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言うが負け (1/2)
※エイプリルフール小説『「嘘ですからね?!」』と同じ設定
※サカズキ寄り視点



 サカズキには、ナマエという名の部下がいる。
 どちらかと言えば貧弱で、しかし自分でそれを補う努力を怠らない彼は、かつて海の屑に飼われていた哀れな民間人だった。
 嗜虐的な海賊達にとってナマエを弄ることは娯楽の一つであったらしく、サカズキがナマエの『飼い主』である海賊共を焦した時の状況からして、あと十分も遅かったならナマエは死んでいたに違いない。
 元より民間人が囚われているという情報は海軍にはなく、サカズキはいつものようにただ海賊という名の屑を殺しにきただけで、ナマエの命を救ったのはただの偶然だった。
 むしろサカズキの攻撃は、一歩間違えればナマエをも巻き込んで殺しかねなかったものだ。
 だからこそ、だろう。
 何を思ってか海軍へと入隊し、その経歴からサカズキの傘下へと収まったナマエは、サカズキと相対するときの挙動がとてもおかしい。

「…………」

「あ、お茶ですか。俺が淹れてきます」

 す、とサカズキが身を起こしただけで反応し、すぐさまサカズキの机から湯呑を奪い取った男が部屋を飛び出していったのを見送って、サカズキの手がそっとペンを置いた。
 他の隊よりも仕事を回すことにせいを出す海軍大将『赤犬』の部隊には、様々な案件が回ってくる。
 サカズキの補佐をする副官が数日代わりの輪番を組んでいるのは、サカズキの仕事を円滑に回す補佐として走り回るからだ。
 その輪の中にナマエが加わったのは、もう数か月も前のことになる。
 必死に体を鍛えたのだろう、薄かった体は多少厚みを作っていたものの、やはりサカズキが保護することになった頃と大して変わらぬ貧弱さのナマエは、どうも事務仕事に長けているようだった。
 他の誰が補佐をする時よりも仕事が円滑に回っていることは、サカズキにも分かる。
 そして、余裕が出来ているからこそ、ナマエの様子がおかしいと言うことにも気付いたのだ。
 ナマエはあまり、サカズキと二人きりになることを好まないようである。
 背中を向けることも厭うらしく、ナマエが補佐をする時だけ、その机と椅子がサカズキに対して対面式に移動させられていた。
 ナマエは基本的にサカズキを正面に置いて、サカズキが少しでも違う動作をすればすぐに気付いて立ち上がり、先程のように対応する。サカズキが何を言わずとも完成した書類を持ち出して運んでいくし、茶を用意し、所用を片付ける為に執務室を出ていく。
 その目でじっとサカズキを見ていることも多く、そしてサカズキが視線を合わせると慌てたように目を伏せることもあった。

「……怯えちょるんか」

 やはり、と考えた言葉を口から漏らして、サカズキはわずかに眉を寄せた。
 考えれば無理も無い話である。
 あと二歩隣にいたならば、ナマエはサカズキがその手で殺していたのだ。
 幾度かサカズキについて遠征を行い、サカズキの掲げる徹底的な正義が何を巻き添えにしても構わぬものだと言うことも理解しただろう。
 貧弱なその姿に見合った優しげな顔をしたナマエには、少々苛烈であることはサカズキにも分かっている。
 いっそ異動させてやった方がいいのかもしれないが、ナマエの事務仕事に対する貢献を思うと、手放すことは惜しまれた。
 一番いいのはその怯えを取り除くことだろうが、怯える人間を相手に友好関係を築く術を、サカズキは知らなかった。
 目の前の悪が怯えようがその手で裁くだけのことだし、民間人に怯えられようが構うことでもないからだ。
 部下のうちでサカズキの正義に怯え、ついていけない者はさっさと袂を分かちよそへと異動していくのだから、それらを懐柔しようとしたこともない。
 どうしたものかとため息を吐いたところで扉が叩かれ、サカズキが『入れ』と言葉を投げると、サカズキの体躯に合わせた大きな扉が開かれる。

「お待たせしました」

 盆を片手に現れたナマエがサカズキへ対して敬礼し、それからその手で運んできた湯呑をサカズキの机の端へ置いた。
 それからそのまま机へと戻り、盆を自分の机の端に置いて書類の整理を再開する。
 手早く手元をさばいていくナマエから視線を外して、サカズキの手が湯呑を掴んだ。
 中身を啜れば、飲みやすい温度で淹れられた茶の心地よい渋みが口の中に広がっていく。
 半分ほど飲んだところで口元から湯呑を離し、サカズキがちらりと視線を向けると、いつの間にかサカズキの方を見ていたナマエが、慌てた様子でその目を逸らした。
 あたかも書き物に没頭しているような様子でペンを走らせているが、こちらの様子を気にしているのは見ていれば分かる。
 サカズキはそっと湯呑を置いて、それから何とも言えない気持ちで手元の書類を見下ろした。
 ため息を吐きたいところだが、部屋に二人きりの状態でため息など零しては、ナマエがどんな反応をするかも分からない。
 仕方なく書類へと没頭し始めたサカズキの顔に誰かの視線が軽く刺さったが、堂々巡りになることが分かっているサカズキはそちらを見なかった。







