▼ 愛の檻
赤司征十郎、という男を知っているだろうか。
キセキの世代だなんて言われて周りから一目置かれている赤司君は、今年同級生として洛山高校に進級した。元々バスケに興味は無かったから、私にとってキセキの世代とは「ふーん、で?」位にしか思っていなかった。
だからさして赤司征十郎という人間に一度でも会ってみたいと思った事も無かったし、接点を持ちたいと思った事もない。
だけど周りの人間は私とは違う考え方を持ってたらしい。
容姿端麗、成績優秀、運動神経も良く、天才バスケプレイヤー。加えてその目で捉えた者には有無を言わせないという、何処か厨二染みた圧巻的威圧感。
彼を慕う者も居れば、彼に嫉妬して嫌う者も居る。入学して一ヶ月、驚きの速さでファンクラブが出来、陰ながら支援されているのを見た。
そんな超人的な輝きを放つ彼だけど、別に対して興味もないという輩も居た。それが私なんだけど。
けど今思えば、始まりはあの夏日の放課後だったんだと、帰り際に気まぐれで体育館横を通って帰ったことを酷く恨んだ。
そして時間は、セミの鳴き声が五月蝿い初夏のあの日に遡る。
開いていたドアからは夏特有のムサ苦しさとダムダムとボールが跳ねる音、やたら気合の入ったバスケ部の声が木霊していた。
それに少しだけ表情を歪めて通り過ぎようとした、時、
私より大きい影が、重なった。
「「っ痛、」」
「、え・・・?」
横から急に出てきた影に吃驚して転けそうになった所を、無駄な筋肉のついてない腕で抱き留められ、顔が固まる。
反射的に出た声は、何ともまあ間抜けな声だった。
「すまない、大丈夫か」
「ううん。此方こそ御免なさい」
「それで、さ、」
「ん?」
ファンクラブの女子達が見ると悩殺されてバタンバタン倒れてしまいそうな位に、驚く程綺麗な笑顔で赤司君は「ん?」と私の言葉を待つ。
綺麗な細い腕が背中と腰に回っていて思ってた以上に密着している様に思える。赤司君の瞳が私を捉えて離さない。不思議と嫌な気は起きなかった。水か汗か分からない液体が赤司君の髪から顎を伝って、私の首元へ滴り落ちた。
「その、離して、くれませんか」
「・・・へぇ、」
「え?!何、怒ってる?」
「別に?」
たったこれだけの出来事だったのに。
この私と赤司君の出会いが、これからの私達を大きく変えたようだ。
時間は回想から現在へ。
赤司君が主将となった洛山バスケ部は、夏のIHで優勝した、というニュースを耳にした。
あれから変わった事と言えば、私と赤司君の接点が何処かしら増えたと言う事、そして赤司君に向ける感情が、段々恐怖へと変わっていった事くらいだ。
赤司征十郎が酷く恐ろしい。
この事実は、私の脳内で固定され、馬鹿みたいにその名前を脳内でリピートされる。
怖かった、恐ろしかった。どろどろ、どろどろ、私を渦巻く感情が真っ黒い何かに変わる。
どうして赤司君に恐怖を覚えたのかは、良くわからない。
初めて会ったあの日から、段々波が押し寄せてくる様に身体が恐怖で熱くなる。
だからと言って、暴言暴力を振るわれた訳でも無ければ周りの視線が痛かった訳でも無い。
だけどとっても恐くて、恐ろしくて。あの威圧感のあるオッドアイに捉えられる事や、凛とした声さえも深く記憶に残るくらい、何時しか私は彼に恐怖を覚えていた。
恐くて恐くて堪らない。幸い、クラスは一緒でなかったが休み時間、移動教室、顔も向けて居ないというのに気配だけで誰よりも素早く彼を見つけ、こっちに気付きませんように、と心の中で何回も唱えた。
胸焼けを起こす位に優しく、愛しそうに私の名前を呼ぶ事でさえも、一々反応して。
恐怖に耐えられず、毎回涙が出そうになったり、身体の内が熱くなったり、彼と話すと顔が引きつって上手く喋れない。
その癖、彼を怒らせない様に、私ちゃんと笑えてたか、私ちゃんと喋れてたかを一々後から後悔する。
そんな私を知ってか知らずか、私を見て面白そうに笑う。何かを企んでいる様な笑みでも悪意のある様な笑みでも無いのに、誰が私をこうさせているのかをきちんと把握している赤司君は、本当に面白そうに私を見て笑うのだ。
恥ずかしくて、嫌で、嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で。毎日が高熱にでも晒されている様な今では、数ヶ月前の面影は欠片も無かった。
赤司君が動けば私は必ず視界に捉え、こっちに来る様なもんなら恐くて冷たい汗を掻いて逃げ出してしまう。
本当に、私はどうしてしまったのだろうか。
あれだけ赤司君にもバスケにも興味無いと吹いていた、数ヶ月前の私は何処へ。
「嗚呼、もう逃げ道も無くなってしまった様だね。これで鬼ごっこも最後だ」
やだ、やだ怖い、来ないで、やだ、やだやだ、
だけどそれを口にする事は出来なくて。
全身から熱が吹き出すのを感じた。頭がくらくらして、目眩がする程息が上がって。
今まで走って逃げてきたからなのか、恐怖からなのかはっきりしない息を整えながら彼をうつす。
「・・・・・・や、やだよ、」
やっと絞り出せた声に、くすりと笑みを浮かべて赤司君は歩み寄る。
来ないで、来ないで来ないでこっち来ないでお願いだから、来ないでよ!やだ、来ないで、やだ、やだやだやだ来ないで、来ないでってばぁ、っ、
彼が一歩踏み出せば私も一歩下がる。不意に感じた壁の感触。
ひんやりと背に感じる冷気は、私の熱を冷ますのに丁度良かった。けどそれに比例して全身からサァッと血の気が引いていくのを感じる。
前より短くなった髪、威圧感のあるオッドアイに妖しい光を浮かべて目を細める彼。
「名前、」
私が動けなくなった事をいい事に、壁に手を付いて震える私の両サイドを赤司君で埋めた。昔の私なら「これが壁ドンか、」と一人場に似つかない言葉を並べていたであろうが、今の私はもう言葉も出なかった。なんてこった、口が震えてる!
忽ち近くなった距離に、あの日の感覚を覚える。
その気になれば腕を振り払ってでも逃げれるが、絶対に逃げないと奴は知っているから。
「君がこんな風になってしまったのも、誰が原因かも、僕は全て理解している」
私の両サイドを埋めていた両腕の内の片一方を私の首から顎までをなぞる様に触れ、顎をくいっと持ち上げる。
びくん、たったそれだけの行動なのに、私の身体は反応する。赤司君が触れた所が感染する様にじんわりと熱くなって、恐怖で涙が出た。
やだ、やめてよ、やだ、やだやだやだ、もうやだぁ、
泣きながら只管「やだ」と連発する私を見て面白そうに笑う。ほら、またこれだ。
くすり、、顎を持ち上げられ、涙が赤司君の手に落ちる。
そして涙も引っ込む程恐ろしい位の綺麗な笑顔で彼は言うのだ。
「ねえ、良い加減僕の事好きって認めたら?」
そうか、だから、
(( そして優し過ぎる口付けに再び涙を零した。、 ))
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