- ナノ -
TOP小説メモレス

従者を希望します
※藤虎未満イッショウさん
※異世界トリップ主人公は付き従い尽くしたいタイプ



 砂浜に座り込む彼の前には、美しい青い海原が広がっていた。
 太陽を反射して、目を突き刺すようにきらめく海面を撫でた風が、波を運ぶように浜辺へと吹き込む。
 素足を砂に触れさせて、風雨で荒く削られた岩に腰掛けた男は、吹き抜ける風を心地よさそうにその体に受け止めてから、ふと何かに気付いたようにその顔を左へ向けた。

「ナマエ?」

「あーあ、また気付かれた」

 目を閉じたままの彼に名前を呼ばれて、近付こうとしていた足を止めたナマエが、悪戯のばれた子供のような笑みをその顔に浮かべた。
 足音が聞こえやしたよ、とそちらへ言葉を投げて、盲目の男もわずかに微笑む。
 額から十字に傷跡の走ったその双眸は光も色も映さないが、それゆえに彼の他の感覚は鋭敏だ。
 ナマエがこっそりその傍へ近寄れたことなど、ただの一度もない。
 軽くため息を吐いてから、片手に鞄を一つぶら下げて、ナマエの足が砂を踏んだ。
 先ほどより遠慮なく足音を響かせながら、そのまま岩に腰掛ける男の傍へと近付いていく。

「イッショウさんが驚くところ、ちょっとでいいから見てみたいのになァ」

「ご期待に応えられず申し訳ねェこって」

 呟くナマエの声を拾い、盲目の男はそんな風に言葉を紡いでから、少しばかり首を傾げた。

「だが、あっしを脅かしたって楽しくも無いでしょう」

 悲鳴なんて聞いてもしようがない、なんて言葉を続けるイッショウへ、そんな派手に驚かせようとは思ってないけど、と笑ったナマエがそのままイッショウが座る岩の傍へと腰を下ろす。
 砂での汚れを気にしてか、場所を代わりやしょうか、と呟き立ち上がろうとする相手の膝を軽く押さえて留めてから、ナマエは下から男を見上げた。

「笑った顔も怒った顔も困った顔も見たから、驚いた顔も見てみたいなって思ってただけだよ」

 楽しげに響くその声音に、理解しがたい、とでもいうようにイッショウが首を傾げる。
 目を閉じたまま、何かを思案しているようにも見えるその顔を見上げてから、ナマエは自分が持っていた鞄の中をごそりと探った。

「はい、イッショウさん。お昼」

「へえ、どうも」

 声を掛けながらその手に乗せたただのおにぎりに、イッショウが礼を言う。
 食べやすいようにとナマエが堅めに握ったそれを頬張るイッショウを見ながら、ナマエも彼に持たせたのより一回りほど小さいおにぎりを口に運んだ。
 ナマエの傍らに座る『イッショウ』という名のその男は、この砂浜でナマエを拾った、ナマエの命の恩人だった。
 何があったのか分からぬまま海に叩き付けられて、あまりの痛みに気絶したナマエが漂着したのを、その手に持っていた杖でつついて発見したのだ。
 目を覚ました時、自分を見下ろす相手を見上げて『何かの映画で見たことがある気がする』と考えたナマエは、彼がその名を名乗ったことで、どうやら自分が生まれ育ったのとは違う世界にいるのだと言うことを理解した。
 イッショウが真面目な顔で『グランドライン』だの『海王類』だの『悪魔の実』だのと言った嘘を吐く男には見えなかったし、行くあてが無いんならあっしのとこに来なせえ、と優しく言ってくれた彼は、まさしく右も左も分からないナマエを助けてくれた。
 そして、『元の世界』への帰り方が分からず、海軍に行くかと尋ねられて拒んだナマエに、イッショウはそれ以上軍での保護を勧めなかった。

『言いたくねェことァ誰にでもありやしょう。あっしは、あんたさんを信じるだけだ』

 その目ではナマエの姿も形も分からないのに、男はただそんな風に言って、後はナマエの意思を尊重してくれようとした。
 その気持ちが嬉しくて、この世界にいる間はその傍で過ごすとナマエが決めたのが、三か月ほど前のこと。
 随分とこの島での生活にも慣れて、ナマエは率先してイッショウの世話をするようになった。
 イッショウは、そんな面倒なことをしなくていいのに、と少し困ったような顔をすることがあったが、やりたいからやっているんだと主張したナマエにはもう何も言わなくなった。
 イッショウの住まう家とは少し離れた場所にある村の人々も、ナマエの素性はどうあれ盲人であるイッショウの手助けになる人間が現れたことを優しく喜んでくれているらしい。
 自分がいつか『元の世界』へ帰るまで、ずっとそのままで過ごせるものだと、ナマエはずっと思っていた。
 けれども、この世界が『どの』世界で、イッショウが『どういう』役目を持つ人物であるかを考えれば、そんな筈が無かったのだ。

