自業自得
※死亡トリップ系主人公は悪人稼業の筈だけど現在サー・クロコダイルに誘拐されています
※100万打企画の続き
※若干の暴力的行為があります
ぱらりと紙を一枚めくって、灰皿へ灰を落とした煙草を改めて口へ咥える。
吸い込んだ煙を肺へ満たして吐き出してから、字面をなぞっていた俺の目がふとあげられたのは、室内へわずかに乾いた風が流れ込んだ気がしたからだ。
そのまま灰皿へ煙草を押し付けて消した俺の予想通り、扉の下に開いた大きめの隙間から砂が入り込み、部屋の中でぐるぐると渦を巻く。
吹き付ける風で目に砂粒が入り込みそうになり、風に煽られて閉じた本が飛んで行かないよう片手で抑えながら目を眇めた俺の前に、砂の壁のようなものが現れた。
人の姿になったそれに何かを言うより早く、がん、と強く右へ頭を殴られて、堪え切れずに椅子ごと倒れる。
口の端に感じる痛みに顔を押さえた俺の体を何かが蹴飛ばし、椅子から転げるように離れて仰向けになった俺の腹部に、どす、と重みが与えられた。
砂の吹き荒れていた室内が静かになっていくのを感じながら、されるがままになりつつ視線を上へと向ける。
「痛いな、もう少し手加減してくれ」
片手で患部を押さえたままで言葉を放つと、俺を真上から見下ろしている海賊が短く舌打ちをした。
その体が砂から人のそれへと変化して、最後には部屋の中の砂がさっぱり無くなってしまう。
何度見ても不思議な光景だとそれを見上げてから、俺は床に仰向けのままで首を傾げる。
「何をそんなに怒っているんだ」
つい先月、突然現れて俺を『誘拐』したこの男は、サー・クロコダイルという名前の海賊だ。
攫われてからこっち、ほとんど俺を軟禁している彼は上機嫌とは言わなくても不機嫌には見えなかったのだが、今の彼は明らかに不機嫌だ。
何か商談がうまくまとまらなかったのかとも思うが、八つ当たりをするような無様を晒す男だとも思えないくらいには、それなりに長い付き合いをしていたという自覚がある。
「……これはどういうことだ」
俺の発言に眉間へ皺をよせ、クロコダイルが片手に持っていたものをぽいとこちらへ放ってきた。
降ってくるそれに身をよじったが逃げることは叶わず、硬いそれがごつりと額にあたる。
痛い、と声を零しつつそれを掴んで持ち上げた俺は、手の中にあるものが馴染んだ感触の物だと気付いて目を瞬かせた。
少し角が丸くなったそれは、俺が親父に生前譲り受けたオイルライターだ。
俺が気に入って使っていたもので、しかしクロコダイルに攫われたあの日、乗っていた船に忘れてきたものだった。
ライターを忘れたと言った俺にクロコダイルが自分の使っているマッチを寄越したので、まあいいか、と何も言わなかったのだが、どうしてこれが今ここにあるのだろうか。
不思議に思って見やった先で、未だに俺の腹を踏んだままのクロコダイルが、やはりいらだった様子で口を動かす。
「てめェ宛だそうだが?」
低く唸る声に目を瞬かせて、もう一度ライターを見やってから、俺はクロコダイルの言いたいことを理解した。
「ああ、なるほど」
どうやら、俺の部下の誰かがこれを『俺宛』としてクロコダイルへ送ったらしい。
何人かの部下を頭の中に思い浮かべた俺の腹を踏みにじって、何が『なるほど』だ、とクロコダイルが低く唸る。
「おれの目の前で暗号のやり取りたァ、いい度胸だなナマエ」
「横で聞いてただろうに、酷い言いがかりだ」
『誘拐』されてからの一ヶ月、俺が電伝虫に触ったのなんて最初とつい三日前の二回目だけだ。
小さい頃から携帯電伝虫を持たされてはいたが、正直なところカタツムリと仲良くなりたいとは思わなかったので、出来るだけ使わないようにしていた。大体、念波なんていう訳の分からないもので情報のやりとりはしたくない。
そして俺が通話をしていたその一回目も二回目も、クロコダイルはすぐ横で葉巻を吸いながら一緒にいたのだ。
