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強制的休暇申請 (1/2)
※身体的退行注意







「…………ナマエ、これはどういうことかせつめいせんか」

 じろりとサカズキが見上げた先で、ええと、とナマエは呟いた。
 視線を送るサカズキの視線はとてつもなく鋭く、普段の姿であったならナマエは震えあがって必死に頭を下げていたに違いない。
 しかし今はそうでもない、という事実を見やり、サカズキの眉間に皺が刻まれた。
 先ほどまで丈の合っていた衣服がぶかぶかの状態でその肢体を包み、大きく開いた袖口からどうにか覗いている小さな手が握りしめた湯呑を、うんと手を伸ばして机の上へと移動させる。
 危なげなその動きに合わせてずれた帽子がぼとりと膝の上に落ちて、それを見やったサカズキの口からはとてつもなく不愉快そうなため息が漏れた。
 海軍大将『赤犬』とまで呼ばれる海兵は、今、その姿を随分と幼いものへと変容させていた。
 運ばれてきた茶をすすってからの事態である上、目撃している部下が全く慌てもしないのだから、間違いなくこの事態は目の前の男のせいである。
 鏡は手元にないが、己の体を見る限り、年のころは十より下と言った頃だろうか。
 記憶のかなたにおぼろげにしか残っていない自分の体を見やってから、もう一度部下を睨んだサカズキが、どういうつもりじゃあ、と言葉を紡いだ。
 それを受けて、原因の湯呑を運んできたトレイを抱えたままで、部下がぴんと背を伸ばして佇む。

「サカズキ大将に休暇をとって頂きたくて」

 言い放った男の言葉に、またそれか、とサカズキは目を眇めた。
 ナマエという名前のこの男は、サカズキが拾ってきた身元不明の男だった。
 グランドラインのどこから来たのかも分からない不審な男だが、サカズキが『海の屑』と呼ぶ海賊達の下からサカズキが助けた時に縋りつかれて、サカズキは今も彼を自分のそばに置いていた。
 恩に報いると言いたげに、ナマエは効率よく、とてもよく働く。
 その事務能力を買ったサカズキによって、今はサカズキの部下の一人として海軍の事務官をしているのだ。
 そんな彼が、サカズキの『休暇の取り方』について口出してくるようになったのは、ここ数か月のことだった。
 言われるほど休んでいないとはサカズキには思えないのだが、ナマエのおかしな常識によれば、できれば週休二日、無理なら週休一日をとれ、ということらしい。
 体を壊さないか心配だと言ってくる相手に、今までもこうだったのだから問題ないと答えたのはいつだったか。
 少しサカズキが知っている『常識』とずれているナマエは、ついに、実力行使に出ることにしたらしい。
 確かに、この体ではこれ以上の執務は行えない。
 机も椅子もペンもサカズキが『大人の自分』のために用意したものであるし、この体では海賊を狩りに行ったところで十分な殲滅を行うことは難しいだろう。

「わしになにをした」

 とりあえず椅子に深く座ったままでサカズキが尋ねると、一服盛りました、と悪びれた様子なくナマエが答える。
 その言葉に眉を寄せて、どこからそんなものを入手したのかと重ねて尋ねたサカズキに、ナマエは大将青雉と大将黄猿の名前を出した。

「先日、お二人に『サカズキ大将がなかなかお休みをとられない』という話をしまして」

「…………ほォ」

「そうしたら、ちょうどいいから試してみろと頂きました」

 ベガパンクの試作品らしいです、と続いた言葉に、サカズキはいらだち交じりに舌打ちを零す。
 いつだったか、自分と似たような事態を経験していた二人の同僚を思い浮かべた。
 きっと随分と楽しげな顔をして、その『薬』とやらをナマエへ与えたに違いない。
 彼らから寄越される食品には気を配っていたのだが、まさか部下が手ずから淹れた茶に混入されるとは思いにもよらなかった。

「………………あんのバカタレども……」

 思わず呟いたサカズキへ、体に異常は出ないと聞いていたのですが、と言い放って、ナマエが少し心配そうな顔をする。

「その……具合が悪くなったりはありますか?」

 何とも優しげな声だが、それならば最初からこんなことはしなければいいのだ。
 肩を竦めて、サカズキはひょいと椅子から降りた。
 ずるんと下衣とスーツの上着が床へ落ちたが、着込んでいたシャツが膝より下まで隠しているので気にしないことにして、大きくなりすぎた靴からも足を抜いて裸足で床の上に立つ。
 一緒に落ちた帽子を拾い上げて被り直し、シャツを引きずりながら机を迂回したサカズキは、そのままナマエに近付いて、じとりと部下の顔を見上げた。