「イッショウさん、いつ出る?」

 もぐ、と口を動かして、噛みしめた白米を飲みこんでから、海原へ顔を向けたナマエが尋ねる。
 騒がしい波の音にまぎれたそれは、しかし耳の良いイッショウにはきちんと聞こえたらしく、ナマエの握った昼食を口に運んでいたイッショウの動きがほんの少しだけ止まった。
 少しばかり眉間に皺を寄せて、最後の一口をその口に押し込んだイッショウが、頬を膨らませながら口を動かす。

「ごちそうさんでした」

「うん。はい」

 最後の一口を飲みこみ、挨拶を零した相手へ言葉を投げながら、鞄から取り出した筒の中の濡れタオルをナマエは彼へと押し付けた。
 米でわずかにべたついた手を、イッショウが丁寧に拭う。
 その口の端に米粒が一つついているのを見上げながら、それで、とナマエはもう一度口を動かした。

「いつ海軍本部に行く?」

 海軍の新たなる元帥が決まった、という一報をニュース・クーが伝えたのは、つい先日のことだ。
 そうして、結果として三人から一人に減ってしまった海軍大将や、海賊達との戦争を終えて一線を退く海兵達の意志を継ぐ者が、あちこちの海から徴兵されることとなった。
 他を殆ど知らないナマエの目から見ても類稀なる悪魔の実の力を持つイッショウも当然ながらその対象であり、彼はまだ知らないが、その立場が『海軍大将』となることをナマエは知っていた。
 心優しいイッショウは、時折言われるがままに新聞を読んで聞かせていたナマエの知る限り、悪を許せない心の持ち主だ。
 それを正義と呼ぶのかはナマエにはよく分からなかったが、どう考えても彼は『いいひと』だった。

「……二日後に、軍艦が迎えに来る予定だそうで」

「え、二日? まだ何にも荷造りしてないのに?」

「身ィ一つで構わねェと、言われとりやすから」

 言いながら肩にもたれさせるように持っていた杖を軽く揺らして、このくらいは持っていきやすが、と続けたイッショウは、そこでようやくその顔をナマエの方へと向けた。
 何も見えないその目が、しかし自分を見つめているように感じて、ナマエもその顔を見つめ返す。

「あっしがいなくなっても、あの家はそのまんま使ってやってくだせェ」

 好きに使ってくれて構いやせんから、と言葉を紡ぎ、イッショウがその口に微笑みを浮かべる。
 相手を安心させようとするようなそれを見上げて、ナマエの眉間には皺が寄った。
 不満そうにその顔を見上げてみても、目の見えないイッショウにはそれは伝わらない。
 ひょっとすると、気配でそのくらいは分かっているのかもしれないが、あえて知らないふりをしているのかもしれなかった。
 自分よりずいぶん年上な相手を見つめてから、やがてわずかなため息を零したナマエの手が、イッショウが持ったままの手拭いを奪い取る。

「分かってないなァ、イッショウさんは」

 言葉を落としながら立ち上がり、足についた砂を軽く払ったナマエへ、何の話でやしょう、とイッショウが少しばかり不思議そうな声を漏らした。
 岩に座っている分、いつもなら見上げる位置にある彼の顔を見下ろしてから、ナマエがわずかにそちらへ顔を近付ける。
 気配を感じて上向いたイッショウの顔へ手を伸ばすと、それに気付いたらしいイッショウが少しばかり体を後ろへ引いた。
 しかし逃さずその頬に触れて、口の端についていた米粒を摘み取ってから、ナマエの手が持ったままだった手拭いで軽くイッショウの口の端を拭う。

「あとたった二日で荷造りするの、大変なんだからな」

 身一つでだなんて、とんでもない話だ。
 もうあの家に戻らないと言うのなら、大事なものも大切なものも思い出の品も、すべてを鞄に詰めてしまわないといけない。
 ナマエの言葉に、されるがままに口を拭われたイッショウが、やや怪訝そうな顔をする。
 それを見下ろして手を降ろしてから、ナマエは微笑み言葉を綴った。

「でも、船旅なんて初めてだから、楽しみかも」

 海軍本部というのがどこにあるのかをナマエは知識でしか知らないが、きっとこの島からそこまでの船旅では、色んなものを見ることが出来るだろう。
 何せこの世界は『ワンピース』でこの海は『グランドライン』の大海原、常識に囚われない海だ。
 人魚も見られるかな、なんて言葉を紡ぎながら体の傾きを戻したナマエは、ちらりと海へその視線を向けて、それからイッショウへその目を戻し、あれ、と瞬きをした。

「…………イッショウさん、もしかして驚いてる?」

「………………へえ、まあ」

 ついてくるとは思わなかったもんで、と呟きつつナマエの方へ顔を向けたイッショウを見下ろして、ははは、とナマエが笑う。
 ナマエを拾った男は、どうやらナマエがその傍にいると決めたことをまだちゃんと理解していなかったらしい。
 まあ言って聞かせるつもりもないし、分かっていないならそれはそれで構わないかと胸の中で一人呟き、ナマエが口を動かす。

「驚いてても恰好いいなァ、イッショウさん」

 楽しげに響いたその言葉に、あっしへそう仰るのはあんたさんくらいなもんでしょう、とイッショウは少し困ったような声を零した。



end


戻る | 小説ページTOPへ