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言うが負け (2/2)
 サカズキの中に芽生えた小さな疑問が解消されたのは、それから数か月ほど後のことだった。

「サカズキ、そういやナマエがお前のことめちゃくちゃ大嫌いだって言ってたけど聞いた?」

 珍しく真面目に仕事をしていたらしい海軍大将青雉が、ひょっこりとサカズキの執務室へ現れて、相変わらずの覇気のない顔でそんな言葉を口にしたのだ。
 突然の暴露に妙な声を零したナマエのそばを通り過ぎて、近寄ってきた男が『はいよ』とサカズキへ向けて書類を差し出す。
 それを受け取ってやりながら、サカズキの目は立ち尽くして震えるナマエへと向けられた。
 驚きに目を見開き、わずかに青ざめてすらいるナマエの顔は、まるで今突然放たれた言葉を肯定するようなそれだった。
 『怯えられている』とは思っていたが、『嫌われている』とまでは考えたことが無かった。
 その事実に思い至り、サカズキはわずかに息をつめた。
 部下に好かれているという高慢な考えを持ったことは無かった筈だが、悪感情を抱かれていると想定していなかったと言う事実は、やはりただのうぬぼれだったに違いない。
 むしろ、怯えているナマエがサカズキを好いている筈がないのだ。
 わかりきった答えである筈なのに、まるで今まで思い至らなかった事実を目の前に突き出されて、サカズキはただナマエを見つめた。
 何かを言わなくてはならない。
 しかし何を言えばいいのか、と珍しく躊躇ったサカズキの方へ、慌ててナマエが近寄ってくる。

「嘘です! 嘘ですよサカズキ大将!」

 そして、どうしてか海軍大将青雉を押しやったナマエが、サカズキに対して必死にそう訴えた。

「あんなこと一言だって言ったことありませんから!」

「うん、そうね」

 ナマエの言葉を真正面から受け止めて、今日エイプリルフールだし、と続けた男の目が、ナマエを見下ろした。
 にやりと楽しげに弛んだ悪趣味な笑みに、サカズキの眉間にしわが寄せられる。
 同じように不快に感じたのだろう、何が楽しいんですかそんな嘘、と声を上げたナマエはサカズキともう一人の海軍大将の間に割り込んだ。
 サカズキをその小さな背中に庇うようにしながら、その手がしっかりと拳を握っている。
 嫌いじゃないですから、と放たれた言葉にわずかに目を見開いたサカズキの上に、ナマエの言葉が折り重なった。

「むしろ好きですからね! 大好きですから! お慕い申し上げてますから! 嫌いになる要素なんて一片もありませんから!」

「…………」

 必死になって重なる言葉は、どれも友好的なものばかりだ。
 真っ向から向けられたことの少ない言葉に、サカズキはわずかに息を飲んだ。
 机の下で握った拳が熱を持ちかけて、さすがに執務室での能力発動がまずいと言うことくらいは知っているサカズキの眉間のしわが深く刻まれる。
 小さく息を吐きながら、サカズキは目の前にある小さな背中を改めて見やった。
 まるで庇うようにサカズキの前に立ったままのナマエは、今どんな顔をしているのだろうか。
 大将青雉が鏡を持っていれば確認できたかもしれないが、残念ながらサカズキに妙な嘘を寄越しにきた海軍大将はそんなものなど手にしてはおらず、ただニヤニヤと楽しそうに笑うばかりだ。
 何がおかしい。
 そう唸ってやろうとして開きかけたサカズキの口を閉ざさせたのは、ナマエの重ねた言葉だった。

「サカズキ大将が何をしたって、絶対ですから!」

 サカズキの何もかもを肯定するのだと、そう言いたげに放たれた言葉に、握りしめられていたサカズキの指がわずかに緩む。

「ちょいと、そろそろ勘弁してやったら?」

「何がですか! 元はと言えばクザン大将が悪いんですよ!」

 サカズキの様子に気付いたらしい大将青雉が寄越した進言に、ナマエが更に声を高くしている。
 ああうんと不明瞭な声を漏らした海軍大将が能力を発動して、ぱきぱきと音を立てて部屋の中を氷づかせた。
 その範囲が及ばないのは、拳をマグマに変えてしまったサカズキの周辺だけだ。
 目で見て明らかな変化に気付かぬナマエが、慌てたような声を上げて大将青雉を非難している。
 それを聞いて適当にいなし、大将青雉はあろうことかくるりとナマエを振り返らせてしまった。
 サカズキの机周りだけが凍っていないことに、ナマエが目を丸くしている。
 それを見やり、それからサカズキがじろりと視線を向けると、大将青雉は軽く肩を竦めた。

