。どこかで事件とか起きてるかもしれない」
それでいいって何よ、と喉元まで出かかって、彼が要件もなくただ会いに来たのかもしれない可能性に気がつく。わたしが居なくたって平気だと言っていたくせに、休日朝一番で来るなんて。結局、かなわない。「休みの日にまで事件は見たくないなあ。でもとりあえず、行こっか」
▽▽▽
乱歩は新作の駄菓子をチェックしつつ、お店のおばさんと話し込んでいる。この調子でいけばあと十五分はここにいるだろう。依頼前に毎回こうなるようでは同行する人が迷惑が掛かるから、いつもはわたしが買っておく。お菓子棚管理係、名刺の肩書きに入れてしまおうかしら。そう思うくらいは忙しい役職なのだ。けれど、休日くらい自分で選んだっていいと思うし、駄菓子を前にした乱歩はいつでも無邪気で可愛らしい。この光景はあと何回だって見たい、なんて思う。
「瑠梨亜ちゃん、今日は乱歩くんと一緒なのね。お休みかい? いつもありがとうねぇ」
突如話題を振られて、焦って視線をあげる。カラフルな商品棚の向こうにいるおばさんは、わたしをつま先から頭までじっくり見つめて、人の良い笑みを浮かべていた。
「そうなんです。今日はお休みを頂いていて」
「仲良いねえ。デェト?」
揶揄いの含まれた、歳の近い男女への挨拶のようなもの。ワンピース姿のわたしを見て思ったのだろう。不思議と、嫌な感じはしなかった。普段ここに来るとき、大体はブラウスにパンツ、それかタイトスカートを履いている。事務員としての仕事、乱歩の付き添いや他の依頼、どの仕事をすることになっても困らないように。
「……まあ、そんなところです」
乱歩との関係を訊かれるのは初めてではない。むしろ日常茶飯事だった。面倒な相手に兄妹です、と答えることもあればしつこく迫ってくる人に恋びとなの、と説明することもある。前者はうんと年上、後者には同世代が多い。どちらも間違っていて、正しくは兄妹のような恋びとのような親友、もしくは家族。
晴れた日の横浜は彩度が高い。どの建物も日差しをうけて、煌めいている。街のはずれまで来ても行先は決まらず、けれどわたしたちのどちらも、特に希望は出さなかった。目的のない休日の散歩はきっと、最高の贅沢だ。隣の乱歩は紙袋いっぱいの駄菓子を抱えている。
しばらく進んでいくうち、見覚えのある公園にたどり着いた。中央に大きな噴水のあるここは、確か前に晶ちゃんと来た事がある。
街中とは全然違う、清澄な空気。さわさわと水の落ちる音、ゆるやかな風、ひかりを纏う色とりどりの花たち。そこかしこにひろがる緑。絵画の一部みたいな場所だ。
「うわあ、綺麗」感嘆の溜息が洩れて、引き寄せられるように噴水の方へ向かう。花の匂いが濃くなって、あたりがさらに明るくなっていく。「とっても素敵。乱歩も早く来て」
はしゃぐわたしとは裏腹に、乱歩はいたって冷静で、歩く速度を早めるでもなく、ゆっくりこちらへ向かってくる。
「別に初めてじゃないんでしょ」
晶ちゃんと来たことを言った覚えはないけれど、わたしの様子から読み取ったらしい。それくらい、彼にとっては造作もないことだ。
「そりゃ、来たことはあるけれど。でも、乱歩と来たのは初めてでしょう」
「うん」つまらなそうな返事の後、がさがさと紙袋の擦れる音が聞こえる。せめて座ってから食べて欲しい、とベンチへ促して、ふたりで腰掛ける。
「……ほんといい天気」
ワンピースが緩やかな風にはためく。何気なしに上を見れば、相変わらず偽物みたいなみずいろが広がっていた。インクやペンキみたいなサラサラした青じゃなくて、チューブ入りの絵の具でべたっと塗りつぶしたみたいな、奥行きのない空。座っているのが噴水の真ん前だから、視線を下に落としても青がある。こっちは波打つ水面が揺蕩う、自然な青だ。噴水は人工的で、空は自然のものであるはずなのに、今はよっぽど、空の方が不自然に見える。
わたし達の他には数人しかいなかった。植物のアーチをくぐる一組の男女や犬の散歩をするおじさん、すこし離れたベンチに座る老夫婦。誰しもがゆったりした時間を過ごしていて、穏やかな笑みに溢れている。
「わたしが居ない時は、ずっと社長と居たの?」
気になっていたことを聞いてみる。大体福沢さんの家かわたしの家で過ごす乱歩だけれど、万が一、ということもある。出張の間に恋人とか出来てるかもしれない。いや、出来てたらわたしと出かけたりしないか。
「うん。まあ、北陸へは一人で行ったけどね」
敦くんの入社試験があったあたりに、乱歩はひとり北陸へ出張に行っていた。おそらく面倒な入社試験から逃れるために彼が無理やり入れた、名探偵としての仕事のため。ただの殺人事件から連続殺人事件へと発展したそれは、乱歩によって瞬く間に解決され、新たな被害者は出ていない。というのが、電話で聞いた話だった。わたしの出張先から一時間程度の場所であり、会いに行こうかとも思ったけれど、そんなことをしたら一緒に社に帰りたくなってしまいそうで提案自体辞めたのだった。
