日常茶飯の風景 (2/2)
「ちょうどいいところに来たね」
扉を叩いて入った先で、つる中将が敬礼をした俺相手にそんな風な言葉を放った。
どういう意味だろうと目を瞬かせると、楽におし、と敬礼を解くよう命じられる。
額に添えていた手を降ろしてから近づくと、座っていた彼女が俺を自分の傍へと招いた。
「?」
転ばないよう気を付けながら足を動かして、つる中将の傍へ寄る。
俺を見下ろし、相手の手が俺の方へ向けて差し出された。
『サカズキ』や他の海軍大将より二回り以上も小さな手の上に、ぽつんと一匹のカタツムリが座っている。
電伝虫とかいう名前だったそれにぱちぱちと瞬きをすると、お取り、とつる中将が口にした。
ぐっすりお休み中のそれに触れて、そっと自分の方へと引き寄せる。
たまに『サカズキ』が使う電伝虫の半分ほどの大きさもないそれは、俺の手にぴったりのサイズだった。まだほんの子供なのだろうか。
受話器の代わりに、殻の上にスイッチのようなものがついている。
軽く指でつついてみても押せないそれを撫でてから、俺はつる中将を見上げて首を傾げた。
「これ、くれるの?」
目上にやるにはとんでもなく無礼な気がするものの、子供の見た目で敬語を使う違和感を考えて取り払った口調に、そうだよ、とつる中将が頷く。
「ナマエ専用だ、大事におし」
「せんよー」
「背中のそれをおしたら、サカズキのところに『アンタに何かあった』と連絡がいくようになってるんだよ」
きちんと身に着けておくんだね、と微笑んで寄越された言葉に、俺はもう一度手元の電伝虫を見下ろした。
いまだにぐっすりとお休みの電伝虫が、俺の手の上にいる。
「……ぼーはんブザー?」
しかも、海軍大将を呼ぶかもしれないという、恐ろしく価値のあるものだ。
「なんだい?」
「ううん、なんでも」
俺のつぶやきが聞こえたのか、不思議そうな声を出したつる中将に首を横に振ってから、俺はありがとうと相手へ言葉を告げた。
受け取った電伝虫を上着のポケットへと入れて、次に自分の鞄を降ろす。
「おれ、おとどけものしにきたよ」
「お利口さんだね」
俺の言葉に目を細めて、どれ、とつる中将が掌を晒す。
求められた書類を渡して、俺はきちんと仕事を全うしたのだった。
※
つる中将のところから『サカズキ』の執務室へ戻った後も、俺は何度かあちこちへと『おつかい』に出た。
書類をただ運搬するだけの作業だが、これもまた大事な仕事だ。
本来なら『サカズキ』の部下がやっているこの仕事を俺が貰っているのは、『サカズキ』にくっついて海軍本部にやってきてから、『サカズキ』の役に立ちたいと願ったからだった。
働かざるもの食うべからずということわざもある。俺の見た目はただの子供だし、子供が気にするなと『サカズキ』は言ったけれども、やっぱり『こう』なったからには、ただ後ろをついて回るだけではいけないのではないかと思う。
「帰るぞ、ナマエ」
「はあい」
帰り支度を終えた相手に声を掛けられて、疲れていたからか、少し間延びした返事が出た。
俺のそれを気にした様子もなく、きちんと今日も仕事を終えたサカズキが、俺より先に歩き出す。
それでも俺が追い付けるようにゆったりと動く足取りを追いかけて、俺は『サカズキ』の隣に並んだ。
俺の頭より随分と高い位置で、その大きな手が揺れている。
転んでも危ねェし手ぐらい繋いでみたら、なんて言い放った『大将青雉』にそれを気にした『サカズキ』が手をつないでくれたら、俺の足が地面から浮いたのを思い出した。
俺はまだまだ小さい子供で、サカズキはとんでもなく大きいから仕方ない。
血もつながっていない相手と同じくらい大きくなるのは難しいかもしれないが、ちょっと憧れる体格だ。
そのまま二人で並んだり俺が時々後ろになったりしながら廊下を歩いて、俺と『サカズキ』はそろって海軍本部から外に出た。
茜色に染まった空が真上にあって、町並みはあちこちがオレンジだ。
それらを見やり、それから傍らの相手を見上げて、ねえ、と声を零す。
「きょー、カレーたべたい」
「……ほうか」
俺の言葉に、『サカズキ』が分かったと頷く。
海軍のカレーが美味しいというのはどうもどの世界も共通らしく、そして海軍大将である『サカズキ』は多分料理上手だ。
いろいろと手の込んだ料理を作ってくれることもある。
そういえば、『サカズキ』の部下たちいわく、最近の誰かさんはいつものオーバーワーク気味だった仕事の姿勢を改めて、きちんと帰宅するようになったということである。
その分の余った時間を料理に当ててくれているのだとすると、何ともくすぐったい話だ。
俺は、一か月前に俺を引き取ってくれた心優しき正義の味方を見上げて、えへ、とたぶん少し間抜けな笑い方をした。
「きょうもいっしょにオフロはいろ」
「……しようのない奴じゃァ」
まだ一人で入れんのか、なんて言いながらも、『サカズキ』が軽く頷く。
オレンジ色に染まる帰路で自分の影を踏みながら、それを見上げて一緒に帰宅する。
そんな普通の光景が、ここ最近の俺の日常だ。
目下の悩みはただ一つ、傍らの誰かさんを『お父さん』と呼ぶべきかどうか、という一点である。
end
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