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月の綺麗な夜でした(1/2)
※『従者を希望します』の続き
※起伏なくくっついた



 イッショウがナマエを発見したのは、とある島の砂浜でのことだった。
 イッショウの杖がつついた先でううんと小さく唸り、それから目を覚ましたらしいナマエが何かに戸惑ったような声を出して、安否を確認しながら名乗ったイッショウへ向けて矢継ぎ早に質問を投げてよこして来たのは、それからすぐ後のことだ。
 そうして、向けられた疑問に、イッショウは全て正直に丁寧に返事をした。
 彼が転がっていた砂浜の名前、島の名前、目の前に広がる海の名前、そこに潜む生き物のこと、イッショウのこと。
 どこかからか漂流して辿り着いたらしいナマエが海軍へ保護されるのを拒んだから、イッショウはこくりと一つ頷いた。

『言いたくねェこたァ、誰にでもありやしょう……あっしは、あんたさんを信じるだけだ』

 彼がどんな秘密を抱えていようとも、それがイッショウを害成すことはない。
 視力を失っている分、イッショウが持つ他の感覚はそれぞれが鋭敏に研ぎ澄まされていて、そうしてその耳が拾ったナマエの声音が、彼を信じるに値する人間だと判断させた。
 そして、住む場所を世話したイッショウへ恩を返したいとでもいうように、ナマエはすすんで面倒を買って出てくれた。
 目には見えないが、ナマエの体がイッショウよりも小さく、非力であることはイッショウも知っている。
 だからそんなことをしなくていいと言ったのに、『やりたいからやるんだ』とナマエは主張した。
 そして、義理堅い漂流者は、更にあれこれとイッショウの世話を焼き、イッショウに話しかける。
 いろんな顔のイッショウがみたいからとあれこれと試され、『恰好いい』と手放しに賛辞を送られるのには少しばかり困ったが、それだって楽しい日々の戯れの中の一つだった。
 更にナマエは、その恩を返すために、あれだけ嫌がっていた『海軍』にすらついてきた。
 当然彼は海兵にはならず、イッショウが宛がわれた家でその世話を焼きながら、何か仕事をしているらしい。
 彼が好んで受けている仕事はそれぞれが日雇いらしく、こなした仕事は数多にわたる。
 そば屋に花屋、清掃業、港での荷運びに物売り。家々を回る運び屋をしていた時は、海軍本部の中にいたイッショウの所までついでにと弁当を届けに来た。
 そうして、家に戻ったイッショウを出迎えて、あれこれとその日あった話を聞かせるのだ。
 話を聞いている限り、ナマエは要領の良い青年だった。
 そして、日向で生きていただろうと言うことが分かるような、まっとうな感覚を持った人間でもある。
 『海軍大将』となったイッショウには大きな収入があり、イッショウは彼の衣食住の面倒を見ることに何の不満も無いと言ったのに、働かないのは落ち着かないのだと言って次々と仕事をこなしている。
 思えばあの島にいた時も、ナマエは村でいくつかの仕事を任されているようだった。
 長い仕事に就かないのがどうしてかは分からなかったが、イッショウの知る『ナマエ』という人間は、とても普通の青年だったのだ。

「と言うわけで、俺、イッショウさんが好きだったみたいだ。もちろん、そう言う意味で」

 だからそう言われた時、イッショウはすぐにその言葉の意味を飲みこむことが出来なかった。
 先ほどまで、ナマエはいつものようにその日あったことを話して聞かせてきていた筈なのだ。
 客に美人の女性がいた。声を掛けられて迫られた。露出が激しい恰好の相手だったので目のやり場に困った。
 そんな、若い頃なら羨ましがっただろうナマエの話にわずかなモヤつきを感じたのは間違いなく、純情そうなナマエを困惑させただろうその女性に対する呆れに似たものだった。
 しかし、その後に続いたナマエの言葉は如何とも理解しがたいものがある。
 美人だったのに心が全く動かなかった。どうしてかと考えてみたらイッショウの顔が浮かんだ。イッショウに似たようなことを言われたらと思ったら胸が高鳴った。
 その後ろに先ほどの台詞を繋げたナマエの視線が、顔に突き刺さっているのを何となく感じる。

