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いずれ
※海軍大将藤虎と無知識トリップ主人公
※ネタページから加筆修正



 本当に、一体どうしてこうなったんだろうか。
 ぜいぜいと息を荒くしながら、もつれて倒れた拍子にひねった足もそのままに、俺は背中を背後の巨大な岩へと押し付けた。
 体の下の柔らかな砂がざりりと音を立てて、それが耳に届いたらしい目の前のすごい体格の男が、ゆるりとこちらへその顔を向ける。
 もし開いていたらこちらを睨んだかもしれないその両目は、額から瞼を横断する二本の古びた傷でその視力を失っているようだった。瞼の合間からわずかにのぞくのは白だ。
 それでも、正確にその顔がこちらを向いているのは一体どうしてだろう。
 そんなことを少しだけ考えて、いいやそれより、と荒れた息を整える努力をしながらごくりとつばを飲む。

「……ご無事でごぜェやすか」

 低い声でそんな風に言い放つその人の後ろの砂浜に、得体のしれない大穴があいていた。
 さらさらとそのふちから砂が零れ落ちていっていて、座っているせいかそれともかなり深いのか、底はまるで見えない。
 先ほどまで俺を追いかけていたどこかのゲームの悪人みたいな連中の姿が見えないのは、連中がその穴に沈んだからだ。
 俺はその上を駆け抜けたのだから、そこに落とし穴なんてものはなかったはずだった。
 焦って走って砂に足をとられてすっころんで、しまった、と慌てながら振り返った先にはどうしてか今こちらを見ているその人が立っていた。
 そしてその手が刀を抜いて、切っ先が砂へと向けられて。
 それと同時にずおんと音を立てて砂が凹み、そこにいたあの連中も全員が姿を消した。
 意味が分からない。
 がくがくと足が震えてどうにもならないこちらを向いたまま、刀をしまって俺のほうへと近付いてきた大きな体が、俺の前でゆるりと屈んだ。

「ご安心なせえ、あっしはアンタさんに危害を加えるつもりはごぜェやせん」

 屈んでも変わらず高い場所からそう言葉を落として、その手がこちらへと差しのべられる。
 立てやすか、と優しく寄越された言葉に、声が出ず、首を横に振るのが精いっぱいだった。
 それが、俺と『イッショウ』さんの出会いである。







 どうやら自分が『異世界』と呼ぶべき場所にいると気付いたのは、イッショウさんが俺を保護してくれて、あれこれと話を聞かれてからのことだった。
 海軍大将なんてかっこいい響きの役人を俺は知らないし、イッショウさんは総理大臣すら知らなかった。
 いくら目が見えなくたってラジオもあるのだから知らない筈がないのに、と思って話していくうちに驚愕したのは、俺の知っている電子機器のいくつかがカタツムリに成り代わられていると言う事実だ。
 海には鯱や鯨も驚くような大きさの、不思議な姿形の生き物がわんさかいて、いちいち驚いて悲鳴を上げる俺にイッショウさんは毎回笑い声を零している。

「あ! また笑って! だって驚いたんですよ!」

「あい、すいやせん、馬鹿にしたってェつもりはごぜェやせんで。……ナマエさん、アンタさんの住んでいた島ァ、本当に随分と平和な場所だったんでしょう」

 抗議しに近寄った俺のいる方へ顔を向けて、イッショウさんが楽しげに言葉を零した。
 さすがに『違う世界から来ました』とは言えなくて、俺は『何かのおかしな現象に巻き込まれ、自分のいた島から離れてしまった可哀想な一般人』と言うことになっていた。
 このグランドラインとか言う海では、そういう変なことだって起こりかねないらしい。つくづく俺の知っている常識の通用しない世界だ。
 どうやって帰ったらいいのかも分からないし、これからどうしたらいいのかも分からない俺の身柄は、今は『海軍本部』とやらに連れていかれるところであるらしい。
 海軍がひしめくそこならああいう『海賊』達に襲われることも少なくなるだろうというのがイッショウさんの意見で、つまり平和な場所だと言うならそれに越したことはないので、俺も了承した。

「島の場所が分かったら、是非ともあっしも連れてってくだせえ」

「う、うん」

 分かった、と頷くと、それが見えない筈のイッショウさんが約束ですよと軽く笑う。
 もしも本当に俺の生まれて育った『世界』に連れて行ったとしたら、どう考えても注目を引きそうな体格の彼の横でもう一度頷いたところで、ばしゃん、と大きく水音が鳴った。
 それと同時に船が大きく揺れて、びくりと体を震わせる。
 伸びてきたイッショウさんの手が俺の腕を掴まえて、ぐいと引き寄せて俺を自分の後ろへやった。
 驚いて声を上げながら、転ばなくて済んだそこでイッショウさんの背中側を掴まえつつ、恐る恐る水音がした方を見やる。
 イッショウさんが一角に座る甲板の上には何人かの海兵がいて、わあわあ騒ぐ彼らの前には、自ら首を上げてちらちらと舌を揺らしている化物がいた。
 海兵達の言葉から受け取るに、あれはカイオールイと言うらしい。さっきの牛みたいなやつもそういう名前だった気がするのだが、もしかしてああいう大きな化物は全部がカイオールイと言うのだろうか。

「イ、イッショウさん……!」

「ご安心なせえ、あっしがいる限り、この船は沈みやしやせん」

 どういう意味なのかは分からないが、イッショウさんがそんな風に言葉を零して、うんうんとその後ろで頷いた。
 さすがに何度もその背中に隠されていると、俺もこの大きな人が頼りになる人間だと言うことは分かる。最初のあの砂浜で怖がって悪かったと思うくらいだ。
 頼り切るのは申し訳ないけど、俺にはあんな化物と戦う術がない。
 イッショウさんの手が自分の持っている杖に触れて、仕込み刀をゆっくりと抜いた。
 海兵達が怒号を上げて怪物へと刀を向けて、それに応戦するつもりらしい怪物がむき出しにした牙を鳴らす。

「もう少し信用してもらわなけりゃ、本当のことは話しちゃあもらえやせんかねェ」

 その物音に身を竦めた俺の前で、イッショウさんが何かを呟いた。

「い、イッショウさん、今何か言った……?」

 うまく聞き取れなかったそれに気付いて、恐ろしい怪物を見やってびくびく体を震わせながら尋ねると、何でもありゃあしやせん、と呟いたイッショウさんがゆらりと立ち上がる。

「ささ、ちィっと離れてくだせえ」

 そうしてそう言い放ち、軽く頭を揺らしながら化物のいる方へと一歩二歩と踏み出していったその頼れる背中に、頑張って、と俺は声援を送ることしか出来なかった。
 この恩は、いつか絶対に返すべきだ。


end


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