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形影一如
※短編『有終完美』の続き
※クロコダイルの部下な主人公は悪い人



 クロコダイルがナマエという男を知ったのは、『裏』社会ではよくあるようなとある事柄のせいだった。
 クロコダイルの『裏の顔』の取引先であった集団の一つのトップが殺されて、それを成したはずの人間が、その所属していた『組織』ごと、おかしなほど不幸と不運を重ねて跡形もなく消え去ったのだ。
 相手を完膚なきまでに叩きのめし、連なる全てを消し去るような狡猾で綿密でしつこい波状攻撃は、男も女も老人も子供も関係なく、行われた攻撃を『恨む』人間を誰一人残さなかった。
 まるでただの『偶然』が折り重なって出来たような事態は、しかし考えれば考えるほど、ただ一つの目的を持っているように思える。
 今までにない状況に警戒したクロコダイルが調べた限り、もしもそれが『復讐』だったとしたのなら、その指示をしたのはナマエという名前の、父の後をついで新たにとある組織の頂点へ君臨した男だ。
 わずかな興味と自身への絶対的自信を伴って、クロコダイルが『取引』へ向かったのは、ほんの気まぐれで。

『……ああ、初めまして、サー・クロコダイル』

 そうお呼びしてもいいのかな、なんて気取った様子で言い放った男からは、クロコダイルの知らない煙草の匂いがしていた。
 対面して確信したが、ナマエは何とも計算高く、用心深く、そして用意周到な男だった。
 クロコダイルが持ちかけた『取引』で、クロコダイルからの要求を過不足なくこなす人間に遭遇したのは久しぶりだ。
 見ている限りはクロコダイルとそう年の変わらない優男にも思えるが、しかしどことなく得体のしれなさを醸し出している。
 クロコダイルが尊大に振舞おうがわざとらしく攻撃しようが気にした様子もないナマエは、そして間違いなくクロコダイルを特別視していた。
 会えてうれしいと何のてらいも無い様子で口にした相手の真意などクロコダイルには分からないが、秘密裏に調べさせて他の『取引先』には振舞わないと確認した、『オマケ』と名のつく贈り物を帰り際に毎回受け取ってやっていたのは、クロコダイルの中の優越感がそうさせたのかもしれない。
 もちろん、何かクロコダイルへ害成すものであったならすぐさま飛んで帰ってその首をはねてやるところだが、ナマエが寄越す『贈り物』はどれも役に立つものばかりだった。
 とある政治家の裏の顔、海軍と海賊の汚い取引の日時、強力な武器や足のつかない毒薬であったこともあれば、クロコダイルがよそで扱っていた『ビジネス』を有利に進めるための人質であったこともある。
 『クロコダイルだけ』であったそれらが、意味をたがえたのはただ一度だけだ。

『フッフッフ! 随分と気前の良い『取引先』だなァ、気に入ったぜ』

 不愉快なほど楽しそうに笑ってそう言ってきた海賊の言葉を聞いた時、クロコダイルはあの得体のしれない優男を殺してやろうと思った。
 寝込みを襲ったクロコダイルの前でナマエが無様に悲鳴を上げたなら、今頃、あの男はクロコダイルの手により渇きを与えられて死んでいただろう。







「……これで報告は以上だ。問題は?」

「ねェな。残りもうまくやれ」

「そうか」

 『報告』を受けて低く声を漏らしたクロコダイルの向かいで、男がわずかに口元を綻ばせる。
 紆余曲折あってクロコダイルの『もの』となった目の前の相手をクロコダイルが見上げると、それじゃあお茶の時間だな、なんて言葉を放ったナマエが、部屋へと持ち込んできたカートを軽く押した。
 きちんと時間を図っていたらしい男の手が、かちゃりと茶器を鳴らす。
 しばらくの間クロコダイルが一つの家へと閉じ込めていた男は、クロコダイルがそこから出してやっても逃げようとはしなかった。
 自ら『部下にしてくれ』と言ってきただけあって、よく働く。
 最初は逃げる為の口からの出まかせなのだろうと疑ってかかったが、クロコダイルに頼られるのが嬉しいからと馬鹿なことを言い出したナマエは、まるで逃げるそぶりが無く、クロコダイルが求めるように動いた。
 今先程の報告もその傾向があるもので、恐らく今頃、一つの町が壊滅していることだろう。
 そこに『王下七武海』である『サー・クロコダイル』はまるで関係がなく、海兵がクロコダイルの元へ辿り着くこともあり得ない。
 随分な仕事ぶりに軽く葉巻の煙を零したクロコダイルの前で、用意を終えたナマエが紅茶を注いだカップを二つ、クロコダイルの使っている机の上へと置く。
 どちらにするかを訊ねてくる視線を受け止めて、クロコダイルが軽く身振りでそれを伝えると、ナマエはその一杯をクロコダイルの方へと近付けた。
 そうして、残った一つに手を付けて、軽くカップへ唇を当てる。