「オォ〜、そりゃァ可哀想だねェ〜」

 夕食時間を過ぎた頃、唐突に現れてサカズキの家で勝手にくつろいでいたサカズキの同僚が、酒の肴に零したサカズキの話にそんな風に声を漏らす。
 憐れまれたと感じてサカズキが眉を寄せると、こわい顔しなさんなってェ、と独特の間延びした言い方で客人が肩を竦めた。

「わっしが可哀想だって言ってんのは、ナマエくんの方だよォ〜」

 やれやれと言いたげなその声に、何を根拠に言うちょるんじゃァ、とサカズキの口から声が漏れる。
 確かに、その能力を買って部隊から離してやれないのはサカズキだが、そこを憐れんでいるということなのか。
 片手に猪口を持ったままで低い声を漏らしたサカズキに、笑った同僚が酒を注ぐ。

「だァって、結局サカズキが気に入ってんのは、ナマエくんの仕事の腕だけでしょうがァ〜」

 可哀想に、ともう一度憐れむ言葉を口にした男に、サカズキは更に眉間のしわを深くした。

「誰がそう言うたか」

「ン〜? 違うのかァい?」

 サカズキの言葉に首を傾げつつ、人の家へと押し入る際に持ち込んだ手土産を一つ口に放り込んで、サカズキの同僚がサカズキの向かいで頬杖をついた。
 殆ど年も変わらぬくせに、年上ぶった顔で『言ってごらんよ』と囁く相手に、サカズキの口からは舌打ちが漏れる。
 サカズキのそれを見やり、楽しそうに笑ったサカズキの同僚は、まァでもねェ、と軽く呟いた。

「怖がられても、別に仕事の能率が落ちるわけでもねェんなら、放っておけばいいよォ〜」

 気にしなくていい、と続いたその言葉に、分かっちょる、とサカズキは唸る。
 確かに目の前の不躾な客人の言う通り、サカズキに対して怯えているような反応を示してはいるものの、ナマエは真面目に仕事をこなしていた。
 彼が補佐をしている時のサカズキの仕事の回り方が一番早いことは、サカズキ自身がよく知っている。
 二人きりになることを好まない節はあるが、サカズキに近寄ることに怯えるわけでもなく、書類の受け渡しやそれ以外の仕事に問題があるわけでもないのだ。
 そこまで考えて、はた、とサカズキの多少酒の回った頭に小さな疑問が生まれた。
 サカズキがそこに思い至ったことに合わせるように、向かいの酔っ払いが口を動かす。

「それとも、ナマエくんがサカズキを怖がってて、何かサカズキに不都合でもあるのかァい?」

 サカズキの脳裏に閃いた小さな疑問をなぞるように放たれたそれに、ぴくりとサカズキの眉が動いた。
 見やった先の海軍大将は、やはり何とも楽しそうな顔をしている。
 悪戯でもしでかしそうなたちの悪いその顔に、やや置いて、サカズキの口からは溜息が漏れた。
 サカズキが人間関係を大して気にしていないことくらい、目の前の同僚はよく知っている。
 上へのし上がるためにひたすら力を振り回し、悪の殲滅に力を注いできたサカズキにとって、周囲の人間からの評価など些細なことだったからだ。
 なるほど確かに、それならナマエがどれだけサカズキを怖がっていようが問題はない筈だった。
 それで仕事に支障が出ているならともかく、ナマエはきちんと仕事をこなしている。サカズキには不利益などない。
 しかし、酒の入った頭でもあっさりと分かるそれに、サカズキのよく分からない何かが引っかかって邪魔をしている。
 しばらく考え、それから息を零したサカズキは、ひょいと目の前の男の手土産を口に運んだ。

「…………知らんわ」

「おやァ、そいつは可哀想だねェ〜」

 低く唸るサカズキの向かいで、今度は間違いなくサカズキを憐れんだらしい男が、くすくすと笑う。
 さっさと答えを吐けとサカズキが正面を睨み付けたが、海賊なら震えあがるだろう海軍大将赤犬の鋭い眼差しを受け止めても、目の前の男はただそれを受け流して笑うだけだった。







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