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日常茶飯の風景 (1/2)
※『賢い子供』続編
※主人公は転生幼児(知識有)で孤児



 海軍大将の朝は早い。
 重役と言うのはむしろもっと遅くから行動するものなのではないかと思ったりもするが、俺の知る限り『サカズキ』はとても働き者だ。
 それに合わせて活動するうち、俺も同じく早起きになってしまった。
 今日もせわしく支度を終えた玄関口で、目の前の大きな大人相手に直立の姿勢をとる。

「んっ」

「…………」

 いつものごとく片手を動かして相手を見上げると、俺のそれを見下ろした『サカズキ』が、帽子の下からのぞくその両目をわずかに眇めた。
 大きな手がゆらりと動き、四本の指をぴんと伸ばしてその片手が額に添えられ、もう片方の手が背中側に回る。

「こうじゃ」

 言葉と共に示された『お手本』は、相変わらずの威圧感だった。
 俺が海軍元帥だったら困るかもしれないほどの圧力に、負けぬよう両足に力を入れて姿勢を正し、指が反るくらい力を入れた片手を頭に添え直す。

「ん!」

 もう片手で握った拳を腰に押し当てて、首の付け根の先からかかとまでまっすぐにして相手を見上げると、しばらく俺を見下ろした『サカズキ』が、するりとその敬礼を解いた。

「よし」

 どうやら今日も合格らしい、とほっとして、体の力を抜く。
 今月から始まった毎朝の恒例なのだが、毎回とても体力を使っている気がする。
 しかし、ちゃんと敬礼の一つでも出来なくては、おちおち海軍本部もうろつけない。俺は『サカズキ』にくっついていくのだから、『サカズキ』の恥になるようなことは出来ないのだ。
 そばに置いてあった帽子を拾い上げ、ひょいと頭の上へと乗せた。
 『サカズキ』がかぶっているものとほとんどお揃いのそれは、子供用の海兵帽子だ。
 海軍を象徴する文字の傍にひよこのアップリケが縫い付けられているのが何とも悲しいが、俺の頭にちょうどいいサイズがこれしかないのだから仕方ない。
 気になるそこを軽く指でこすってから、背負っていた鞄のひもを掴み直す。

「いこ!」

 言葉を弾ませて相手を改めて見上げると、こちらを見下ろした『サカズキ』がゆるりと頷いた。







 俺が海軍本部へ出入りするようになって、二か月ほどが過ぎた。
 最初の頃はずっと『サカズキ』にくっついて歩いていたが、最近は時々執務室や他の海兵のところへ置いて行かれるようになった。
 なんでも『サカズキ』は本格的な訓練と言うのをしているそうで、実弾を扱うそれに『俺』がついて行っては危ないから、とのことだった。
 ちなみにそう説明してくれたのは『サカズキ』の部下の海兵さんで、『サカズキ』はただ『待っちょれ』と言っただけだった。
 そして本日の俺の一時預かり保育先は、『サカズキ』の同僚殿のところである。

「へェ〜、サカズキが敬礼ねェ〜」

 懐かしいねェ、なんて声を漏らした相手もまた、随分な大男だった。
 まぶしい気がする黄色のスーツに身を包み、足を組んだ海軍大将を見やる。
 時々俺を預かってくれるこの海軍大将は、どうやら大将黄猿であるらしい。
 名前はちょっと長くて、まだうまく舌の回らない俺ではうまく言えないので言いたくない。ちゃんと呼べなかったとき、一番面白がるのはこの海軍大将なのだ。とても恥ずかしい。
 会うたびいろんな話をする相手が、ふむ、と声を漏らしてからひょいと椅子から立ち上がった。
 座らされていたソファの上でそれを見上げると、俺を見下ろした『黄猿』がにんまりと微笑みを浮かべる。

「わっしもお手本見せたげようかァ〜?」

「え?」

 何とも唐突すぎる発言に、俺は目を瞬かせた。
 それと共になぜだかとてつもなくいやな予感がして、いらない、と慌てて口を動かした。
 けれども『まァまァ』なんて適当な言葉を投げかけてきた相手が、ひょいとその長い腕を動かす。
 その手が額の近くへと移動し、今朝の『サカズキ』のように敬礼をしたと思った次の瞬間、俺の目の前にとんでもなくまぶしいものが出現した。

「めが!」

 瞳に突き刺さったそれに思い切りのけぞって、柔らかかったソファの上にひっくり返る。
 両手で両目を押さえてそのままじたばた身もだえていると、オォ〜、なんて声が俺の上へと落ちてきた。

