敗北の破綻(2/2)
※
ナマエが方向性を修正したのは、ペンギンから『練習』を誘われた数日後のうちのことだった。
久しぶりのペンギンはあまりにも麗しく格好良く可愛らしく、簡単に言えば逃がしてやることが惜しくなったのである。
もはや少女を篭絡しようと企む変態親父のような気持ちだが、致し方ない。
そして、体はともかく心まで手に入れるのだとすれば、ナマエがペンギンに惚れられる必要があった。
「どうすればいいと思う、シャチ」
「……おれは何で急にお前らのそんなカミングアウトを受けなくちゃいけねェんだ」
傍らへ向けて尋ねたナマエに、シャチがうんざりとした顔でそんな風に呟く。
話があるからと二人きりになれる場所へ引きずり込んだ友人は、ナマエと同じく床へ座り込んでいた。
片付ける為に運んでいた本の一冊を自分の体に立てかけるようにして壁を作ってきた相手に、安心してくれ俺のタイプはペンギンだけだから、とナマエが言うと、全く安心できねェよとシャチが唸る。
悲壮感のあるその顔に首を傾げて、ナマエが軽く肩を竦めた。
「お前だって、女ならどんな奴だっていいってわけじゃないだろ? それとも、犬や猫や魚でも雌ならそういう対象なのか?」
そんな幅広い嗜好だったならこちらこそ遠慮したい、とナマエがシャチと己の間に本を一つ立てると、ペンギン以外は動物扱いなのかよと呆れた顔をしたシャチの手がぱたりと立てたばかりの本を倒した。
それから仕方なさそうにため息を零して、その手が軽く頬杖を突く。
「それで、どうやってペンギンを落とすかって?」
「そう。どうすれば惚れて貰えるかなと」
「男が男に惚れる思考なんておれに分かるかよ……」
そんな風に言ってから、格好いいところ見せればいいんじゃねェの、とシャチはどうでもよさそうに呟いた。
適当すぎるその言葉を軽く吟味してから、うーん、とナマエが声を漏らす。
「船長より格好良くなれる自信がない」
「なんで船長と比べた」
「ほら、この前海軍をからかった時の船長が、最高に格好良かっただろ」
じろりと視線を向けてきた仲間へそう言って、ナマエは人差し指を立てた。
つい先日、トラファルガー・ロー率いるハートの海賊団は、海軍と一戦交えたのだ。
結果は海賊団の大勝利であり、相手をばらして勝ち誇るトラファルガー・ローの姿と来たら、一緒に乗っている仲間達から『かっこいい』と声援が上がるほどだった。
ああ、と声を漏らしたシャチもそれを思い出したのだろう、うんうんと納得したように頷いて腕を組む。
「まあ確かにあれは格好良かったな。さすが船長」
「ペンギンも目をきらきらさせててめちゃくちゃ可愛かった」
「それは知らねえ」
紛れ込むように言葉を述べたナマエへぴしゃりと言い返して、大体よ、とシャチがナマエの方を見やる。
「お前告白したんだろ? 脈あるかどうかも分かんなかったのか?」
「………………え」
まっすぐに寄越された意外な言葉に、ナマエはわずかに身を引いた。
その目が何かを思い返すようにきょどきょどとさ迷い、それからぼそりと小さな声がその口から漏れる。
「……してない……」
「はあ? してねェのかよ」
何だそれ、と呆れたような声を出して、シャチが軽く片手を振った。
しろよちゃんと、ペンギンだってそんなんじゃ惚れてくれるわけねェだろ。
案外しっかりと恋愛相談に乗ってくれている仲間の言葉がざくざくとのしかかってきて、気圧されるように身を逸らしたナマエが、そうか、と呟いた。
確かにシャチの言う通り、ナマエはペンギンに『好きだ』と言ったことが無かった。
可愛い、格好いい、そんな好意的な言葉ならいくらでも口にしたが、『好きだ』なんて言ってもペンギンが戸惑うだけだと思っていたからだ。
だがしかし、落とすと決めたならいっそ正々堂々、真っ向から言葉を放ってみるべきかもしれない。