「良かったね、サカズキ。『お慕い申し上げてる』らしいよ」

 明らかに笑いを含んだ声音に、自分が言った言葉を自覚したのか、ナマエの顔が赤く染まる。
 恥じらうようなそれは、先程の言葉が口から出まかせでは無いことを示していた。
 あの、と声を上ずらせたナマエの向かいでため息を零して、サカズキは彼から見えぬ場所でもう一度拳を握りしめた。
 マグマとなった拳から、真下へとしずくが落ちる。

「クザン、おどれ、後で覚えちょれ」

「もとはと言えばボルサリーノの発案だから。怒るんならあいつにしてくれねェかな」

 実行犯のくせにそんなことを言う海軍大将への返答は、サカズキの足元から響いた床の焦げる音だけだった。







『それじゃあ後は二人でごゆっくり』

 そんなどこかの仲人のような言葉を吐いて退出していった大将青雉を見送ると、部屋の中はサカズキとナマエの二人だけになってしまった。
 顔を真っ赤にしたまま、所在無げに佇むナマエに、サカズキの視線が向けられる。

「……ナマエ」

「は、はい!」

 呼びかけたサカズキに対して返されたのは、慌てたような返答と敬礼だ。
 恥ずかしいと前面に押し出した赤い顔を見やり、ようやくマグマ化の収まった両手を机の上へと置いたサカズキが言葉を紡いだ。

「わしが怖いか」

 真っ向から、改まったようにそう尋ねる。
 サカズキの問いに『え』と声を漏らしたナマエは、ぱちぱちと瞬きをしてから、敬礼を解いて首を横に振った。

「いえ、怖くありません」

 きっぱりとそう言って、その後で、あ、と慌てたように声を上げる。

「いえでも、すごくお強いし格好いいですから、俺は怖くないですけど、海賊達にとっては怖いと思います」

「……今ァ、海の屑どもの話はしちょらん」

 紡がれた妙なフォローにサカズキがわずかに声を低くすると、申し訳ありません、と慌てたようにナマエが謝る。
 それを聞きながら、サカズキは改めてしげしげと、目の前に直立している海兵を見つめた。
 困った顔をしていたナマエが、サカズキに見つめられていると気付いてその目を見つめ返して、それからやがて、恥じ入るように目を逸らす。
 その様子から、サカズキに対する悪感情は見受けられなかった。
 どうやら、『怖くない』と言ったナマエの言葉は真実であるようだ。
 それならば、怯えたように見えていたナマエの反応はどういうことなのか。
 必ずサカズキをその視界に入れたがるのは。
 サカズキが何かを求めれば、それを言う前にすぐさま応えようと努力するのは。
 サカズキを見つめて、サカズキがそれに気付くと目を伏せていたナマエは、今のような顔をしていなかっただろうか。
 思い返せば思い返すほど都合のいい方向にしか考えられず、それが何故かに気付いてしまったサカズキは、感じたこそばゆさに緩みかけた口の端を引き締めた。
 それから、ことの発端を引き起こした二人の海軍大将に、胸の内だけで悪態を吐く。
 これは、気付いてはならなかった感情だ。
 ナマエの為を思うなら、これだけ年が離れた同性に対する思慕など根絶やしにしてやった方が良いに決まっている。他者からの評価を気にしないサカズキと違い、ナマエは普通の感覚を持つ男なのだ。
 しかしそれでも、気付いてしまってはどうしようもない。

「ナマエ」

「はい」

 もう一度名前を呼んだサカズキに、ようやく少し落ち着いてきたらしいナマエが、幾分か穏やかに返事を寄越した。
 それを聞きながら、サカズキが口を動かす。

「わしに、何ぞ言いたいこたァありゃせんか」

「え……」

 言葉を放ち見つめると、わずかに目を見開いたナマエが、そわそわと身じろいだ。
 所在なさげにその目を彷徨わせて、わずかに顔まで赤く染めてしばらく沈黙した後で、恐る恐るとその口が開かれる。

「…………お……お飲み物、お持ちしましょうか」

「………………」

 そうして放たれた意気地の無い部下の言葉に、やや置いて頷いたサカズキは、その日の晩首尾を確認するために襲撃してきた海軍大将黄猿に、思い切り笑い飛ばされた。
 『君から言えばいいでしょうがァ』とはかの同僚の弁だが、サカズキは頷かず、『恥ずかしいのかァい』と更に同僚へ笑いを提供することになってしまったのだった。


end



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