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のどやかなる日々を (1/2)
※『傍らの安寧』の続き
※イッショウさんは後天的に全盲と断定中
※がっつりと死にネタ
※名無しオリキャラが微妙に出現につき注意



「夏島だからですかね……すごく晴れてて、空も真っ青ですよ」

 イッショウの傍らで、ナマエが弾むような声でそう言葉を紡いだ。
 海の色より澄み渡り、白い雲と眩い太陽を並べて彼方まで広がっているだろうそれを想像して、へェ、とイッショウは軽く返事をする。

「本当に、天気がよくてようござんした」

 乾いた空気が鼻腔をくすぐる。雨の気配はしない。今日のこの夏島は、恐らく一日晴れたままでいることだろう。
 イッショウの言葉に、そうですね、と返事を寄越したナマエの方へ、軽くイッショウの袖が引かれる。
 それを受けてイッショウが足を踏み出すと、すぐ隣にイッショウよりずいぶんと小柄な青年が並んで歩く気配がした。
 目の見えぬイッショウを先導するように足を動かすナマエに合わせて、イッショウも片手で仕込み杖を操る。
 手に持ったものの先で足元を確かめながら歩むのは、光を失ってからイッショウが学んだ歩き方だ。

「イッショウさん、そこから坂ですからね」

「あい、わかりやした」

 寄越された言葉に小さく頷いたところで、ナマエの言う『坂』に差し掛かったイッショウの足先に力が入った。
 恐らく船から港へ降りる為のタラップだろう、吹き抜ける風には潮の匂いが満ちている。
 何処からかイッショウの姿を見つけたのか、大将、と慌てたように声をかけてくる海兵の声に気付いたイッショウは、その声がした方へ仕込み杖を持っていない手を向けた。
 袖を掴んでいるナマエの手がついてきたのか、多少重みを感じたが、全く問題はない。
 声と気配からしてイッショウの副官だったのだろう、イッショウの動きに合わせて駆け寄りかけていた足音が止むのを聞いてから、手を降ろしたイッショウが『坂』を下る。

「……イッショウさん、良かったんですか?」

 イッショウと並んで歩きながら尋ねてきたナマエへ、イッショウはもう一度頷いた。

「今日は、ナマエさん、あんたさんと出かけると約束しやしたから」

 軽く放ったイッショウの言葉に、そうですけど、とナマエが呟く。
 わずかに服を引っ張られ、それに気付いたイッショウがゆるりと手を動かすと、イッショウの袖口を掴んでいたナマエの手がその指に触れた。
 そのままイッショウがその手を捕まえると、戸惑ったように硬直していた掌が、やがて力を抜いて、イッショウの手を軽く捕まえる。

「……俺のことこんな風に触れるのだって、イッショウさんだけなんですから」

 零れた小さな声は、ただの事実だ。
 今、イッショウが感じている傍らの青年の気配は、イッショウにしか感じられない。
 手を触れることも、その声を聞くことも、イッショウにしか出来ないのだ。
 それがどうしてかと言えば、ナマエが只人ではないから、というその一言に尽きる。

「あの部下の人も、イッショウさんがまた一人でどこかの賭場に行っちゃうんじゃないかって心配しちゃいますよ」

「そりゃまあ、ナマエさん次第でしょう」

 隣から放たれた言葉に軽く笑って、イッショウはナマエの手を掴んだままで足をゆったり動かした。
 あまり長く感じなかったタラップを下り、『そこで坂は終わりですよ』と寄越された言葉に従って確認しながら足を踏み出せば、石の感触がする平地の感触が足裏に返る。
 周りは少々騒がしいようだが、港というものはそう言うものだろうと結論付けて、イッショウはそのまま適当な方向へ足を踏み出した。

「どういうところに行きたいですか?」

「ならまずは、人の多いところへ」

 訪れた島が平和かどうか確認するのなら、にぎわっている方向へ行く方がいいだろう。
 そう考えてのイッショウの言葉に、それじゃあ右の方へ行きましょう、なんて言ったナマエがイッショウの手を握ったままで軽く引く。
 それに合わせて歩きながら、イッショウは何となくぼんやりと、つい一ヶ月ほど前のことを思い出していた。







『イッショウさん。俺、実は死んでるんです』

 意を決したような声音で、ナマエがそう言葉を放ってきたのは、とある日の昼下がりだった。
 海軍本部にいくつかある中庭のうちの一つで、イッショウが彼と過ごすようになってどれほどの時間が過ぎただろうか。
 時折入る遠征や演習を挟んでいるため当然ながら毎日会っていたわけではないが、ゆるゆると互いの話をしていき、イッショウとナマエは随分と親しくなった。
 そうしてついに『大事な話があります』と前おいて放たれたナマエの発言に対して、イッショウが零したのは、『へェ』なんていう普段通りの相槌だった。
 んな、とナマエが声を漏らす。
 どことなく困惑したような気配を感じて、イッショウの口元には笑みが浮かんだ。