そんな風に考え、拳を握ってから、しかしすぐにナマエの眉がへにょりと下がる。
「……言って、『やめてくれ』と言われたら俺は死んでしまう気がする」
「手ェ出せるくせにそこはヘタレなのかよ」
意味わかんねえ、とシャチが傍らで声を漏らしているが、小さな頃から継続して習慣化してしまった行動が『そういう意味』で行われているものだと知ってしまった時、ペンギンがどういう態度をとるのかはナマエには分からなかった。
男をそんな風に見ることはできない、なんて言って、ナマエの『練習』の誘いにも乗らなくなるのかもしれない。
それはそれで当初の目的を果たしたとみるべきかもしれないが、嫌われ拒絶される立場にはなりたくない卑怯者であるナマエには、何ともつらい展開だ。
大体、『好きだ』と言うだけで、ナマエのこの想いが伝わってくれるものだろうか。
ただそれだけでは伝わらない気すらする。
「いいからさっさと言ってこいよ」
ナマエのそんな不安など知らないシャチは、ぺち、と軽くナマエの背中を叩いてそんな風に促した。
まずは当たって砕けてみるべきだと続く言葉に、砕けることが前提なのかと呟いてから、ナマエの目がちらりと傍らを見やる。
縋るようなその眼差しに、ん? と声を漏らしたシャチが何となく身を引いたのと、そちらへ向けてナマエが口を開いたのは同時だった。
「練習させてくれ」
「イヤだ」
きっぱりとしたシャチの拒絶に、なんで、とナマエが悲しげな顔をする。
捨て犬のような顔になった相手を睨み、シャチは首を横に振った。
「フリでも、おれは男に告白されたくない」
「失敗しないよう、練習を重ねるのが大事だと思うんだ」
「だから知らねえっての。そういうのはぶっつけ本番だろ」
ずい、と身を寄せてくるナマエから身を引いて、シャチが言う。
逃げようとする相手を片手で掴まえて、ナマエは必死になって言葉を重ねた。
「なァ、ちょっとだけ練習させてくれって。頼むよ、この通り」
「だから、ヤァだって言ってんだろ」
迫るナマエへシャチがそう言い放ち、もう一度身を引いて立ち上がろうとしたところで、ばん、と大きく音を立てて倉庫の扉が開かれる。
それと同時に何かに強く頬を打たれ、ナマエは体勢を崩して床へと転がった。
慌てて起き上がり自分を攻撃した相手を見上げて、その目が丸く見開かれる。
「お、おい、ペンギン?」
困惑したように声を掛けているシャチの声にこたえることなく、じろりとナマエを睨み下ろした加害者が、低く言葉を吐き捨てた。
「…………しばらく、おれに近付くな」
苛立ちをあらわにしたその声音と裏腹に、今にも泣いてしまいそうなその顔に、ナマエの顔には焦りが浮かんだ。
「ぺ、ペンギン? どうしたんだ、待ってくれ」
思わず伸ばしたナマエの手が届く前に、顔を逸らした相手がそのまま目を逸らして倉庫を出ていく。
ナマエが立ち上がる前に遠ざかっていった足音に、ナマエはなすすべもなくその場に取り残されることになった。
じりじりと頬が痛い。
そして、それ以上に心臓が痛い。
「……びっくりした……おいナマエ、大丈夫か?」
ペンギンが去っていった方をしばらく見送った後で、そんな風に呟いたシャチがナマエの方へとそろりと近付く。
何か怒らせるようなことでもしたのか、と尋ねてくるシャチには堪えず、片頬を真っ赤にはらしたナマエは、はられた頬に片手をそえてから、それからほんの少しばかり息を吐いた。
悲しいのか、苦しいのか分からないくらいに心臓が痛い気がして、縋るようにその目がシャチを見やる。
「……どうしよう、シャチ」
ペンギンに嫌われたかもしれない、と呟くその声は、ほんの少しばかり震えていた。
end
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