ワンステップ
※『ここまで約552時間』設定
※異世界トリップ主人公はただのマリンフォード住人
※戦争編以前奥手っぽい海軍大将赤犬
俺はただの一般人だが、ほんの少しばかり、普通と違う。
多少世間知らずだとか、実は生まれも育ちも『別の世界』だとかそういう些細なことは置いといて、何より一番普通と違うのは、付き合っている相手が海軍の偉い人であるという事実である。
海軍の最高戦力として数えられる一人である『海軍大将赤犬』が、ただ怖いだけの人じゃないと知ったのは、もうかなり前の事で。
そして、俺がこの世界で『恋人』なる人を得たのは、それから少し後だった。
俺の『恋人』は海軍大将で、同性で、年上で、少し怖い顔をしている。そして、その目つきや所作のせいで誤解されやすいけど、親しくなってみると案外わかりやすい。
そして、親しい相手には結構優しい。
体に宿している悪魔の実の力が強大すぎて、コントロールが難しいのだと教えてくれた後で、俺に貴重な海楼石で出来た指輪までくれた。
俺の恋人である『マグマ人間』は感情が高ぶるとマグマ化しやすく、それは『怒り』以外でも同じらしい。
『もしも被害を受けそうだったら使え』と言う意味合いの、真面目な顔で寄越されたこっちが恥ずかしくなるような台詞付きで手渡されたプレゼントだった。
海楼石が悪魔の実の能力者の弱点の一つだと言うことは、俺だって知っている。
そんな大事なものをぽいと寄越してきた相手にはすごく驚いたけど、それを悪用したりしないと信じてくれてるんだと思うと嬉しかった。
それに何より、付き合っている相手からの指輪だ。喜ばない方がどうかしている。
しばらくの間、一番サイズの合っていた右手の中指を見てはニヤニヤとしてしまう不審者となってしまった。
二回ほど仕事仲間に気持ち悪いと言われたが、抑えられなかったんだから仕方ない。
彼自身は装飾品をあまり身に着けられないのだと言う話だったから、俺がお返しに贈ったのは万年筆だった。
多分あの人が使っていた物に比べても安物だったに違いないけど、大事にしていると言った彼に、自宅へ置いてあるのを見せて貰ったこともある。
職場にもっていかないのかと聞いたら不本意そうな顔で『溶かして』しまいかねないのだと言われたのだが、仕事中に筆記用具を駄目にするほど怒らせる誰かがいるんだろうか。
とりあえず今のところ、俺とこの人はまったりと色々なものを育んでいると思う。
あんまりにものんびりとしすぎている気はする、けれども。
「何じゃ、ナマエ」
じっと視線を注いでいた俺へ、どうかしたのか、と尋ねた目の前の彼が、ちらりとこちらへ視線を向けて来た。
今日は、久しぶりに俺と彼の休みが重なった日だった。
だから今日は朝から一緒に過ごすと決めていて、昨日で片付けやら準備やらをした俺の家へやってきた誰かさんは、俺の家に来た時の定位置に腰を降ろしている。
目の前には彼の大きさに合わせて買ってきた湯呑があって、注がれたお茶がゆらりと湯気を零していた。
「いや、ちょっと見ていただけです」
そちらを見つめてそう言うと、目の前の彼の眉間にわずかな皺が寄せられた。
注がれる視線の鋭さが増して、怖い顔が更に怖い。
けれども、その目が俺を睨んでいるのではなくて、ただこちらを窺っているのが分かるから、そちらへ向けて笑顔を返した。
何でもないですよ、大丈夫ですよと相手へ向けた俺の笑みに、しかしさらに眉間の皺を深くした彼が、湯呑を掴んで言葉を零す。
「……誤魔化しよるんか」
そう言うのは好かん、とまで言われて、そういうわけじゃないんですけど、と言葉を零す。
本当に、ただ見ていただけなのに、もの言いたげな視線になってしまっていたんだろうか。
そうだとしたら、不満げな顔になっていたかもしれない。女の子がやったなら可愛いかもしれないが、俺は男なので、ただの情けない顔だったはずだ。
自分の湯呑に触れていた手を離して両の頬を押さえた俺へ、話せ、と彼が唸った。