『イ……イッショウさん? あの、冗談とかじゃないんですよ?』

『存じておりやしたから』

『え』

 おずおずと寄越された言葉にイッショウがそう返すと、更にナマエが戸惑ったような声を零す。
 目を真ん丸に見開いているに違いないその声音と気配に笑いながら、イッショウはひょいとナマエへ向けて片掌を向けた。

『手ェ、貸してくださいやせんか』

 そうしていつだったかのようにそう言えば、少しだけの沈黙の後、そっとイッショウの掌に何かが触れる。
 どことなくひんやりとしたそれを軽く握りしめてから、イッショウはそのまま掴んだ物を自分の方へと引き寄せた。

『わっ』

 体勢を崩したのか、声を漏らしたナマエがイッショウの方へと倒れ込んで来て、とすん、と軽い重みがイッショウの体にかかる。

『こうして、触れるじゃあありやせんか』

 そう言いながら、イッショウはナマエの方へ体を向け直した。
 正面から倒れ込んできているその身を受け入れるような姿勢を取ると、ナマエが慌ててイッショウから体を離し、イッショウのそれに比べて随分と小さな手がイッショウの手の上でもぞりと身じろぐ。
 しかしそれを逃がしはせず、しっかりとつかんだままで、イッショウは口を動かした。

『話だってできる。盲目のあっしからすりゃあ、あんたさんが死んでいようが死んでいまいが、同じことだ』

 イッショウ以外に、ナマエの存在を知覚するものはいない。
 それを重々把握した上で言葉を紡いだイッショウに、でも、とナマエが言葉を零す。
 もう一度もぞりとイッショウの手の中でその掌がうごめいたのは、距離を取ろうとしているからだろう。
 それをさせず、逆にイッショウがもう一度引き寄せると、今度はナマエの体が正面からイッショウの方へともたれかかってきた。
 膝の上に彼の重みが掛かったのをイッショウは感じたが、恐らく今も傍から見れば、イッショウが中庭の死角にあるベンチの上で、少々おかしな体勢で一人座っているようにしか見えないに違いない。
 冷えた手を放し、その代わりに膝に乗った体を捕えるように軽く腕を回す。
 イッショウの膝に乗ったその重みからも冷たい気配だけを感じたが、気にしないでいるイッショウの膝の上で、でも、とナマエが小さく呟いた。

『…………死んでるんですよ? 俺』

 気持ち悪くないんですかと、おずおずとナマエが呟く。
 ふむ、とそれに声を漏らしてから、イッショウは彼の体を軽く掌でたどった。
 脇腹をくすぐってしまったのか、情けない声を上げて身を捩ったナマエを気にせずその顔まで辿り、それから軽く頬にも触れてみる。

『……どこも、『普通』と変わらねェように感じやすが』

 触ってみた限り、『普通の人間』と変わらぬ体であるらしいナマエの姿を確認してから、イッショウは軽く首を傾げた。

『例えば、どこかへ目ん玉の一つでも落としてきやしたんで?』

 さすがに指で辿れなかった場所が欠けているのかと尋ねたイッショウに、は、とナマエが戸惑ったように声を漏らす。
 いや、ちゃんと二つついてますよと言葉が寄越されたのを聞いて、そうですかとイッショウは軽く頷いた。

『でしたらやっぱり、あっしには大して気にする必要もなさそうだ』

『……あの、それって俺の目が片方無かったりしたら駄目だったとか、そういう……』

『へェ、そん時ァ、落し物を捜す手伝いをするつもりでいやしたが』

 目ってのは存外大事なもんですよと呟く盲目の海軍大将の膝の上で、やや置いて、ナマエが小さくため息を落とす。
 まだその顔に触れていたイッショウの手に、そっと冷え切った小さな掌が重ねられた。

『……イッショウさん、全然態度変わらないですね』

 悩んでたのが馬鹿みたいだ、と続いた彼の言葉に、いやァ、とイッショウが返事をする。

『そんなこたァないでしょう』

 これでも、態度は変わった方だと自覚しているのだ。
 ナマエが話してくれるまで、『気付かなかった頃』と同じ態度を取り続けていたイッショウにとって、今こそがまさしく嘘偽りのない姿である。

『知らねェふりをするってのは、案外大変なもんです』

 しみじみ呟くイッショウの膝の上で、何ですかそれ、と呟いたナマエの声音は、わずかに笑い声を含んでいるようだった。







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