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貴方を傷つけないと決めている
※間接的に殺人行為有につき注意



 クロコダイルから見て手乗りの大きさだった俺の体が、一部屋に収めるのが難しくなったのは、俺がクロコダイルに飼われて一年経たない頃だった。
 最近の体の成長は緩やかになったが、まだ止まる気配を見せない。本当に、『バナナワニ』というのは大きな種類であるらしい。
 それにしても、『バナナワニ』というのが海を泳げる鰐でよかった。
 そうでなかったら、俺は多分、あちこちで置いてけぼりを食らっていたことだろう。

「ぐるるるるらァ!!」

 そして多分、こうやってクロコダイルを助けることだって、出来なかったに違いない。
 大きく開いた口で一噛み、齧りついたのは今まさにクロコダイルを大きな船へと連れていくところだった小舟だった。
 ぎゃあ、だのわあ、だのと海賊なのか海兵なのかも分からない他の乗組員が悲鳴を上げているが、今の俺にとってはどうでもいいことだ。
 ただ一人、明らかに罠にはめられたとしか思えない姿で拘束されているクロコダイルだけが視界にあった。
 何があったのかとか、あれだけ周囲を信用しないクロコダイルがどうして罠にかかってしまったのかとか。
 ほんの少しの疑問はあったけど、しかしそれより何よりも、クロコダイルが危険にさらされている、という事実が俺を突き動かしていた。
 大きく開いた口でクロコダイルごと船を齧り取ったのは、今すぐこの場所を離れたかったからだ。

「おい、ナマエ」

 俺の口に収まる直前、声を上げたクロコダイルが傍らを指差したので、そちらまで巻き込むようにしてもう一噛みしてから、船を完全に破壊する。
 俺がかじりとりはしなかったが、他の乗組員たちは全員海に投げ出されてしまったことだろう。このあたりの海王類が、それに気付いて近寄ってきたのが見えた。せいぜいそいつらの餌になってしまえばいい。
 口の中に水が入る可能性は高かったが、出来る限り口を閉じてそのまま泳ぎ出した俺は、一番近かった島の、あの大きな船からは見えなかった場所にある入り江へと乗り上げ、周囲に人の気配がないことを確認してからすぐに口を開いた。
 ごろり、と口の中から出てきた大量の船の破片と共に、クロコダイルが砂浜へと落ちる。

「……ハッ 乱暴な救出だ」

 低い声でそう言いながらむくりと起き上がったクロコダイルは、顔に殴られた後を残したままで、その両手を拘束されていた。
 クロコダイルは自然系能力者なのだから、そんな風に拘束されることだって、顔に傷を残したままでいることだって、普通では考えられない。
 まさか、その手錠は海楼石の手錠なんだろうか。
 だとすれば鍵が無いとどうにもならないのではないか、と慌てた俺の傍で、クロコダイルは慌てず騒がず軽くその両手を動かした。
 それと同時に、ざらりとその腕が崩れて、両手を拘束していた手錠がぼとりと砂浜へと落ちる。

「…………がる?」

 あれ、と目を瞬かせた俺の前ですぐに消えた腕を再生させたクロコダイルは、顔を軽く拭うような仕草をして、まるで何事も無かったかのようにその顔から傷を消してから、ゆっくりと立ち上がった。
 それから周囲を確認して、俺が吐き零した船の残骸達へと近寄り、そこから何かをゆっくりと引きずり出す。
 出てきたものは小さな箱で、クロコダイルの片手がそれに触れて箱を砂に変えると、中から歪な姿の果物が出てきた。
 ふわりと漂った甘いにおいが食欲をくすぐるが、どうにも禍々しい。美味しくはなさそうだ。何の実だろう。
 いや、今はそれより、クロコダイルの先ほどの行動の方が問題だった。
 そっと顔を砂浜へと乗せて、先程クロコダイルがその腕から外した手錠に触れる。
 硬いが、ただそれだけだ。
 不思議に思って何度も顎でつんつんとつついていると、俺の仕草に気付いたクロコダイルが、手に入れたものを鉤爪の腕で抱えたまま、俺がつついている手錠を拾い上げた。