その目はまだこちらを窺っていて、言い方は高圧的なのに、何処か柔らかさを感じた。
この人が俺へ好意を向けていると言うまで、俺はこれをただ『怖い』と思っていたのだ。
けれども今は、それを恐ろしいとは思わない。
「どうしても言わないと駄目ですか?」
「…………言いたくない、ことなんか」
だからそう尋ねて首を傾げると、唸った彼の口がいつもより少し曲がった。
苛立っているようなその顔は、しかしどちらかと言えばただ不満を感じているだけのものだ。
それでも、彼は俺より年上だと言うことをとても気にしているから、多分ここで俺が『はい』と言えば、言いたくなった時に言え、とでも言って引き下がってくれるだろう。
悪に容赦のない海軍大将赤犬は、多分、それ以外には譲歩のできる海兵さんだ。
まァ、ここで俺を詰問するような強引さがあれば、こういう小さな悩みは抱えたりしていないとも思う。
俺は軽く首を横に振って、別に言いたくないことじゃないですよ、と返事をした。
それから、そろりと互いの間のテーブルを迂回して、彼の傍へと這って近寄る。
すぐ隣に来た俺の方へ彼が体を向けたので、近寄ったところで動きを止めた俺は、足を組んで楽な姿勢で座っている彼の前で正座をした。
彼は俺より背が高くて体が大きいので、高い場所にあるその顔を見上げる形になる。
「サカズキさん」
「……何じゃ」
声を掛けてじっと顔を見上げると、俺の顔から何かを感じ取ったのか、彼がわずかに顎を引く。
こちらを見下ろす双眸を見つめ返しながら、俺は口を動かした。
「俺とサカズキさん、付き合ってますよね」
問いかけた先で、彼がほんの少し目を見開く。
「お互い好き同士だし」
好きだと自覚した時はものすごく悩んだけど、どう足掻いても、俺は目の前の年上で同性の海軍大将が好きだった。
生まれ育った世界すら違う相手を好きになるなんて、とうだうだと考えてもみたけど、諦めることも出来なかった。
ひょっとしたら、俺に『好きだ』と言ってくれるまでのあの長い間、この人だって同じように悩んでいたのかもしれない。
そう思ったら想像しただけで切なくなったし、なかなか声だって掛けてこなかったこの人が告白するために振り絞っただろう色々なものを思うと、曖昧な返事をしてしまった自分が酷い奴のように思えた。
だから俺からも告白をして、晴れて俺と目の前の彼は『恋人同士』になったのだ。
「よくデートもしてますし」
『デート』は、基本的には出歩くのではなくて、お互いのどちらかの家で過ごすことにしている。
たまにすごく高そうな店に連れていかれることもあるが、それだって夜間であることの方が多い。
何せ、このマリンフォードで彼が人目のあるところを出歩くと、思い切り注目されるのである。
一回目で買い物に行った時に体験して懲りたので、二回目からは『会う時はどちらかの部屋で』と取り決めた。
だから、大体の場合に置いて、俺と目の前のこの人は、『デート』を人目の無い場所で二人きりで過ごしている。
「手も握りましたし」
一緒に盆栽も触ったし、俺の拙い手料理も食べてくれたし、彼が作った料理を食べたこともある。
うたた寝をしている間に膝枕をされてたこともあるし、その逆もある。
一回だけだが抱きしめられたこともある。
言葉を重ねる俺の前で、一つ一つに頷いた彼が、戸惑ったようにこちらを見た後、そっとその目を逸らしてしまった。
一つ一つ言われて照れてしまったらしい。
それを見上げながら膝立ちになって、俺は左手で目の前の彼の腕に触れた。
「でも、その先はまだ駄目かなァ、って思って」
俺の恋人殿は、どちらかと言うと照れ屋だ。
そして紳士でもある。
夜が遅いからと男の俺を家まで送ってくれたのだって一度や二度じゃないし、かといって手を出してくるでもない。
俺だって色々なものを後生大事にしている少女じゃないのだから、もっとこうぐいぐい来てくれたっていい。
