18
マルコが来て、一週間が経った。
毎日がどたばたと過ぎていく。
朝はマルコに起こされたし、夜はマルコと一緒に眠った。
一週間の間に、突然現れて俺の生活に入り込んできたマルコは、俺の生活のほぼ中心となった。
そう、マルコは突然現れた。
だから別れだって突然だということくらい、分かっていたはずなのだ。
※
窓の外から、朝を告げる鳥の鳴き声がする。
ゆっくりと意識を覚醒させた俺は、そろそろだな、と寝起きの頭でぼんやり考えた。
マルコは、なぜか俺を起こす際、必ず人の上に飛び乗ってくる。
やめろといってもやめないし、きゃふきゃふ楽しげに笑うのだ。
今日だって同じだろうと思いながら、ベッドに転がって腹に飛び乗られるのに備える。
「……ぅっく、ナマエ〜……っ」
けれども衝撃は襲ってこず、その代わりに聞こえた声に俺はぱちりと目を開いた。
ひっくひっくと息をすするそれは、マルコの泣き声だ。
何があったのかと身を起こして、声のほうを見やる。
マルコの頭がベッドのそばにあって、座り込んで泣いているらしいことが分かった。
「マルコ? どうしたんだ」
朝から、そんなに泣くようなことがあったのだろうか。転んだのか。
よくわからないまま体を動かして、マルコのほうへと近づく。
「マルコ?」
もう一度呼びかけながら、とりあえず慰めようとその頭に手を伸ばして、すか、と手が空振りした。
驚いて目を見開いた俺の前で、マルコが振り返る。
俺の手を顔から生やした状態になったマルコに、俺は慌てて手を引いた。
大きな目が、ぼろぼろと涙を零している。
「ナマエ、ナマエ、ナマエ!」
俺を呼びながら、マルコが俺のほうへと手を伸ばした。
短い手が俺を掴もうとして、けれどもそれが出来ず、すかすかと空を切る。
「マルコ、お前……」
「やぁ、よい……! ナマエ、ナマエ!」
「お前……」
マルコが俺の名前を呼ぶ。
必死すぎるその声に、マルコも同じ結論に達しているのだろうと思いながら、俺は口を動かした。
「……お前、帰るんだな?」
マルコが現れたのは突然だった。
だから、帰るのも突然だろう。
初日にそう判断していたはずなのに、あまりにも唐突な事態に、頭が回らない。
マルコが俺の腕を掴もうとする。
そうして掴めず、更にぼたぼたと涙を零す。
「マルコ……」
名前を呼びながら、俺はそっとベッドを降りた。
ベッドの上へ向かって必死に手を伸ばしていたマルコが、床を這うように動きながら俺のほうへと近づく。
胡坐をかいた俺の足に乗り上げようとして、透けたまま踏みつけて、それにすら泣きながら、マルコの両手が俺の頭に伸ばされた。
抱きつくように腕を回されても、何も感じない。
するりと手が滑りぬけて、それでようやく諦めたらしいマルコは、両手を床についた。
悔しそうに拳を握って、また涙を落とす。
フローリングに水の落ちる音がしないのは、その涙すらもうここに存在していないからなのだろうか。
「マルコ」
そっと名前を呼んで、うつむいていたマルコの注意を引く。
目を真っ赤にして顔をぐちゃぐちゃにしたマルコが、それでも俺の顔を見上げた。
一番初めに会った日みたいな泣き顔に、俺は小さく笑う。
あんなにも会いたくて泣いた『家族』のところに帰れるのに、どうしてマルコはこんなにも泣いているんだろうか。
もしも俺から離れるのがいやだとか、そういう感情からだとすれば、素直に嬉しいかもしれない。
けれども、ここにマルコを引き止めることなんてできやしないのだ。
マルコは、この世界の人間ではないのだから。
「向こうでも、元気でな」
「っ! ナマエ……っ!」
俺の言葉に、マルコが傷付いたような顔をする。
またもぼろりと涙が落ちて、泣き虫なこの子供は本当に海賊や海軍になれるのかと、俺は少しだけ思った。
まぁ、もしかしたらマルコの言う『海の男』は漁師なのかもしれないから、そこは深く考えないほうがいいだろう。
ぼろぼろと涙を零すマルコの頬へ沿えるように、そっと手を浮かせる。
本当ならぐちゃぐちゃの顔を拭いてやりたいところだったけど、触れないから無理だ。
「たった一週間だったけど、楽しかった。お前はどうだった?」
「……ナマエ、マル、マルはっ、」
必死に言葉を紡ごうとして、嗚咽にそれを遮られながら、マルコが一生懸命息を吸う。
ひっくひっくとこぼれるそれに、あんまり泣くと干からびるぞ、と笑った。
向こうの世界に出たら、マルコはちゃんと自分の居場所に帰れるんだろうか。
そんな心配が少しだけ頭を過ぎったが、マルコに触れない以上、俺にはどうすることもできない。
一週間しかいなかったのに、マルコはすっかり俺の生活の中に入り込んでいた。
そんな彼がいなくなるのは、やっぱり寂しい。
別れだって突然すぎる。
事前に分かっていたら、もっと心の準備だって出来たはずだ。
けれども、そんな風に言ったってマルコを引き止められるわけも無いから、俺はどうにか口元に笑みを浮かべた。
「お前に会えてよかったよ、マルコ」
小さな小さな同居人へ、そう言葉を贈る。
さっきから嗚咽ばかりで言葉を吐けなくなっていたマルコは、真っ赤になった目で俺を見上げて、それから涙や他でぐちゃぐちゃの顔をゆがめて、ぐっと歯を食いしばった。
すう、と息を吸い込んで、涙に震える声がその口から漏れる。
「……マル、も!!」
そうして、小さいけどはっきりとした言葉を最後に、マルコの体は音もなく消え去った。
後には何も残っていない。
触れる事もできないまま取り残されてしまった手を下ろして、俺は一人、深く長くため息を零した。
※
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