「…………よし、うまくできてるな」

「クハハハ! 何だナマエ、自画自賛か」

 どことなく嬉しそうに聞こえた声にクロコダイルが嘲笑を浮かべると、それを受けても表情の崩れないナマエが、軽く首を傾げた。

「アンタが褒めてくれるのか?」

 それはそれで嬉しいがと、馬鹿のような言葉をナマエが口にする。
 クロコダイルの『もの』となり、その部下になったナマエは、以前より少しばかり様子が変わった。
 クロコダイルの『取引先』だった頃の、まるで踏み込ませない得体のしれなさがわずかになりを潜め、クロコダイルへといくつかプライベートな話をするようになった。
 否定も肯定もしていなかった件の『復讐』を肯定されたのは、確かナマエがクロコダイルの部下となって半月近くが経った頃だ。

『親父が殺されたんだから当然だろう?』

 生まれついての極悪人なのだろうと思わせるようなまるで邪気の無い顔で、ナマエはそう言葉を紡いだ。
 悪魔の実の能力者と対等に渡り合えるほどの強さを持ち合わせてはいないようだが、人の心を砕き壊すすべをナマエはよく知っている。
 己の武器を知っているらしい男を前に、『なら、おれが死んだら同じことをするか』とクロコダイルが訊ねてしまったのは、舐めていた酒の強さが舌を滑らせたからだった。
 それに対してどうしてか目を丸くしたナマエが、アンタは死なないだろうと不思議そうに言った声が耳へと甦る。
 唐突に不死の化物扱いされて、わずかに機嫌を損ねたクロコダイルの前でナマエが紡いだのは、『まあ、あの時よりは早く終わらせる』という言葉だった。

『相手が全員いなくなっていくのをじっと待つのは、ちょっと無理そうだ』

 俺が耐えられない、とどことなく穏やかにすら聞こえた言葉を耳の内側で繰り返されて、自分の記憶に眉間へ皺を寄せたクロコダイルが、その手を伸ばしてカップへ触れる。
 きちんと温められたらしいそれを引き寄せ、葉巻を退けた唇で紅茶を含むと、適温の紅茶がふわりとその香りを広げた。
 確かにナマエの自画自賛の通り、今日もまたうまい具合に用意されたようだ。
 巨大な組織のトップへと君臨していたくせに、ナマエは案外こういった用意のうまい男だ。
 これも擬態の一環だとすれば、恐らくナマエはどこかへ潜入させてもうまくやるに違いない。

「どうだ?」

 クロコダイルが一口分飲みこむのを待って、ナマエがそんな風に問いを寄越す。
 それを聞き、カップを置いて葉巻を咥えなおしたクロコダイルは、ふん、と鼻を鳴らした。

「飲めねェ味じゃねェ」

「そうか、良かった」

 まるで褒めていないクロコダイルの言葉を前に、ナマエはどうしてか少しばかり嬉しそうな顔をする。
 その顔が何となくクロコダイルの胸の内を見透かしている顔に見え、不愉快になったクロコダイルの足先がわずかに砂へと変化した。
 ざらり、と床を叩いた音に気付いて、ナマエが自分の足元を見下ろす。
 机の向こう側へとわずかに零れたのだろう、砂を認めたその目をクロコダイルの方へと戻して、ナマエがその手のカップを机へ戻した。

