常世の国 (3/3)
※
結局、初日のナマエは何も不審な行動をとらなかった。
「あれ、ペンギンさんもここで寝るんですか」
「お前の見張りだからな」
ともに倉庫へ戻ったペンギンへ不思議そうな顔をしたナマエに、ペンギンがそう返事をする。
大変ですね、とまるで他人事のように言いながら、ナマエはもぞもぞと毛布を体に巻き付けた。
床に身を横たえたナマエを見やり、同じように体を横にしたペンギンが、ランタンの明かりを消す。
「おやすみなさい、ペンギンさん」
「ああ」
寄越された言葉にペンギンが返事をすると、暗闇の中でナマエが少しばかり身じろいだ。
暗がりの中で気配を探るが、どうやら立ち上がろうとしているとかそう言うことではなく、寝やすい体勢を取ろうとしているようだ。
何かあれば対応できるよう、毛布の中で少しだけ身構えながら目を閉じようとしたペンギンの耳に、ペンギンさん、と暗がりの向こうからの呼び声が届く。
ペンギンは返事をしなかったが、寝息が聞こえないことに気付いているのだろう、顔をペンギンの方へ向けたらしいナマエが言葉を続けた。
「今日はありがとうございました」
「…………」
「海賊団って怖い人ばっかりかと思ったらそうでもなくて」
「……」
「楽しかったです」
ペンギンが答えを寄越さないことなど気にした様子もなく、ナマエは言った。
静かな暗闇の中に声が消えていくのを追いかけて、やがて仕方なくペンギンが口を動かす。
「……ナマエ」
呼びかけた先で、はい、とナマエが返事を寄越した。
それを耳で拾い、体は横たえたまま、ペンギンが口を動かす。
「お前は、どこの誰だ」
放った台詞は、ペンギンが昼間にこの倉庫で、ナマエに放ったものと同じ言葉だった。
あの時は結局名前しか名乗らなかったナマエは、その後のトラファルガー・ローの問いかけにも、ただ『ニホン』という島から来た人間だとしか言わなかった。
その言葉が嘘だと言うことくらい、横で見ていたペンギンにだって分かるのだ。恐らく、ナマエの心臓を手中に収めたトラファルガー・ローも気付いている。
だから改めて尋ねたペンギンに、もぞり、とナマエが身じろいだ。
えっと、と小さく漏れて聞こえた声に、ごまかしはいらない、とペンギンが言葉を放つ。
それを聞き、少しだけ息を吸い込んだナマエが、それから小さく言葉を吐き出した。
「……ペンギンさん、死後の世界って信じますか?」
「何の話だ?」
唐突に寄越されたその言葉に、ペンギンが眉を寄せる。
見えてはいないだろうが、声に孕まれた苛立ちを聞き取ったのか、ごめんなさい、とナマエが慌てたように謝った。
それでも自分の言葉を撤回するつもりはないのか、ただその口が言葉を零す。
「俺、死んだ筈なんです」
そうして寄越された言葉は、ペンギンの目を見開かせるに値するものだった。
しかし暗闇の中では、言葉を零すナマエの顔すら確認できない。
「何にも楽しいこととか良いこと無かったなあって思って。一回くらい楽しいことあればよかったのになあって思ったら、ここにいて。まさかワンピースとは思わなかったんですけど」
どうしてかひとつなぎの大秘宝の名前を口にしてから、暗闇の中でナマエが小さく笑い声を零した。
「だから、楽しかったです」
囁くように、そんな風に言葉が落ちる。
たった一日海賊の中で過ごしただけで、しかも面倒な雑用をあれこれとやらされただけでそんなことを言うナマエに、意味が分からない、とペンギンは言葉を零した。
ナマエの言葉は、まるで真実味が無かった。
嘘に違いない、と思うのに、その声は穏やかで、顔を見ることが出来ないペンギンには嘘のようには聞こえない。
毛布の中から手を伸ばして、ペンギンはランタンを掴まえた。
火を消したばかりの火屋が熱いのを無視して、中へ火を入れて灯りをともす。
「おい、ナマエ……、……!」
そうして、言葉を投げながら視線を傍らへ戻したペンギンは、そこがもぬけの殻であることに目を見開いた。
つい先ほどまでそこにいたはずのナマエの姿が、どこにも無いのだ。
ただ一つ、つい先ほどまで誰かが寝ていたかのように乱れた毛布がそこにあるだけで、ほかには影も形もない。
ペンギンに気付かせないうちに抜け出したのかと周囲を見回しても、ペンギンの視界にはただ人のいない倉庫があるだけだった。あまり物の無いそこには、人が一人潜めるだけの影もない。
「……ナマエ?」
呼びかけても返事をもらえないまま、奇妙な侵入者は姿を消していた。
※
「消えた?」
「はい……」
まだ起きていた船長へ報告すると、ぽい、と手元の本を放ったローが、頬杖をついてペンギンを見やった。
その顔には明らかに『つまらない』と書かれていて、自身にはどうしようもない出来事であっても、すみませんでした、とペンギンには頭を下げる他が無い。
あれから一人で倉庫を探し回ったが、やはりナマエの姿はどこにも無かった。
やってきたときと同様に、何の兆候もなく姿を消したのだと言うのが、ペンギンの出した結論だ。
恐らく同じように考えたのだろう、何かを考えるようにその手をチェストへ伸ばしたローが、そこにあった戸棚を開いてから、わずかにその顔に笑みを浮かべる。
「まァ、戻ってくるだろ」
「え?」
「忘れモンがあるからな」
言いながらローが取り出した物に、顔を上げたペンギンは目を丸くした。
ローの手の上には、この船に乗ってから時々見るようになった生々しい臓器が一つ、脈打ちながら存在しているのだ。
心臓に名前など書いているはずもないが、ローのその笑顔と言葉の意味を考えれば、持ち主が誰なのかは簡単に分かる。
「……それは、」
「ほらよ」
言葉を零しかけたペンギンへ向けて、ローがぽいと手元のそれを放り投げた。
思わず手を出してしまったペンギンの手の上に、とすりと心臓が着地する。
「な、何するんですか!」
落としてしまったらどうするつもりだと慌てた声を出したペンギンに、ローが楽しげな顔をした。
にやにやと笑いながら、なんだ、とその口から言葉が落ちる。
「情が移ったのか、ペンギン」
お前にしちゃあ珍しいな、と離れた言葉に、ペンギンはわずかに息をつめた。
それから、そっと両手で心臓を持ちながら体勢を戻して、そんなんじゃあありません、と小さく呟く。
見下ろした掌の上には、『ナマエ』の心臓が転がっている。
不思議なことに血液の一滴も噴きださないものの、脈打つその臓器は間違いなく今も役割を果たしていた。
それを確認し、暗がりの中でのナマエの言葉を思い出したペンギンが、帽子の下で眉を寄せる。
「……ただ、あいつの嘘を全部暴いてやらないことには、気が済まないだけです」
死んだと口にしたくせに、心臓が動いていると言うのはどういうことだ。
そんな思いで呟いたペンギンに、そうか、とローが適当に頷く。
「まあ、いい。それはお前にやる。あいつが戻ってきたら、おれのところまでつれてこい」
『ニホン』とやらの話も聞きてえしな、と呟いたローは、まるでナマエが戻ってくると確信を持っているようだった。
「うぐっ」
「いっ! あ、ああああごめんなさいペンギンさん……!」
そして、ローの言葉が正しかったのだとペンギンが理解したのは、治りかけたコブを強打された一週間後のことである。
end
←
戻る | 小説ページTOPへ