「びっくりしたねェ〜」

 それはこちらの言葉である。
 ごめんねェ、なんておざなりな謝罪を寄越しつつ大きな手が俺の頭に軽く触れて、よしよしと俺の帽子ごと俺の頭を撫でた。

「ちょォっと気合い入れただけであんなに光るなんて、わっしもまだまだだねェ〜」

 やれやれ、とため息を吐く相手に、両目を押さえていた手をそっと離す。
 まだ目の前はちかちかしているし、あちこちに光の残像が見えるが、何とか目は無事だったようだ。
 そのことにほっとしつつ、眉を寄せた俺は、焦点のほとんど合わない視線を目の前の相手へ向けた。

「……めつぶしするたいしょー、ひどい」

「わざとじゃねェんだよォ〜?」

 慌てたように声が落ちてきているが、その顔がなんとなくにやけていてはまるで説得力がない。
 俺の知る限り、一番悪戯好きな海軍大将は目の前の相手だった。
 いじめっ子とまでは言わないが、人の頬を急につついてきたり唐突に後ろへ現れて脅かしてきたり、そういうことをする。
 ついでに言えば『サカズキ』は恐ろしく真面目で、『クザン』はとんでもなくだらけている海軍大将である。
 そう考えると三人組としてのバランスはとれているのかもしれないが、きっと上司は大変だろうなとも思う。

「……しぇんごくさんに、いーつける」

 だがしかし、上司としてはぜひとも叱ってほしいところだ。
 本当は『サカズキ』にも言いつけたいところだが、そんな情けない姿を『サカズキ』には見せられない。
 きゅっと顔を引き締めて宣言した俺に、オォ〜、と『黄猿』が目を丸くした。

「ごめんねェ〜ナマエ〜」

 間延びした声音で謝罪を寄越した『黄猿』が、おやつあげるから許しとくれよォ、なんて言葉を放つ。
 人をお菓子なんかで懐柔できると思ってるあたり、本当に正義の味方なのか疑問である。
 つい三日前のとても噛めたものじゃなかった煎餅を思い出し、俺はつんと顔を逸らした。

「おれはしょんなので」

「今日のおやつはお饅頭だよォ〜」

「…………」

 そしてうっかりと、誘惑に負けた。







 訓練から戻っても、『サカズキ』は忙しい。
 体を動かした後にきびきびとデスクワークができるなんて、とてもすごいことだと思う。
 俺だったら無理だろうなと、昼寝用に使っていたタオルケットを自分でたたみながらしみじみと思った。
 いつの間にやら、俺は『サカズキ』の執務室にいた。
 どうやら俺がいつもの時間に昼寝へ入った間に、俺の身柄は『サカズキ』に引き渡されたようだ。
 タオルケットの四隅がしっかりと結ばれていたので、またいつだったかのように袋入りの土産物のような持ち方をされたに違いない。
 少しぐしゃぐしゃだが、できる限りきちんとたたんだタオルケットをソファの端へと置いてから、俺は自分の鞄を引き寄せた。
 『サカズキ』が買ってくれた鞄を手にして『サカズキ』の方へ近寄ると、デスクワークに没頭している様子だった相手が、ふとその手を止める。

「起きよったか」

「うん。おはよーございます」

 寄越された言葉にぺこりと頭を下げてから、俺は『サカズキ』の横で鞄を開いた。
 どちらかと言うと学生鞄のような四角いそれから、ひょいと取り出したものをサカズキへ向けて差し出す。

「こりぇ、おやつ」

 言葉と共に差し出したそれは、俺が本日網膜の痛みと引きかえに『黄猿』からせしめた慰謝料だった。
 柔らかくて甘くておいしいよとの触れ込みだったそれを包みごと鞄にしまったのは、体を動かして疲れて帰ってくるだろう『サカズキ』のことを考えたからである。
 俺の動きに目を丸くした後面白がるように笑った『黄猿』が、自分の分を半分くれたから、間違いなくこの饅頭が美味しいことは知っている。
 俺の言葉にしばらく俺の手の上のものを見つめてから、『サカズキ』の手がこちらへと伸ばされた。
 ひょいと俺の手の上の饅頭をとった『サカズキ』が、それを執務机の端に重なっていた書類の上へと置く。

「たべる?」

「あァ」

 文鎮のように扱われてしまったそれに首を傾げると、後でな、と『サカズキ』が呟いた。
 その手が他の場所から書類の束を掴み上げ、それをこちらへと差し出してくる。

「ナマエ」

 俺の名を呼ぶ声に、『サカズキ』が求めていることに気付いて、俺はぴんと背中を伸ばした。
 両手で書類を受け取って、すぐにそのまま鞄へと入れる。

「だれのところ?」

 鞄の口を閉めて尋ねると、『サカズキ』がつる中将の名前を呼んだ。
 わかったと頷いてから鞄を背負い直し、今朝も練習した敬礼を相手へと向ける。

「いってきます!」

 声高に宣言した俺に、転ばないように、と『サカズキ』が言い含めるような言葉を口にした。







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