「たいちょうはなんともなっちょらん。このかっこうじゃあ、なんもできゃあせんがのォ」

「強制的にでもお休みをいただくためですから」

 サカズキの返事に少しほっとした顔をして、ナマエが笑う。
 何を笑顔で言っているのかとそれを見上げて眉を潜めたサカズキの前で、ナマエがひょいと屈みこんだ。
 その手が抱えていたトレイをサカズキへ見せて、その上に乗っていた休暇届にサカズキは小さくため息を零す。
 書面上はすでにほとんど整っていて、あとはサカズキがサインをするだけのようだ。
 片手をマグマに変えてトレイごと休暇届を焼いてやろうかと少しばかり考えて、そんなことをしたところで薬の効果が切れるわけでも無いと判断したサカズキは、それから小さくため息を吐いた。
 サカズキがいつも使っている物よりずいぶんと小さいペンをサカズキへ向けて差し出しながら、ナマエが囁く。

「薬の効果は24時間ですし、今の書類はすべて明後日が締め切りですから、どうぞ。あ、ちなみに着替えはあちらに用意しています。三種類用意したので、お好きなのを着てください」

 言葉の後半でソファの方を指差されて、言われて見やったサカズキの視界に、畳まれて重ねられた衣類が見える。全く気付かなかったが、いつの間に用意したのだろうか。
 怪訝そうな顔をしながら、サカズキの小さな手がナマエからペンを受け取る。
 そうしてナマエが支える休暇届に自分の名前を記しながら、ふと気づいてその首が軽く傾げられた。

「……24じかん?」

 確か、まだ出来上がる薬の効果はまちまちで、ベガパンクはあれこれと薬の改良をし続けていると言っていた筈だ。
 クザンの時は随分と長かったし、ボルサリーノの時も二日か三日ほど戻るのに時間がかかっていた。
 それがどうしてそんな風に言い切れるのかと視線を向けた先で、ナマエが、あ、と声を漏らす。

「大丈夫です、確認済みですから」

「……は」

「この間、俺が長期休暇だった時に」

 言われて、そういえばつい先月、目の前の男が一週間ほどの休みをとっていたことをサカズキは思い出した。
 自分がいない間何が起きても他の者が対処できるようにと手を回していったらしく、普段と仕事の流れは全く変わらなかったが、横で休め休めと言ってくる相手がいなかったのは少し物足りなかった覚えがある。顔に出ていたのか、からかいに来たクザンやボルサリーノがうざったかった。
 そんなことも知らないナマエが、サカズキの前でへらりと笑う。

「さすがに、効果が詳しく分からないものをサカズキ大将に使うわけにはいかなかったので」

 あっさりとナマエはそう言うが、それで『何か』あったらどうするつもりだったのか。
 思わず厳しい顔になってしまったサカズキの前で、心配しなくても大丈夫でしたよ、とナマエはあっさりと言い放った。

「万が一何かあった時のためにクザン大将に付き合って貰ったんですが、責任取ってもらうような事態にもなりませんでしたので」

 あんまりにもさらりと寄越されたその言葉に、やや置いて言葉の意味を理解したサカズキが、少しだけ考えてから再び舌打ちを零す。
 先月の大将青雉のニヤつきを思い出すと、何とも腹立たしい。当然ながらボルサリーノも、わかっていてからかいに来ていたに違いない。

「…………なるほど、そのせいか」

 呟いたサカズキに、え? とナマエが声を漏らしたが、サカズキはそれ以上は何も言わなかった。
 その代わり、ペンで書類にサインを終えて、トレイとペンを丸ごとナマエの方へと押しやる。
 それを受けて休暇届を受け取ったナマエは、そのまま膝を伸ばして立ち上がり、今サカズキが仕上げた書類を執務机の上にトレイごと置いた。
 後で出してきますね、なんて言い放つ相手を見上げて、伸ばされたサカズキの手が部下の服をしたから引っ張る。

「ナマエ」

「はい?」

「その、くすり。まだのこっちょるんか」

 真下からの問いかけに、サカズキを見下ろしたナマエはぱちりと目を瞬かせた。
 それから何の疑いも無くポケットを探って、件の『薬』の入った瓶を取り出して見せる。
 どうやら水薬であるらしく、ガラス瓶の中には無色透明の液体が少しばかり入っていた。



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