「わたしが居たら一緒に行けたのになあ。旅行がてら、ついていきたかった」
「僕だって、瑠梨亜が居ればなぁって何度も思ったよ」意外な言葉に、ベンチの肘置きをなぞっていた手が止まる。ローファーがジャリ、と音を立てた。「ひとりだと不便だから。次は一緒に来てよね」
電車だって、ホテルの場所だって、と次々並べ立てる声が遠のいて、無意識に止めていた息がふっと洩れ出す。
「……うん、次はかならず」
彼はわたしの方へ見向きもせず、「何かいい事件ないかなあ」とほとんど口癖になっていることを言っては、新しいお菓子を開けている。近くの木にとまっていたちいさな鳥たちが一斉に飛び去って、嘘みたいな青へ吸い込まれていく。
▽▽▽
公園近くの洋食屋でオムライスを食べ、間髪入れずカフェへ向かった。毎回、よく食べられるな、と思う。ご飯足りなかった? と聞いても、甘いものは別、と若い女生徒みたいな答えが返ってくるばかりだし、わたしはもともと多く食べられるほうじゃないから、きっと一生分かり合えない。彼が毎日きっちりとっている朝ごはんも休日は抜くことの方が多いし、事実今日だって朝ごはん兼お昼ご飯になってしまった。
アイスティーに刺さるストローを回して、ゆっくりとかき混ぜる。このお店のメインであるデザートは頼めなかったけれど、食後に飲む紅茶は好き。ご飯のあとすぐに歩くのは疲れてしまうし、美味しい紅茶が飲めたのだから乱歩に従って良かったのかもしれない。今日みたいなことを友人に話すと、彼に振り回されているようにしか見えない、と困惑されるのが常だけれど、わたしは正直、乱歩と居るのが一番楽だ。何年も一緒に住んだのだから当然といえば当然だけれど、どんなに過ごしたって噛み合わない人たちもいる。大人になってからもこうして楽しくふたりで居られるのは、きっとわたしたちの相性がいいからだ。
「このあとどうする?」
「疲れたからこれ食べたら帰る。そのまま泊まる」話しながらも、プリンを崩す手は止めない。わたしもアイスティーを混ぜて、それからひと口飲んだ。
──今日は泊るぜ。だんぜん泊る。急にそんな一節が頭を過って、笑いそうになる。タイトルは思い出せないけれど、確か昔読んだ小説のセリフだ。だんぜん泊まるってどういう言い回しだよ、意思が硬すぎる、と読んだ直後のわたしも笑った記憶があった。乱歩のそれは全然似てないのに、同じ強引さ、意志の強さをもっていて、だから思い出したのだとひとりで納得する。「いいけど。夫婦喧嘩でもした?」
「ハア? どういう意味」
乱歩はあからさまに訝るような表情を浮かべている。
「別に。そんな小説があった気がして」
「ふぅん。瑠梨亜は本ばっかり読んでるもんね。僕には全然分からないよ。作り物で事足りるなら探偵になんかなってないし」
「確かにそうね」
同意はしたけれど、わたしの場合はほとんど逆と言っても良かった。その探偵の隣にいるために沢山の本を読んでいるのだから。何でも見通せる彼の横に並ぶには、何にでも対抗出来る知識がいる。わたしまで、分かってくれない世界≠ノ染まらないように。
きっちり割り勘でお会計をして、店を出る。三人で住んでいる時はどんなに言っても福沢さんが出してくれていたけれど、ふたりとも成人してお給料を貰っている今、ふたりで外食をする時はだいたい割り勘だ。
「あれ、与謝野さん?」
「え、晶ちゃん居るの? ……あ、ほんとだ!」
横断歩道の向こうに親友の姿が見えて、自然と口角が上がる。嬉しくなって両手で手をふれば、白線越しの晶ちゃんが微笑みながら返してくれた。信号が青になって、周りの人達が歩き出す。待つべきか向かうべきか迷っているうちに、乱歩はさっさと行ってしまった。「待ってよ、もう」
結局、横断歩道を渡りきった先で、晶ちゃんのもとへ集まる。道路脇に植えられた街路樹の葉がさわさわと揺れる音が心地よい。太陽が晶ちゃんの金色の髪飾りに反射して、直線的なひかりを放っている。わたしが乱歩に追いつく前に生じていたふたりの会話には入る気にならず、終わるのを待つことにした。
「今日は何してたの?」
晶ちゃんがふとわたしを見たので、聞いてみる。控えめなリップの色を見て、病院の手伝いかな、と見当をつけた。休日の彼女はだいたい、買い物か病院の手伝い、夜はお酒、と言った感じで過ごしているはずだった。
「近くの大学病院の手伝いに行ってきたよ。今はその帰り」
「そうだったの、お疲れさま。晶ちゃんは偉いなあ」