「…………気のせいじゃあ、ごぜェやせんか」

 どうにかこうにか口を動かし、言葉を放ったイッショウの向かいで、そう言うと思った、とナマエが言葉を零す。
 その声音にはわずかな笑いが含まれているように感じたが、小さな吐息に満ちたそれは自嘲のように思えて、イッショウは自分の目が見えなくて良かったと強く思った。
 見えなければ、気付かないふりだってできる。
 もしも今のナマエの顔を目にしてしまったら、きっとイッショウはそれを慰める為に馬鹿なことを口にしただろう。そんな気配をナマエは零している。

「…………」

 恐らくナマエのそれはイッショウに対する『情』を勘違いしたものに違いないと言うのに、それを諭そうとする言葉が何故か口から出て行かない。
 男が男を好いているだなんて、何と愚かな話だろうか。
 イッショウは、ナマエよりずいぶんと年上だ。
 何より、その実力を買われて『海軍大将』となったが、上位の人間であれば上位の人間であるだけ、イッショウが向かう戦いの場には危険が満ちている。
 生まれてから死ぬまでの時間を互いに計れば、イッショウの方の残りが少ないことなど分かりきったことだ。
 家にいる間着込んでいるワノ国じみた着流しの袖口で小さく拳を握ったイッショウの傍らで、ナマエがそっと声を漏らした。

「……イッショウさん、俺のこと、嫌いかな」

 恐る恐る、と言った風に問いかけられた言葉に、イッショウは首を横に振った。
 もしも相手を嫌っていたら、そもそもこうして同じ家に住んでいる筈がない。

「そんなこたァ、ありやせん」

 だからイッショウはそう言い放ち、しかし、と言葉を零した。
 そこで口を閉じてしまったイッショウの前で、それじゃあ、とナマエが言葉を放つ。

「俺のこと、気持ち悪い?」

 男が好きなんじゃなくてイッショウさんが好きなだけなんだけど、と言葉を重ねられて、イッショウはもう一度首を横に振った。
 イッショウの返した否定に、それなら良かった、とナマエが小さく息を零す。
 安堵のため息に似たそれに、イッショウがわずかに怪訝そうな顔を向けると、暗闇の向こうでナマエがゆるりと言葉を吐いた。

「それじゃあ、さ。俺はずっとイッショウさんが好きだから」

 囁くように言いながら、ナマエの手がそっと、イッショウの服の端に触れたのが気配で分かる。

「……もしイッショウさんが、俺のことをそう言うふうに好きになったら、教えて」

 諦めるつもりはないんだ、ごめんな、と続いた声に、イッショウはその手を振り払うことも、うまく返事をすることも出来なかった。







「月が綺麗だよ、イッショウさん」

 目の使えないイッショウへそんな風に言って誘ったナマエが、あまり多くは無いらしい語彙を尽くしてどれほど月が美しいかを語って聞かせていたのは、ほんの数分前のことだった。
 イッショウの両目を憐れむのではなく、イッショウにも分かるようにと言葉を尽くすナマエとの会話を、イッショウはいつも楽しんでいる。
 今もまだ、イッショウの傍らに座り込んだナマエは、イッショウの隣で言葉を零していた。

「満月だろ、春だったら朧月で、あと淡月、薄月、霽月。それから氷輪、十五夜、十六夜、立待月……あとなんだっけなァ」

 つらつらと言葉を並べて、うーん、とナマエが唸る。
 平屋の縁側で、並んでその隣に座りながら、へえ、とイッショウが声を漏らした。

「ナマエの故郷は、風流な月の呼び方をするもんだ」

 今頭の上に広がっているだろう夜闇の彼方、イッショウの目には映らなくなった大きな輝きの名前をナマエがつらつらと並べているのは、どうやら多少欠けているらしい月を見上げたナマエが、半月だの更待月だのと言いだしたからだった。
 聞けば、ナマエの故郷では一つのものを色々な言葉に変えて呼ぶことがあるらしい。
 耳触りのよいそれらは、どちらかと言えばワノ国の言葉に似ている。

「いや、もっとあるんだよ……課題で調べたのになァ、他のは覚えてないや」

 悔しそうな声でそんな風に言い、ナマエが身じろぐ。
 器に水分が零れ落ちる音がして、やや置いてイッショウの手の傍にことんと音を立てた湯呑が置かれた。
 礼を言い、湯呑を手にしたイッショウがそれを口に運べば、啜った温い茶の心地よい苦みが口の中へと広がっていく。
 同じように茶を飲んだのだろう、ふ、と息を吐いたナマエが、月は好きな人多いしね、と言葉を紡ぐ。



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