やって来たのは変態眼鏡な火曜日



「名前お嬢様ぁーっ!!おっはよーっ!!」

その日の朝は、今までで一番大きな声で起こされた。部屋に響き渡るその大音量の声はすっごくうるさくって。


「もう、うるさいっ!まだ起きたくありませんっ!」
「えぇー。そんなの困るよぉー。」


多いに困って下さい。そして、執事を辞めてこのお屋敷から出て行って下さい。
うっすらと目を開けると見えたのは、すらっとした眼鏡が似合う中性的な顔立ちの執事だった。

(ん?男…で合ってる?)

そんな考えが一瞬頭を過ったけど、あのお母様がわざわざ執事に女性を雇うわけがない、と納得した私はまぶたを固く閉じた。


「名前お嬢様ぁー!もう起きてよぉー!」
「…嫌です。」


こんな気さくに話しかけてくる執事も珍しい。だいたい初めてここに来た執事達は緊張のせいかみんなとても静かなのに、この眼鏡執事は緊張という言葉さえ知らないんじゃないかな…。
そう言えば、昨日のエルヴィンも全く緊張とかしてなかったなと綺麗なブロンドの髪の男を思い出す。


「ふーん。じゃあお嬢様が起きてくれるまで私は何をしてようかな…?」


昨日はこの流れでエルヴィンにベッドに潜り込まれたことを思い出した私は、咄嗟に身構える。

(来るならかかってきなさいっ!!)

でも昨日みたいに包み込まれるような温かさも、身体にのしかかる体重もなく、代わりに私を襲ったのはベッドがギシギシと軋むうるさい音と不快な浮遊感だった。


「な、何してるのっ!?」
「何ってこのベッドよく弾みそうだなぁーと思って!いやっほーぅ!!」


私は自分の目に映る光景が信じられなかった。
その眼鏡執事はそれはそれは嬉しそうな表情で、ベッドの上で飛び跳ねている。

(子供かっ!!)

と思わず叫びたくなったけど、今はそれどころじゃないっ!!
もしも眼鏡執事がバランスを崩して私の上に倒れてきたりしたら…それはきっと痛いぐらいでは済まない…。


「ね、ねぇっ!ちょっと止めてよ!」
「何ー!?聞こえなーいっ!!あははははっ!楽しーいっ!!」


私の必死の訴えは、楽しそうに笑う眼鏡執事の耳には一切届いてない様だった。

(このままじゃ本当に怪我させられるっ!)

そう思った瞬間、気付けば私は叫んでいた。


「分かった!もう起きるからっ!だから…お願いだからもう止めて…っ!」
「うわぁああっ!危ないっ!」


その声と同時に、ベッドに横たわる私に向って大きくバランスを崩した眼鏡執事が倒れ込んで来るのが目に入った。
その光景に私は咄嗟に目をぎゅっと固く瞑る。

(いやぁーっ!)

でも、そんな私が感じたのは予想していた様な身体の痛みではなく、唇に何かが触れる柔らかい感触。
初めての感触に恐る恐る目を開けると、目の前には眼鏡執事のどアップで…。


「ちょ、ちょっと…っ!」
「あぁ、ごめん。事故でキスしちゃったね。でも名前お嬢様ならまさか初めてとかじゃないよね?もう子供じゃないんだし。良かったぁ。」


私は何も言ってないのに、ベラベラと喋る眼鏡執事。もう子供じゃないけどキスは初めてよっ!こんなファーストキス…最低。
でも、そんなかっこ悪いことは言えなくて私は精一杯に強がりを言う。


「まぁね。キスぐらいなんともないわ。」
「ふーん、じゃあもう1回する?」


そう言って顔を近付けてきた眼鏡執事に、私は頭が真っ白になって何も言い返せなかった。

「あははっ、冗談だって。まぁ今のはワザとキスしたんだけど…あっ名前お嬢様、そう言えば自己紹介がまだだったね。私はハンジ・ゾエ。名前お嬢様の火曜日担当だよ。よろしく〜。」


私のファーストキスを奪った男は言う。「ワザと」という言葉を私は聞き逃さなかった。
どうやらこの男、ただの無邪気で変態なだけな奴じゃないみたい。