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のどやかなる日々を (2/2)


 一ヶ月前のあの日、自分が『死人である』とイッショウへ告げてから、ナマエはイッショウに付き添うように中庭をでてくるようになった。
 『いつか成仏するまでイッショウさんに憑りついちゃいます』と寄越された冗談に笑いながら、イッショウも彼が自分の傍にいることを許している。
 演習や遠征にもついてくるようになったが、相変わらず、ナマエに気付けるのはイッショウだけであるようだ。
 時折イッショウが一人で書類を仕上げるようになったことに副官は戸惑った声を漏らしていたが、今のところの問題と言えば、イッショウの独り言が増えたとわずかに心配されていることくらいだった。

「イッショウさん、すごく大きい亀が歩いてますよ」

 傍らでそんな風に言葉を寄越されて、イッショウは通の端で足を止めた。
 亀? と声を漏らしながらわずかに周囲の気配を探って、確かに人ではない気配が道を横切っていくのを確認する。
 大きな気配の上に人が座っている様子も感じ取り、なるほど、とイッショウは一つ頷いた。

「人や荷物を運ぶわけで?」

「そうみたいですね。頭の上に御者の人が乗ってて、手綱引いてるみたいです。イッショウさんだって軽々乗れそうですよ」

「へェ……グランドラインにゃあ、面白い生き物がたくさんいやすねえ」

 あっしが乗れるんならサカさんも平気そうだ、と何となく呟いたイッショウに、海軍元帥が亀に乗るのはちょっとシュールだと思います、と真横でナマエが真面目に言い放った。
 しかし確かに、悪を憎み激しく正義をたぎらせるかの上官がゆったりと亀に揺られる様子は、イッショウにも中々想像出来ない。

「この島はあの亀が名物みたいですね。あっちこっちに、あの亀の形のお土産品があります」

 イッショウの横でイッショウに手を掴まれたまま、ナマエがそんな風に言った。わずかに身じろいでいるのは、きょろきょろと周囲を見回しているからだろう。
 その気配を感じつつ、頷いたイッショウも同じようにゆるりと周囲の気配を確認する。
 恐らく大通りなのだろう、歩き回る人間の多い往来は、しかしどこかでいざこざの起きている様子のない、何とも平穏な様子だった。
 空気が温いせいか、それとも島民達の雰囲気によるものか、何処となくゆったりとした時間が流れている。
 空から注ぐ太陽の日差しはじりじりと肌を焼いていくようだったが、今は日陰にいるのでそれも感じない。

「いい島ですねェ」

 日陰で呟いたイッショウに、そうですね、とナマエが傍らで同意した。
 イッショウには見えないが、穏やかな島の様子を、傍らの青年はその目に映していることだろう。
 指でたどったそれから想像する以外に、イッショウはナマエの顔を知らない。
 けれどきっと今、傍らの彼は微笑んでいるのだろうと考えながら、イッショウはナマエへ向けて言葉を投げた。

「どこかに土産屋はありやすか?」

「え? お土産ですか?」

「へェ。心配させた詫びに、甘いものでも買って帰ろうかと思いやして」

 ついでに、手土産があれば少し遅れても許してもらえるかもしれない。
 まだナマエと二人で島の中を歩いていたいと、そんな望みは口の端にも上らせずに言葉を紡いだイッショウに、全く気付いていないらしいナマエが『わかりました』と応じる。

「一番人気そうなお店探しますね、任せてください」

 言い放ち、ぎゅっとイッショウの手を握りしめたナマエへ、お任せしやす、とイッショウが頷く。
 それから、他の誰にも見えぬ供を連れて歩き出した海軍大将が軍艦へと帰ったのは、空から注ぐ攻撃的な日光が水平線の彼方に消え去った時間帯だった。
 いくら平和な島を散歩したとはいえ、随分な時間を潰して戻ったイッショウに、副官も最初は大変腹を立てていたらしい。
 しかし、イッショウが手土産を渡したところで、部下のその態度は急激に軟化した。
 イッショウがナマエに勧められて購入した水羊羹は、どうやら随分と美味なものであったらしい。



end



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