回避ルート提示 (2/2)
「……普段とそう変わらないと思うんだけど」
鏡で見たのと同じ顔だとナマエは言うが、それが嘘であることはベックマンとシャンクスにとって明らかだった。
手配書の中のナマエは、今まで見たことが無いくらい弛んだ顔をしているのだ。
普段からあまり表情の変わらない顔であるためその変化は些細なものだが、一緒に寝食を共にすれば嫌でも分かる。
それが傍らにいた海軍大将のおかげだったとしたなら、海軍にいた頃のナマエは確かに幸せの絶頂であったに違いない。
間接的にそれをぶち壊したシャンクスが、それで、と声を漏らして酒瓶を握りしめる。
「どうすんだ、ナマエ」
「え?」
「お尋ね者になってるってェことは、海軍辞めて来たんだろ? まァおれのせいでもあることだし、うちの船に戻ってくっか?」
責任を感じているような口振りで放ったシャンクスの言葉に、ナマエが一度瞬きをする。
それから、すぐさま『いや、それはちょっと』と漏れた言葉に、シャンクスが三度首を傾げた。
「何だ、賞金首だからって遠慮してんのか? お前の首よりおれの首の方が高ェんだから、そう遠慮することも」
「俺追いかけてきてるのサカズキ大将だから」
続いたシャンクスの言葉を遮るように放たれた言葉に、一瞬その場に沈黙が落ちる。
寄越された言葉を吟味して、ベックマンは憐みの視線をナマエへ向けた。
「そりゃあまた、面倒臭ェ境遇になったもんだ」
「誰のせいでしょうねえ!」
「お頭だな」
恐るべきマグマ人間に追われる男からの涙声に、ベックマンがあっさりと傍らの船長へ責任を押し付ける。
えー、おれか? とシャンクスが不満げに声を漏らしているが、その責任の所在はその手の上以外にはありえない話だった。
それをナマエも理解しているのだろう、それ以外ないでしょうよ! と絶叫して、ばーかばーかと子供のように語彙の無い罵りを寄越してくる。
「サカズキ大将を独り占めするにしてももっと平和的にやりたかった!」
「…………あ、不幸なばっかりでもねェのか」
シャンクスから寄越された半分以上中身の無い酒瓶で強くテーブルを叩き、叫んだナマエにシャンクスが今気付いたと言いたげに声を漏らした。
酒瓶から離した片手でぐっと親指を立て、ナマエへ向けて笑顔を向ける。
「物理的にハート狙われてんだな。やったなナマエ」
「嬉しいようで嬉しくない……! ……はっ!」
それに対してそんな言葉を零してから、何かに気付いたようにナマエが顔を上げた。
その目が酒場の一角へ視線を向けて、ベックマンがそれを追いかけるように視線を動かす。
しかしそこには壁しかない。
確かそちらの方向にはこの島の港があったか、とまで頭の中で巡らせたベックマンの耳に、やばい、とナマエの呟きが届いた。
「向こうにサカズキ大将の船がついた気配がする……!」
「なんで分かるんだよ」
「もはや超能力か何かだな」
唸るナマエに肩を竦めれば、恋の力と言ってほしいとナマエが馬鹿な言葉を口にする。
それからがたりと椅子から立ち上がった相手に、何だ、とシャンクスが言葉を漏らした。
「頼りに来たんじゃなくて、文句つけに来ただけか」
「そりゃもちろんそうだよ」
海軍大将に命を狙われている哀れな元海兵が、そんな風に言いながらシャンクスとベックマンを見やり、それから少しだけ申し訳なさそうな顔をする。
「あと、そう言えば確かに手紙も書かなかったなあって気付いたから、顔見に来たんだ」
言葉を放つナマエは、相変わらず変なところで律儀な男だった。
その言葉に、ベックマンの脳裏にシャンクスがナマエを拾ってからの日々がわずかに思い出される。
ナマエは妙な常識に満ちた島の出身であるらしく、海賊にもなりきれなかった。
よくもまあ今まで生きてきたものだとベックマンは思ったし、海を漂流していたのだってそのせいで船ごと身ぐるみはがされたのではないかと考えたくらいだ。
体つきが随分変わっているのは、海軍に入ってあの過激と噂の海軍大将について行こうと頑張っていたからだろう。
レッド・フォース号に乗っていた時だってそこまでの努力はしていなかった筈だが、やはり『恋』とやらは愚かで恐ろしい。
それじゃ行くから、と言葉を置き、渡された酒瓶をテーブルに置いて行こうとしたナマエは、それからすぐに『あ、』と声を漏らして動きを止めた。
「大将が来るんだからシャンクス達も隠れてないと、下手すりゃ市民が巻き込まれるから気を付けろよな」
言葉の途中は店内にいる店員を見やっての言葉だ。
先ほど自分が少しばかり狙われたことも知らないのだろうナマエのお人好しさに、ああ、とシャンクスから声が漏れた。
「そういやあいつ物騒だよなァ……おれたちも行くか、ベック」
「昨日でログも溜まってるからな、そうした方がいいんじゃないか」
シャンクスとベックマンの言葉に、俺もそうした方がいいと思う、ともはや船員でも無い筈の立場で意見して、ナマエは改めてじゃあなと言葉を落とした。
それからすぐに駆け出して行ったその姿が店の外へと出て行って、すぐに閉じた扉で見えなくなってしまう。
騒がしい足音が聞こえなくなっていくのを確認して、ベックマンは吸い込んだ煙を吐き出した。
「…………読みが外れて残念だったな、お頭」
そうして寄越された言葉を聞いて、んー、と隻腕の海賊が残念そうに声を漏らす。
「海軍から追い出されたらまた行くあてもなくなるから、戻って来るかと思ったんだがなァ」
そうしたらそれをネタにまた赤犬でもつつこうかと思ってたのに、なんて言い放つシャンクスが、あの日赤犬に言葉を投げたのはもちろん意図的なことだった。
恋はハリケーンだっつうからな、と言ってナマエの下船を許可した癖にそんなことをしたのは、ただたんにあの過激で攻撃的な海軍大将をからかいたいが為だったと言うことはベックマンも知っている。
シャンクスの言葉で攻撃に苛立ちを乗せた赤犬のマグマは豪快に砲弾を焼き落とし、ついでに自分たちの軍艦も半分ほど焦す恐るべきものとなっていた。
「まあ、次会った時は疲れてんだろつって無理やり乗せるさ」
まさかナマエが当人に命を狙われるようになるとまでは思わなかったな、と続いた言葉に、全く、とベックマンの口からため息が漏れた。
「そのうち馬に蹴られねェよう気を付けるんだな」
「おれが蹴られる前にお前らがどうにかしてくれんだろ?」
「…………」
確信的なその言葉に、ベックマンは呆れた顔で煙を吸い込む。
しかし、確かに何かがシャンクスへ危害を加えようとしたならそれを阻むのがベックマンの生業であるので、首を横に振ることすら出来はしない。
『船長は我儘が過ぎる! そしてこの船の人はそれを甘やかしすぎる! 主人公一味か!』
いつだったかナマエが船の上で叫んでいた意味不明な言葉が耳の奥に甦ったが、もはやどうしようも無いことだった。
end
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