「クロコダイル?」

 どうしたんだ、と尋ねてくる相手に、クロコダイルが椅子の背もたれへ背中を預け直す。
 ふんぞり返ったような姿のまま、クロコダイルが軽く指先を動かして相手を招くと、戸惑いをその顔に浮かべながらも、ナマエはクロコダイルの方へと近付いた。
 机の傍を歩み、無防備に近寄ってきた相手を見上げて、頭が高ェ、と足を組んだクロコダイルが唸る。
 それを受け、ナマエが少しばかり身を屈めた。
 すぐそばでやればその分顔が近くなり、目線を合わせる為にとそのまま膝をつこうとしたナマエの方へ、クロコダイルの鉤爪が伸びる。
 鋭利な刃先を巧みに操れるのは、それだけクロコダイルがその『片手』に馴染み慣れている証だろう。
 ナマエの体をひっかくことなく、顎の下から服の内側へと潜り込んだ切っ先が、わずかに襟首へと穴を穿つ。

「え?」

 目を丸くしたナマエを無視して、クロコダイルがそのままぐいと引き寄せると、慌てた声を零したナマエの体が前へと傾いだ。
 ついでに鉤爪で付けた穴が広がり、大きくその切っ先が覗いたが、クロコダイルとしてはナマエの今着ている服がどうなろうとどうでもいいことだった。
 今日ナマエが着ている服も、昨日ナマエが着ていた服もクロコダイルが用意させたのだ。この後着替えようが明日になろうが、ナマエはクロコダイルの選んだ服を着るに決まっている。
 引き寄せた顔が近付いたのを見やってから、葉巻をもう一度唇から離したクロコダイルの口元が、わずかににやりと歪む。

「褒美をくれてやる」

 低く言葉を零して、嗅ぎなれてしまった煙草の匂いがする唇へと噛みつくように接触した。
 気まぐれにクロコダイルが持ちかけた『働きの褒美』へ、『親愛のキスをさせてほしい』なんていう何の価値の無いものを強請ってきたナマエに、『まさかてめェの部下にもそんな気色悪いことをやっていたんじゃねェだろうな』とクロコダイルが唸ってしまったのは記憶に新しい。
 不思議そうにしながらそれを否定したナマエは、自分の言葉が元いた『組織』の命運を分けたことなど知らないだろう。
 褒美はそれ以外にはいらないと言ったナマエを、クロコダイルは拒絶出来た筈だった。ナマエ自身も恐らくそう思っていただろう。つまり、『褒美なんていらない』という簡単な回答だったのだ。
 だというのに、どうしてかあれから月に一、二回ほど、クロコダイルはナマエの唇を頬へと受け入れる羽目になっている。
 ふざけた話だが、いいぞとクロコダイルが許可を出した時にナマエがわずかに表情を崩したのだ。
 それ見たさに許可を出していることなど、ナマエもさすがに気付いてはいないに違いない。
 つまり、あれもこれもただの『嫌がらせ』なのだ。
 己へそう結論付けて、クロコダイルは合わせた唇から舌を差し入れた。
 びく、とわずかに反応したナマエに機嫌を良くし、そのまま好き勝手にして、目を瞬かせていたナマエがそれに応じたところで、さっさと顔を離す。
 ついでに軽く突き飛ばしてやると、ついに哀れな布が音を立てて裂け、クロコダイルの鉤爪から逃げ出した。
 わずかにたたらを踏んで後ろへ下がったナマエを一瞥して、クロコダイルの手が葉巻をつまみ直す。
 それをそのまま口に咥えなおそうとして、それから唇に残っている煙草の味にクロコダイルが動きを止め、僅かな煙を零すそれを眺めてから灰皿へと置いた。
 その流れで紅茶の入ったカップへ触れて、またも一口を飲んだところで、佇んでいたナマエの方から、小さく笑い声が零れる。
 はは、ともふふ、とも言い難い、噛み殺そうとしても出てきてしまったようなそれに気付いてクロコダイルが視線を戻すと、片手で自分の口元を覆ったナマエが、しかしまぎれもなく笑みをその顔に浮かべていた。
 どうやら、クロコダイルの『嫌がらせ』はまるで効果が無かったらしい。
 それどころか楽しまれてしまったらしいと把握し、顔色のまるで変わらない男を睨んだクロコダイルの傍で、破れた服もそのままに、ナマエが言葉を口にする。

「こんなご褒美を貰えるんなら、また頑張って紅茶を用意しないとな」

「……馬鹿か、てめェは」

 どことなく楽しげに聞こえた言葉に、それより働きで成果を出しやがれとクロコダイルは呆れ声で言い放ったのだった。



end


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