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恋と言うのは
※主人公がバラされるので注意




 うざったい程女々しく落ち込んでいた自信が、ナマエにはある。
 しかしそれは相手を選んでのことだったのだ。
 さすがに事情を知らないクルーへそれを吐き出すわけにもいかないから、ナマエがそうやって落ち込んでみせるのは、頬を張られたナマエを目撃したシャチの前だけだった。
 落ち込んだ情けない顔なんてペンギンにだって見せたくないものなのにシャチには見せてしまったのは、ナマエがしたカミングアウトを案外あっさりとシャチが受け入れてしまったことにもあるかもしれない。
 軽く背中を蹴飛ばして、けれども『勝手にしろよもう』と放り出すことも無く話を聞いてくれるシャチは、とてもいい友人で。

「…………さっきから聞いてりゃあ、うじうじうじうじと腐ったことを言いやがって」

「あ」

 まさかものがひしめく倉庫の中で、物陰から盗み聞きをされていた挙句、その人が出てくるだなんて思わないではないか。
 うぜェ、と低く唸ったトラファルガー・ローの眼光は鋭く、そしてナマエの体は自由を失った。







「よ……っと」

 ずり、ずり。そんな音を立てて床の上を這いながら、ナマエはふうとため息を零した。
 両手も両足も失ってなお生きているというのは、何とも不思議な気分だ。
 這う床はそれなりに汚れていて、誰だこの区域の当番は、なんてことを考える。
 トラファルガー・ローによってなされた攻撃は、ナマエの体から四肢をもぎ取った。
 その上で潜水艦の何処かへ隠されてしまった四肢を求めて、ナマエは今床を這っているところだった。
 探してきてやるからとシャチは言ったが、そのまま『船長』に捕まって連れていかれてしまったのを目撃したナマエが、大人しくシャチを待っているわけにもいかないのだ。
 何処かに突如として現れた四肢に驚いた誰かが『持ち主』を探すにしても、倉庫の端にいるのでは見つからない。
 とりあえず、ナマエの両手両足を誰かが触った感触は確かにあったので、そのうち合流できるだろう。
 それにしても、四肢をもがれて移動すると言うのはとても疲れる行為だな、とナマエは思った。
 何度かバランスを崩して頬をぶつけたし、ひょっとしたら擦り傷がついてしまったのか、頬骨の上のあたりが少し痛い。
 流石に床を這う姿を色んな人に見られるのはいやなので、早めに両足が見つかるといいなァ、なんてことを考えながら更に体をくねらせて移動しようとしたところで、からから、と続いた物音に気が付いた。
 おや、と顔を上げようとして失敗したナマエがそのまま床に伏したところで、慌てたようにその物音が近づいてくる。
 後ろに誰かの足音が続いていて、そしてそれがナマエのすぐそばで動きを止めた。

「……何をしているんだ、ナマエ」

「あ」

 そうして落ちた声に、それが『誰』なのか気付いて、ナマエの体がびくりと震える。
 それから慌てて顔を上げ、ナマエはそこにいる誰かの顔を確認した。

「……ペンギン」

 呼びかけた先で、特徴的な帽子をかぶった誰かさんが、わずかに怪訝そうな顔をしている。
 目を眇めたそれは少し怒っているようにも見えて、その様子にいつだったかのペンギンの宣言を思い出したナマエは、四肢をもがれた体をくねらせた。

『…………しばらく、おれに近付くな』

 頬を張られたあの日から、そろそろ二週間になる。
 泣きそうな顔で吐き捨てるような声を出したペンギンの言う『しばらく』とは、一体どのくらいだろう。
 今近付いてきたのはペンギンの方からだが、ナマエがわざと近寄らせたのだと思われたら、更に嫌われやしないだろうか。
 そんな考えと共にもぞりと逃げの姿勢に入るものの、四肢を失った体ではどうにもならない。
 ナマエのそんな動きに少しばかり顔をしかめ、それから何かを堪えるようにため息を零したペンギンは、その場にひょいと屈みこんだ。

「そんなに床を這いたいのか」

「あ、いや」

 問われた言葉に首を横に振ったところで、ペンギンの手がナマエの体に触れる。
 抵抗の一つも出来ない体を起き上がらせたペンギンにぱちりと瞬きをすると、そんなナマエを見やったペンギンが台車の上に手を伸ばした。
 ペンギンが押してきたカートの上には黒い布が掛かっていて、伸ばした手が退けた先にあったものに、あ、とナマエが声を漏らす。

「俺の腕と足」

「片方ずつだけどな」

 ナマエの言葉にそんな風に言い放ち、ペンギンは先に掴んだ足をナマエの体へと押し当てた。
 先に左足が、その次に左腕が返ってきた自分の体を見下ろして、おお、とナマエが声を漏らす。
 それから笑顔を浮かべて、ナマエはペンギンを見やった。

「ありがとな、ペンギン。あと二つは何とか自分で」

「歩けもしないくせに、馬鹿を言うな」

 放たれた言葉にペンギンが言い放ち、その手がもう一度ナマエの方へと伸びてくる。
 その様子に驚き、身を引こうとしたナマエは、しかしどうにもできずにペンギンに捕まった。
 ずり、と引きずられて台車の上へと転がされ、その上からばさりと黒い布を掛けられる。
 つい先ほどのナマエの腕と足がそうだったようにカートの上へと転がされ、ペンギン? とナマエが呼びかけると、視界を覆う黒い布の向こう側から声がする。