俺が部下達に自分の居場所を伝えていないことくらい知っているだろうに、と思って見上げれば、どうだかな、とクロコダイルが鼻で笑う。
「てめェならやりかねねェ」
人を買い被っているらしい海賊に肩を竦めて、とりあえず未だに腹の上へと鎮座しているその靴を軽く叩いた。
あまり体重も掛けていないようなのでまだ内臓がどうにかなるとは言わないが、さすがに圧迫され続けるのは苦しい。
どけてくれと頼んだ俺に眉を寄せたクロコダイルが足を引いたので、とりあえずその場から起き上がって立ち上がる。
自分にあまり似合うとは思えない白いシャツにくっきりとついてしまった足跡を払いながら、暗号のやり取りなんてしてないぞ、と俺は素直に答えた。
「アイツらにはちゃんとバカンスだって言ったのを、アンタだって知ってるだろう」
人のことを『誘拐』したくせに身代金の一つもいらないと言うから、俺は部下達に誘拐されたと伝えていいかも分からなかったのだ。
突然俺がバカンスに行くと伝えたら、当然だが部下達はとてつもなく動揺していた。
誰かと一緒にいるのかと言う問いには曖昧に答えただけだったが、仕事の引継ぎ以外ではそれほどやり取りもしていない。
そのことを指摘した俺へ、それならどうしててめェ宛に荷物が届いたんだとクロコダイルがこちらを見下ろして言葉を放った。
寄越された言葉に手に持っていたライターを見やってから、それと灰皿の横へと置く。
「まあ、俺が『嫌がって』なかったから、アンタだろうとアタリを付けて調べたんじゃないか」
俺の『特別』が一人であることを、うちの部下達はよく知っている。
俺は殆ど軟禁状態だが、殺さないで人一人を飼い続けるのは難しいだろう。
優秀に育ってくれて何よりだと一人呟いて、俺は軽くオイルライターに指を這わせた。
「そろそろ俺が隠居しても問題なさそうだなァ」
悪事を働いていた親父がそれにふさわしく殺されて、俺が親父の跡を継いだのは成り行きでしかない。結局やっていることは『悪いこと』だが、俺だけでなく部下全員を路頭に迷わせるわけには行かなかったのだ。
しかし俺がいなくなっても組織が回るなら、そろそろ金を持って逃亡してもいいかもしれない。
結局のところ目的も分からないし、クロコダイルの『これ』が終わったらもう少し前向きに検討してみようと決めてから、倒れたままだった椅子を起こす。
元々の部屋の主に合わせた大きさのそれを軽く掌で示して見やると、不快そうに眉をひそめたままのクロコダイルがどかりとそこへ座り込んだ。
その目がちらりとこちらの顔を見て、きまり悪そうに零れた舌打ちに、軽く笑う。
別に謝られたいわけでもないし、今はとりあえず席を外してしまった方がいいだろう。俺がここにいたのでは、クロコダイルには部屋を出ると言う選択肢すらない。
「着替えるついでに、風呂に入ってくる」
だからそう言って部屋に併設されているバスルームへ足を向けた俺を、クロコダイルは引き止めなかった。
※
「……何をやってるんだ、アイツらは……」
読み終えた新聞をばさりと畳んで、俺は小さくため息を零した。
温い湯の張られたバスタブの上で、専用のトレーに乗せられた新聞は、すでにバスルーム内の湿気を吸い込んでしんなりとしている。
先ほど読んだ記事が一番上を向いていて、そこには俺がいまだに首を預けている組織の名前が小さく乗っていた。
本来、『悪さ』をするなら公に名前は出ないよう気を配るべきだ。
新聞と言うのは一般人が目にするものなのだから、善行でない出来事で有名になることにメリットはあまりない。
もちろんどこかの『海賊』達のように悪名ですら名声になるのなら話は別だろうが、悪い方向に有名では海軍の監視すら付きかねないのだから、ビジネスはしばらくやりづらくなるだろう。
下手を打ったんだな、と把握して、先程のオイルライターの意味に気付いてしまった俺の体が湯船の中へと沈み込む。
「……ご機嫌取りか」
忘れ物を届けて貰った程度で忘れられる失態だったらいいのだが、戻った時に組織が変な方向に進んでいたら方向修正には多大な労力が必要になりそうだ。
