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18



 マルコが来て、一週間が経った。
 毎日がどたばたと過ぎていく。
 朝はマルコに起こされたし、夜はマルコと一緒に眠った。
 一週間の間に、突然現れて俺の生活に入り込んできたマルコは、俺の生活のほぼ中心となった。
 そう、マルコは突然現れた。
 だから別れだって突然だということくらい、分かっていたはずなのだ。









 窓の外から、朝を告げる鳥の鳴き声がする。
 ゆっくりと意識を覚醒させた俺は、そろそろだな、と寝起きの頭でぼんやり考えた。
 マルコは、なぜか俺を起こす際、必ず人の上に飛び乗ってくる。
 やめろといってもやめないし、きゃふきゃふ楽しげに笑うのだ。
 今日だって同じだろうと思いながら、ベッドに転がって腹に飛び乗られるのに備える。

「……ぅっく、ナマエ〜……っ」

 けれども衝撃は襲ってこず、その代わりに聞こえた声に俺はぱちりと目を開いた。
 ひっくひっくと息をすするそれは、マルコの泣き声だ。
 何があったのかと身を起こして、声のほうを見やる。
 マルコの頭がベッドのそばにあって、座り込んで泣いているらしいことが分かった。

「マルコ? どうしたんだ」

 朝から、そんなに泣くようなことがあったのだろうか。転んだのか。
 よくわからないまま体を動かして、マルコのほうへと近づく。

「マルコ?」

 もう一度呼びかけながら、とりあえず慰めようとその頭に手を伸ばして、すか、と手が空振りした。
 驚いて目を見開いた俺の前で、マルコが振り返る。
 俺の手を顔から生やした状態になったマルコに、俺は慌てて手を引いた。
 大きな目が、ぼろぼろと涙を零している。

「ナマエ、ナマエ、ナマエ!」

 俺を呼びながら、マルコが俺のほうへと手を伸ばした。
 短い手が俺を掴もうとして、けれどもそれが出来ず、すかすかと空を切る。

「マルコ、お前……」

「やぁ、よい……! ナマエ、ナマエ!」

「お前……」

 マルコが俺の名前を呼ぶ。
 必死すぎるその声に、マルコも同じ結論に達しているのだろうと思いながら、俺は口を動かした。

「……お前、帰るんだな?」

 マルコが現れたのは突然だった。
 だから、帰るのも突然だろう。
 初日にそう判断していたはずなのに、あまりにも唐突な事態に、頭が回らない。
 マルコが俺の腕を掴もうとする。
 そうして掴めず、更にぼたぼたと涙を零す。

「マルコ……」

 名前を呼びながら、俺はそっとベッドを降りた。
 ベッドの上へ向かって必死に手を伸ばしていたマルコが、床を這うように動きながら俺のほうへと近づく。
 胡坐をかいた俺の足に乗り上げようとして、透けたまま踏みつけて、それにすら泣きながら、マルコの両手が俺の頭に伸ばされた。
 抱きつくように腕を回されても、何も感じない。
 するりと手が滑りぬけて、それでようやく諦めたらしいマルコは、両手を床についた。
 悔しそうに拳を握って、また涙を落とす。
 フローリングに水の落ちる音がしないのは、その涙すらもうここに存在していないからなのだろうか。

「マルコ」

 そっと名前を呼んで、うつむいていたマルコの注意を引く。
 目を真っ赤にして顔をぐちゃぐちゃにしたマルコが、それでも俺の顔を見上げた。
 一番初めに会った日みたいな泣き顔に、俺は小さく笑う。
 あんなにも会いたくて泣いた『家族』のところに帰れるのに、どうしてマルコはこんなにも泣いているんだろうか。
 もしも俺から離れるのがいやだとか、そういう感情からだとすれば、素直に嬉しいかもしれない。
 けれども、ここにマルコを引き止めることなんてできやしないのだ。
 マルコは、この世界の人間ではないのだから。

「向こうでも、元気でな」

「っ! ナマエ……っ!」

 俺の言葉に、マルコが傷付いたような顔をする。
 またもぼろりと涙が落ちて、泣き虫なこの子供は本当に海賊や海軍になれるのかと、俺は少しだけ思った。
 まぁ、もしかしたらマルコの言う『海の男』は漁師なのかもしれないから、そこは深く考えないほうがいいだろう。
 ぼろぼろと涙を零すマルコの頬へ沿えるように、そっと手を浮かせる。
 本当ならぐちゃぐちゃの顔を拭いてやりたいところだったけど、触れないから無理だ。

「たった一週間だったけど、楽しかった。お前はどうだった?」

「……ナマエ、マル、マルはっ、」

 必死に言葉を紡ごうとして、嗚咽にそれを遮られながら、マルコが一生懸命息を吸う。
 ひっくひっくとこぼれるそれに、あんまり泣くと干からびるぞ、と笑った。
 向こうの世界に出たら、マルコはちゃんと自分の居場所に帰れるんだろうか。
 そんな心配が少しだけ頭を過ぎったが、マルコに触れない以上、俺にはどうすることもできない。
 一週間しかいなかったのに、マルコはすっかり俺の生活の中に入り込んでいた。
 そんな彼がいなくなるのは、やっぱり寂しい。
 別れだって突然すぎる。
 事前に分かっていたら、もっと心の準備だって出来たはずだ。
 けれども、そんな風に言ったってマルコを引き止められるわけも無いから、俺はどうにか口元に笑みを浮かべた。

「お前に会えてよかったよ、マルコ」

 小さな小さな同居人へ、そう言葉を贈る。
 さっきから嗚咽ばかりで言葉を吐けなくなっていたマルコは、真っ赤になった目で俺を見上げて、それから涙や他でぐちゃぐちゃの顔をゆがめて、ぐっと歯を食いしばった。
 すう、と息を吸い込んで、涙に震える声がその口から漏れる。


「……マル、も!!」


 そうして、小さいけどはっきりとした言葉を最後に、マルコの体は音もなく消え去った。
 後には何も残っていない。

 触れる事もできないまま取り残されてしまった手を下ろして、俺は一人、深く長くため息を零した。





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