いや、俺も男なんだから、受け身でいる必要も無いだろう。
さしあたっての問題は、急にそういったことをやって、嫌われてしまったらどうしよう、ということだ。
この人のことを怖い怖いと言っていた頃の俺だったら避けられても諸手を上げて喜んだかもしれないが、恋心を自覚した今、避けられたら、なんてことを想像しただけで胃が痛い。自分の豊かな想像力に泣きそうになったのはここだけの秘密だ。
目の前のこの人が俺へ向けてくれる『好き』がちゃんとした恋愛感情だと言うことくらい分かるし、俺のものだってそうだけど、この人が『そういうこと』に興味の無い人間だったとしたら、とか、考えれば考えるほどどうにもならない。
言葉を紡いだ俺の手の中で、じわり、と彼の体が熱を帯びる。
それに気付いて離れようとした俺の左手を、彼の大きな片手が掴まえた。
逸らされていたその目が、じろりとこちらを睨む。
「……何じゃ、そりゃあ」
低く漏れた声はわずかに掠れて聞こえたが、そこに怒気は見当たらなかった。
ただ、こちらを見据えるその目は先ほどよりさらに鋭さを増していて、俺の手を掴んでいるその掌が、随分と熱い。
けれどもそれを振り払えない俺へ向けて、彼が唸った。
「…………しても、えかったんか」
聞こえた言葉に、ぱち、と瞬く。
それから思わず口元を綻ばせて、俺は目の前の相手へ体を寄せた。
「そのうち、大丈夫そうだったら俺からしようと思ってたんですけど」
今の言葉はどう聞いたって、『そういうこと』に興味の無い人間の台詞じゃない。
それなら、と告げた俺の言葉に、近くなった双眸が険しく眇められた。
突き刺さる鋭い視線に、どうやら俺に主導権を握らせてくれるつもりはないらしい、と把握する。
こういう関係に年功序列を持ち込むつもりなんてないけど、彼がしてくれるというんなら、そちらに任せたって俺としては問題ない。
「……それじゃあ、今じゃなくてもいいですから、してくれますか」
尋ねた俺の手を掴む彼の掌が、更にその熱を増した。
明らかに人の体温を超えつつあるそれに気付いて、自由な右手を使って、俺の手を掴んでいる彼の手へ触れる。
右手の中指に着けている海楼石の指輪が触れて、彼の体の熱がすぐさま落ち着いた。
自分が俺を攻撃したりしないように、と俺へくれたこの指輪は、今日もどうやら、ちゃんとその役目を果たしたようだ。
その体を簡単にマグマへ変化させることのできる海軍大将が、俺をじっと見つめたまま、俺の左手を掴んでいた手の力を緩める。
それからするりと離されて、外気に触れた左手が少し赤くなっているのを目で確認した俺の右手が、今しがた俺の左手を掴まえていた筈の彼の左手によって掴まれた。
わざと指を絡ませるように掴まれて、俺のつけている指輪が彼の指に触れる。
掴んでくる指に力が入っていないのは、俺の向かいに座る彼が悪魔の実の能力者だからだ。
え、と声を漏らした俺の顎が、動いてきた彼の右手にするりと掬われる。
「『今じゃなくても』たァ、何じゃ」
落ちて来た声は、今度は少し不満そうだ。
その体がこちらへ向けて覆いかぶさるように傾き、少し目を見開いた。
あ、と驚いて間抜けに零れそうになった声を飲みこんで、その代わりに緩みそうになった口を引き結び、近寄ってくるその目を間近で見つめる。
それを見据えてわずかに目を眇めて、更に彼の顔が、俺の方へと近付いた。
「…………こういうん時ァ、目ェ閉じんか」
「サカズキさんだって、開けてたじゃないですか」
海楼石の指輪が触れている筈なのに随分と熱を帯びていた唇が離れた後で詰られたので、とりあえずそう言い返す。
嬉しいのか恥ずかしいのかくすぐったいのか分からなくて結局にやけてしまった俺を見て、ぷい、と赤らんだ顔を逸らした彼もまた、俺の右手を放しはしなかった。
end
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