「ありがとう。瑠梨亜は乱歩さんとデートかい?」社員内でもう何回も繰り返された会話で、最早挨拶みたいなものだった。晶ちゃんがいたずらっぽく笑う。
「それ、今日は駄菓子屋のおばさんにも聞かれちゃった。散歩してご飯食べただけ」
「皆よく飽きもせずそんなこと聞くもんだよねぇ」
ずっと黙っていた乱歩が心底うんざり、といった声色で参加してくる。先程まで彼が見ていた方角を向けば、アパートの窓からこちらを見下ろす茶色の猫と目が合った。なるほど、心の中でひとりごちて、急に会話を切り上げた理由に納得する。
「それより与謝野さん、さっきの話の続きだけど」
完結したと思っていた話には、続きがあったらしい。事務をしている間のことは聞いても分からないし、今度はわたしが猫を見つめる番だった。
▽▽▽
あのあと数分話し込んで、そのまま夜ご飯でもどうかしら、と誘ってみたけれどまだ用事があるらしく、断られてしまった。なんとなくだけれど、乱歩と二人でいる時に誰かを誘うと高確率で断られる気がする。もしかして気を使われている、とか。晶ちゃんに限ってそれはない? ──けれど、実際わたしと晶ちゃん、乱歩と晶ちゃん、の組み合わせはあっても、三人で会ったことってそれほどないのだ。不穏な気持ちが一瞬わたしを侵食して、すぐに解ける。わたしは探偵社の皆が居てくれればいいだけなのだし、深く考える必要なんてない。そのまま街にとどまる理由もなく、まっすぐ帰宅した。
わたしは床へ、乱歩は出る前と同じくソファに座っている。相変わらず部屋の主みたいだ。沢山歩いたあとのほどよい疲労感が全身を巡っていて、テーブルへ肘をついたまま動けない。
「晶ちゃん今日も可愛かったなあ。会えて嬉しかった」乱歩の方へ目線をやって独り言のように呟くと、
「どうせ明日会えるじゃん」ソファへ横になりながらの、投げやりな回答が返ってくる。
「外で偶然あったのが嬉しいの。それに乱歩、わたしより嬉しそうにしてたでしょう」
近くにあったクッションを手繰り寄せる。頭を置いて仰向けになった。代わり映えしない白い天井は、まっさらなキャンバスにみえた。
「……晶ちゃんといる方が楽しそうなのに。こんなにわたしと居る意味がわからない。不思議だわ」
乱歩は週二回くらいのペースでわたしの家に泊まる。残りは福沢さんの家。だからどっちにも荷物があるし、服も置いてある。そろそろ家賃を請求してもいいくらい。追い出そうかと思った時もあるけど──住んでいるわけでないのに追い出すというのもおかしな表現だけれど──探偵をしている時以外の彼は本当に何もしないから、その辺に放るわけにはいかない。結局心配になるところまで想像してしまうので、今のところはそのままにしている。わたしが福沢さんの家に行くこともあるから、ほとんど一緒に暮らしているようなものだった。
「与謝野さんと瑠梨亜は違う」
「それはもちろんわかってる。別に晶ちゃんになりたいとかではないもの」返事を待たず、でも、と続ける。「二人で話してるの見ると、良いなあって思う時がある。入りたいとかではなくて、憧れみたいな」
わたしと晶ちゃんは気の置けない友達、と思っているけれど、乱歩と晶ちゃんもまた別の感じで、気の置けない関係、だと思う。唯一無二。探偵社のなかでも特別な、素敵な関係。そこにわたしは入れない。だって晶ちゃんにとって乱歩は恩人で、わたしはただの親友だから。
「もしふたりが良い感じになってもわたしは応援するから」
「何言ってんの」
「例えばの話。別に相手が誰であろうとわたしは乱歩の味方だし。好きな人とか出来たら教えてよね」
探偵としては完璧でも、恋人としてみたら駄目なポイントが両手で数え切れないくらいにある。わたしは慣れてしまったけれど、将来の恋人はそうじゃない。もし乱歩に好きな人が出来たら、一切合切言ってしまって、直してもらうのも手だ。素直に言うことを聞く乱歩はまったくもって想像できないけれど。でもきっと、恋はひとを変える。
「……出来ても瑠梨亜には言わないよ。まあもともと興味無いし、そんなこと起きないだろうね」
「残念。うっかり恋に落ちるくらいの素敵な人が現れるのを祈ってるわ。そうしたらわたしも福沢さんも安心だし」
実際現れたら福沢さんは安心するだろうけど、わたしはどうなんだろう。夜御飯の準備をすべく立ち上がれば、「ハンバーグがいい!」と背中へ要望が飛んでくる。この話題を続ける気はないらしい。
「……わかった」
ふう、と息を吐いて、反省する。乱歩と恋愛の話をするなんて。一番避けていたのに、考える前に発言してしまった。きっとあの夢のせいだ。
乱歩との日々は、とにかく落ち着く。慣れ親しんだ空気、温度、会話。関係に名前はないけれど、多分それでいい。少なくとも、わたしがすべて決めてしまうまでは。