やれやれと息を零しながら体から力を抜くと、頭の先まで温い湯の中へと沈んだ。
顔に触れる温い感触に目を軽く閉じて、呼吸すら出来ない場所でじっと動きを止める。少し口の端が染みるのは、先程クロコダイルに殴られて傷がついたからだろう。
とりあえず部屋へ戻って、もしもクロコダイルがいたら、それとなく『うち』がどうなっているか聞いてみようか。
新聞よりも、クロコダイルのような同じ世界の人間から話を聞いた方が、対策も考えやすいだろう。
そうしよう、と心に決めてぽこりと水の中に軽く息を吐いたところで、ガタンと何かが壊れたような大きな音が遠くから響く。
それを聞いて驚いた俺が目を開けたのと、水の中へと入り込んできた掌にがしりと顎から下を掴まれたのは殆ど同時だった。
ぐいと無理やり体を上へ引き上げられて、膝にあたったバスタブトレーが水の中へ半分落ちたのを感じるが、そちらへ手をやる余裕もない。
驚いた拍子に吸い込んでしまった水にせき込みながら、俺は突如バスルームへ侵入してきた相手を見やった。
「…………クロコ、ダイル?」
今この場にもっともふさわしくない顔が、じろりとこちらを見下ろしている。
その手はまだ俺の顎をすくいあげるように人のことを掴んでいて、顔を逸らすことを許さないと言いたげに力を込めていた。
その指に飾られた指輪はひんやりとしていて、風呂に入って血流の良くなっているらしい俺の首のあたりをひやりと冷やす。
「何をしていやがる」
低い声を出して問われて、何って、と目を瞬かせる。
「風呂に決まってるじゃないか」
いつも通り風呂に入っていただけなのに、どうしてこんな風に言われなくちゃならないのだろうか。
むしろ、俺の記憶が確かであるなら、クロコダイルは特別水が苦手な能力者であるはずだ。どうしてそのクロコダイルがわざわざ人が入浴しているバスルームまで入ってきて、更にはその片腕をバスタブへ入れてびっしょりと濡らしているのだろう。
よく分からないでいる俺を見下ろし、やがてこちらから手を離したクロコダイルが、煩わしそうに自分の片手を動かしている。
「何時間浸かってるつもりだ」
その掌に触れた水分がじわりと消えたのを見ながら寄越された言葉に、あれ、と俺も声を漏らした。
「もうそんなに経ってるか?」
新聞を読み終える程度の時間ならいつも入っている程度の時間だが、もしや今日は特に時間が掛かってしまったのだろうか。
そんな風に考えてちらりと見やった壁掛けの防水時計は、普段と変わらない時間経過を示している。
そちらを見やって首を傾げた俺の横で、いつもこんなにかかってやがるのか、とクロコダイルの口からうんざりとした声が漏れた。
その言葉に、そういえばクロコダイルがいる時に風呂に入っていたことは無かったかもしれない、と思い出す。
クロコダイルがやってくるときはその相手をするのが殆どなのだから、まあ当然だろう。
「女か、てめェは」
「のんびり風呂に入るのは健康にいいんだぞ」
聞きかじりの健康法を口にすれば、知るか、とクロコダイルが舌打ちをする。
そのままバスルームを出て行こうとする相手に気付いて、俺は湯船から伸ばした手でそのシャツを掴まえた。
くん、と引かれて動きを止めたクロコダイルが、何だ、とこちらを睨み付ける。
その視線を受け止めてから、シャツは掴んだままでバスタブの中へ改めて座り直し、俺は口を動かした。
「結構濡れてるみたいだし、そっちも風呂に入ってから行ったらどうだ?」
クロコダイルの能力がどういうものかは知らないが、湯の中へ入れて来たその片腕はしっかり濡れているし、よく見れば腹のあたりや足元も濡れている。
どうせ着替えるなら温まってからにすればいいと口を動かして、それからそっとクロコダイルのシャツから手を離した。
「何なら俺が着替えを用意してくるから。それなら、一人で入れるだろう?」