「顔、擦り傷が出来てる」

 治療しに行くから大人しくしろ、というペンギンからの言葉に、ナマエは分かった、ととりあえずは頷いた。







 まるで死体置き場で働く人間のように機械的に、四肢の二つを失ったナマエをペンギンが届けたのは医務室だった。
 柔らかなベッドの上まで無理やり引き上げられて、現在のナマエと言えば白いベッドの上に座り、同じようにベッドへ座っているペンギンが自分の方へ手を伸ばしている様子をじっと見つめている有様だ。
 まだまだ人数の少ないハートの海賊団には『船医』に決まった役職の人間がいない。
 大きな怪我を直すのはもっぱら『死の外科医』と呼ばれつつあるトラファルガー・ローだが、ただの擦り傷で彼の手を煩わせるわけにもいかないからと、医務室は誰にだって入れる開けた場所だった。
 もちろん、昼寝の場所にした場合には制裁が待っているのでそんな馬鹿はいない。
 小さな室内はナマエとペンギンの二人きりで、それに気付いてしまった自分にため息を零したいのを抑えながら、ナマエは改めてペンギンを見つめた。

「痛い、痛い痛いペンギン、もっと優しくしてくれ」

「男なら我慢しろ」

 軽口を交わしながらも丁寧に、そして少し慣れた手つきでナマエの顔の傷を消毒しているペンギンの顔はいつもと変わらず、あの日の悲しそうな様子すら見当たらない。
 これは、もうナマエの『告白』のことは無かったことになっているのだろうか。
 そんなことを考えてみて、ナマエは自由のきく手で軽くシーツを握りしめた。
 ペンギンが乱入してきたあの日、ナマエはシャチへ、『ペンギンへの告白の練習』をさせてくれと強請っていた。
 それを聞き、『しばらく近付くな』と言い放ったペンギンの言葉は間違いなくその『練習』に対しての答えで、すなわちナマエにとっては失恋したことに他ならない。
 きっとナマエを幼馴染としてしか見れないペンギンが、心の整理を付ける為に必要な期間だったのだ。
 そう思い込むように頑張りながら、それでも間違いなく嫌われたのだろうと思っていたのに、顔を消毒してくれるペンギンの手つきはよどみなかった。

「……よし、これでいい」

 最後に薄いガーゼを貼りつけ、そんな風に言い放った相手に、ナマエはわずかに強張っていた体から力を抜いた。
 動かせる左手でそっと自分の頬に触れて、ありがとな、ともう一度目の前の相手へ礼を言う。
 それから、使用した道具を片付ける為に立ち上がったペンギンへ、あ、と声を漏らして言葉を紡いだ。

「もし戻るんなら、途中でシャチがいたら俺は医務室にいるって伝えてくれよ」

 倉庫から医務室までは少し離れている。
 シャチが例えばどこかでナマエの手足を見つけたとしても、すぐにはナマエの元へ返しに来ることが出来ないだろう。
 そう考えてのナマエの言葉に、道具を片付ける途中だったペンギンの動きが止まる。
 それから、ゆっくりと振り向いて、彼の目がナマエを見た。

「……シャチに?」

 低く問いながら、片付ける途中の道具を放置して、ふらりとペンギンがナマエの傍へとやってくる。
 近寄ってきた相手を見あげる格好になりながら、どうしたのだろうかとナマエはわずかに瞬きをした。
 そんなナマエを放っておいて、ベッドの傍へと戻ったペンギンが、片腕と片脚しかないナマエを見下ろす。

「どうしてシャチなんだ」

「いや、さっき俺の手足探してくるって言ってたから、もし探してくれてたら俺の居場所知ってる方がいいだろうし」

 実際のところ、シャチを連れて行ったトラファルガー・ローがシャチを解放しているかどうかも分からないのでただの希望的観測だが、言い訳のようなそれを口にしながら、ナマエはわずかに体を後ろに逸らした。
 何故なら、ペンギンが少しばかり身を屈めてきているからだ。
 近くなった顔に、いつもなら手を伸ばして口づけの一つでも贈るところだけれども、『近付くな』と言っていたペンギンの声が頭の中を回ってそれもままならない。
 ここで選択を間違えれば、今度は『しばらく』ではなくて『一生』になるかもしれない。
 それは絶対に嫌なのだ。
 そんなことをナマエが考えているなんてことは考えも及ばないのだろう、更に身をかがめたペンギンの手がナマエの体に触れて、ベッドの端に座る格好だったナマエの体を後ろ向きに押しやる。

「うわっ」

 驚いて声を上げ、堪えようとしたものの更に押し込む力に負けたナマエは、そのまま真後ろに倒れ込む格好になった。
 白いシーツを敷いたベッドがぎしりとわずかに軋んで、痛ませることなくナマエの背中を受け止める。
 慌てて起き上がろうにも、ベッドへ乗り上げたペンギンの顔が真上にあっては、ナマエにはどうすることも出来ない。

「ぺ、ペンギン……?」

 一体どういう状況なのだろうかと、ナマエは目を白黒させながら声を漏らした。
 これではまるで、ナマエがペンギンに押し倒されているかのようだ。
 かつての『練習』を思い出すと、わずかにじわりと体が熱くなった気がして、ナマエは自由になる片腕でペンギンの腕を掴まえた。
 どいてくれ、と口から出しかけた言葉を、しかしナマエの唇がしまい込む。

「……おれには、頼らないのか」

 何故なら目の前のペンギンが、とても寂しそうな顔をしていたからだった。



end


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