「見た目さえ同じならそれが海楼石だと疑いもしねェ、馬鹿な野郎どもだ」

 言葉と共にその手が少し強く握りしめると、石造りのそれがざらりと音を立てて砂になる。
 足元の砂に混ざってしまったそれを見おろし、片足でそれを踏みにじったクロコダイルは、腕に抱えた果物を軽く指で擦って、何処となく満足そうな顔をした。
 その様子に、なるほど、と理解して、俺は一度海を見やる。
 夜らしく月が海を照らす風景は美しかったが、あの大きな船の姿はそこには無かった。回り込んで来たのだから当然だ。
 どうやらクロコダイルは、その手元のおかしな果物を手に入れる為に、あんな無茶をやらかしたらしい。
 それだったらいつものように殺してでも奪い取ればいいのに、と首を傾げた俺を見やり、ちょうどいい機会だったからな、とクロコダイルが呟いた。

「何人か部下を巻きこんだが、まァ向こうに金を握らされた連中も一掃出来たんだ、悪くねェ取引だった」

「ぐる……」

「お前の働きで連中を殺す手間も省けたしなァ、ナマエ」

 ご苦労だった、と呟いたクロコダイルの声に視線を向けると、こちらを見やったクロコダイルが片手で崩れた髪を軽く掻き上げて、取り出した葉巻を口に咥える。
 優雅な動きと機嫌のよさそうなその顔に、どうやらクロコダイルは全て想定していたらしい、と把握して、ぐるるると俺は小さく唸った。
 俺が助けに行くことだって、想定内だったと言うことだろうか。
 海に混じった血の匂いがクロコダイルのものだと気付いた時、どうしようもなく慌てて焦ったと言うのに、まるでその手の上で踊らされた気分だ。
 どうせなら、殴られないようにしたって良かっただろうに、それも『海楼石で無力化』しているというパフォーマンスの為だろうか。けど、偽物の海楼石なんてどうやって相手の手に渡したのだろう。
 疑問は尽きないが、鰐の身で訊ねても答えを得られないことはすでに知っている。
 何にしても、クロコダイルがいなくならなくて良かった。
 ほっと息を吐き、いつもの通り火をつけようとしている様子を見ながら、そうか、と胸の内で呟いた俺はもう一度海を見やった。
 相変わらず、海には何もない。
 俺が沈めたあの小舟の乗組員たちは、恐らくは助からないだろう。俺みたいなまだまだ子供の域を出ないバナナワニにですら応戦できなかったのだ、船の破壊に気付いて近寄ってきていた海王類たちに対応できるとも思えない。
 だとすれば、俺は確かに、あの人間達を『殺した』のだ。

「…………ぐるるる」

「どうした? ナマエ」

 少ししけってしまっていたらしいマッチからようやく火をうつし、吸い込んだ煙を零したクロコダイルが、唸った俺に気付いてその鉤爪の背中で俺の口の端辺りを擦った。
 撫でるような仕草を受け止めて、もう少しだけぐるぐると唸りながら、砂の上に腹ばいになる。
 それを見て、ひょいと俺の上に乗ったクロコダイルが、そのまま俺の頭の後ろ側に腰を落ち着けた。砂の上に座ったら体が汚れてしまうだろうから、それを嫌ってのことだろう。
 伸ばした手に今度は眉間のあたりを撫でられて、その心地よさに目を細める。
 この体に生まれて、まだ一年も経たない。
 だというのに、どうしたことだろう。

「ぐるるる」

 クロコダイルを助ける為とは言え人を殺したはずなのに、罪悪感というものがまるで湧かなかった。
 それどころか一瞬『良かった』と思ってしまったのは、多分確実にクロコダイルの敵が減ったのだと感じたからだ。
 俺は普通の日本人のつもりだったけど、もしかしたらサイコパス的な要素を持った人間だったのだろうか。
 それとも、例えば生肉を美味しいと思えるようになったみたいに、これも『バナナワニ』として生まれたがためのことなんだろうか。
 誰かに聞いてみたかったが、聞く相手も見つけられない。
 ただ受け入れることしか出来ないらしい感覚は恐ろしいが、撫でてくれるクロコダイルの掌を受け入れると、どうでもいいことのように思えるから問題だった。
 腹這いになったまま、自分の心が分からなくなって目を閉じた俺の上に座り、クロコダイルはそこでしばらくの休憩を取っていた。
 どうやら手に入れたその果物は『悪魔の実』だと言う話で、食ってみるかとクロコダイルがこちらへ差し出したが、それを食えば泳げなくなることは分かっているから俺はそれを拒否することにした。
 だって泳げなくなったら、間違いなくあちこちで置いてけぼりを食らうのだ。
 たとえクロコダイルの手の上で転がされているのであっても、クロコダイルが今回のような目に遭っているのに助けに行けなかったりなんかするのは嫌だった。
 クハハハハと笑ったクロコダイルが機嫌を損ねなかったのは、俺が拒絶すると分かっていたからかもしれない。



end


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