どのくらい水に弱いのかは分からないが、警戒心の強いクロコダイルのことだ。俺が近くにいたのではシャワーの一つも浴びないだろう。
どうせもう上がるところだったのだからと言葉を紡いだ俺に対して、クロコダイルがわずかに眉を動かす。
「……着替えを用意するだと? てめェがか?」
まるで馬鹿にしたように紡いで落ちた言葉に、何か不味かったかと首を傾げた。
「ちゃんとアンタのクローゼットから用意してくるが」
クロコダイルの部屋がこの部屋の三つ隣であることは、もう知っている。
クロコダイル自身が俺を案内してくれたことはないが、誰かがずっと見張っているわけでもないのだから、部屋を抜け出してあちこちを見て回ることくらいは造作もないことだ。
外への出口も確認してあるし、何かあれば逃走するだけの用意はしている。
別にクロコダイルが俺にどうこうしなくても、あの『漫画』のことを考えるとクロコダイル自身を狙った誰かが襲ってくる可能性を捨てきれないからだ。
クロコダイルが助けてくれるとは思っていないが、死んでしまうつもりもない。
俺の言葉を聞いて、クロコダイルがわずかに目を眇めた。
「…………相変わらず、抜け目の無い野郎だ」
苛立ったように言葉を零しながら、その手が自分のシャツへとかかる。
器用に片手でボタンを外し始めた相手に、おや、と俺は目を丸くした。
どうやらクロコダイルは、俺と一緒に風呂に入ることにしたらしい。
それは予想外だった、と服を脱ぐクロコダイルを見上げながら口を動かす。
「背中でも流そうか」
「いらねェよ。そこで大人しくしていやがれ」
シャツを片側だけ脱いで、鉤爪を外したクロコダイルが言葉を零した。
分かった、と頷いてから、とりあえずバストレーをバスタブから持ち上げる。
上に置いてあった新聞はもうすっかりびしょ濡れになってしまっていて、一緒に沈んでいたタオルも同様だった。
改めてバスタブにバストレーをセットして、その上に新聞を乗せ、掴み上げたバスタオルを軽く絞る。
「バスタブにも入るか?」
「ごめんだな」
「ははは、そうだよな」
悪魔の実の能力者なら当然の返答に軽く笑って、水気の少なくなったタオルをトレーの上に置く。
「新聞を駄目にしたのは悪かった」
「もう二度と持ち込むんじゃねェ。それで許してやる」
脱いだシャツをバスルームの端に放り投げて、クロコダイルがそんな風に酷いことを言う。
俺の自由がまた制限されたと大げさにバスタブの中で嘆くと、『攫われた』時点で自由もクソもねェなと笑い声交じりに返事を寄越された。
それもそうだなと頷いて、バスタブの縁に両腕を乗せる。
そのままじっと視線を向けていると、トラウザーズに片手をかけたクロコダイルが、そこでようやく俺の視線に気付いたようにこちらを見やった。
「……何を見ていやがる」
「いや、アンタの裸を見られるなんて思っていなかったから、」
じっくり見ておこうかと、と続ける言葉がくぐもってしまったのは、素早く動いたクロコダイルの手が先ほど放った自分のシャツを拾い上げて、それをそのまま人の上へと叩き付けて来たからだった。
バスルームの床に放られたせいでしっかり水を吸ってしまったらしいシャツに叩かれて、顔が痛い。
叩きつけられたシャツをそのままにされると、俺の視界は殆どシャツの色でいっぱいになってしまった。
安物のシャツならその向こう側が透けて見えたかもしれないが、クロコダイルの着ているものは随分と上等なようだ。
「その目ん玉を抉り出されたくなかったら、そのまま大人しくしていろ」
今日はクロコダイルに痛い目に遭わされてばっかりだとシャツの下で顔を軽くさすりつつ、シャツを剥がそうとした俺へ向けて、クロコダイルが言葉を放ってくる。
恥ずかしがり屋だったのか、と言うとさすがにもう少し痛い目に遭わされてしまいそうだったので、分かったよ、と一つ頷くだけにしておくことにした。
end
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